19-1 山科 本願寺1
囲まれているのなら、本願寺に入るのは難しいのかと言えばそうでもない。
京から続く道は塞がれておらず、むしろ通ってくださいという風に広々開けてある。
下京でゲリラ戦を繰り広げた者たちは、三条大門を破って山科まで逃れたのだという。
逃げ込むことを躊躇わないように、おそらく道からは軍勢が見えないのではないか。
六角殿の考えは俯瞰して陣形を見ているとあからさまだ。
邪魔な者たちをまとめて潰すつもりなのだろう。
万が一ぐるりと周囲を取り囲まれたとしても、抜け道は複数あるらしく、少人数であれば完全に囲まれていても脱出は可能だという。
聞いて良かったのかわからないが、本殿から東山の西側に抜ける地下通路があるそうで、そこは絶対にまだ気づかれていないのだそうだ。
わざわざ入り口を開けてくれているのだから、堂々と京からの道を通って本願寺に入り、そこから出るのが一番いいと思う。
勝千代がそう言うと、永興は「豪胆ですな」と目を細めた。
この情景を見せたのは、本願寺に行きたいという勝千代を思いとどまらせるためかもしれない。
数千の軍勢に囲まれたただ中に行くというのは、確かに膝が震えそうになるほど恐ろしい。
だが、ここで引き返すという選択はない。
「それでは、正々堂々正面から入ると致しましょう」
永興はそう言って、再会してから初めて薄く笑みを浮かべた。
「食べる物は足りているのですか?」
勝千代が一番気になっていることを尋ねてみる。
真っ先に空腹が気になるのは、危うく飢え死にしそうになった経験からだろうか。何よりもまず、そのことを一番に考えてしまうのだ。
「米の蓄えはたっぷりあります。門徒の多くが百姓なので、米を奉納する者が多いのです」
今とりあえず飢えている者がいないのは安心できるが、何か月も囲まれたら足りなくなるのではないか。
そうは思ったが、口にはしなかった。不安を煽るだけだ。
それに、この戦は長期戦にはならない。大きな軍勢が動いているときは、一度戦いの幕が落とされたら一気に片が付く。双方ともに、補給が苦しくなるからだ。
とはいえ六角軍は領地が近いので、本気で腰を据えられたら本願寺の方が負ける。
やはり補給の問題だ。
「急ぎましょう」
勝千代は、ぞわりと立った鳥肌をさすりながら言った。
永興も、六角を敵に回して勝てるとは思っていないのだろう。気もそぞろな風で頷いて、いまだ動く気配を見せない軍勢から目を逸らせずにいる。
一行はいまだ夜の闇が深い山を下り、道なき道を進んだ。
あれだけの大軍がいるにしては、やけに静かな夜だった。
ただ、静かすぎて虫の声も小動物の声も聞こえない。
これが、嵐の前の静けさか。
進行方向の索敵をしていた忍びのひとりが帰ってきた。
普段は物音をたてない男なのに、よほど急いでいたのかパチリと小枝を折る音をたてて弥太郎の背後に降り立った。
その耳に二言三言何かを囁き、ちらりと勝千代の方を見て目礼してから再び隊列から離れていく。
何だろう。何かあったのか。
そう尋ねようと弥太郎を見上げると、思いのほか厳しい表情をしていた。
「六角軍に動きがあるようです」
夜が明けぬうちに京からの道も塞ぎ、完全包囲に取り掛かるのか。
そう問うまでもなく、ざざーっと風の音が木々を揺らし、その隙間から月明かりに鎧兜の光が反射して、夜の森を移動していく六角軍の様子が見て取れた。
完全に道を塞がれるまでに本願寺に入るべきだろう。
弥太郎や、側付きたちのためらいはよく理解できる。
戦が起こるただ中に、護衛対象を連れて行くなどありえないと思っているのだろう。
だが、その戦を起こさないために行くのだ。
いや違うな……火の粉を別方面に煽るために行くのだ。
「ようもこのような時においでなさった」
人払いのされた小さめの個室で、勝千代に向かってため息交じりにそう言った興如の顔色は悪い。
土気色といってもいいだろうか。どこか身体の具合がわるいのかもしれない。
だが、今のこの状況下で、臥せっているわけにもいかないのだろう。
勝千代はまじまじとその渋い顔を見つめて、「大丈夫ですか」と尋ねたい気持ちをぐっとこらえた。
「大変な時に永興殿をお借りして申し訳ございません」
消火のために一人でも多くの人手が必要な時に、大いに活躍したであろう働き手を奪ってしまった。そのあたりは本当に済まないと思っている。
だが、今のこの状況を打開する策を持ってきた。
本願寺派にとってはかなりリスキーな行為だが、今のこの状況も大概切羽詰まっている。
全滅の憂き目に遭う前に、搦手を幾つか試してほしい。
勝千代の話を最後まで黙って聞いて、興如は目を閉じた。
これが常時であれば、問題外だと退けられただろう。
だが今のこの状況下、六角軍に囲まれて、うちにこもるのは僧侶と平民がほとんどとなれば、一縷の望みを掛けてくれるかもしれない。
「うまく行くとお思いか?」
苦渋の声で興如は呻く。
「強壮な六角軍に対して、本願寺はどう対応なさるおつもりでしょうか。槍を持って最後のひとりまで戦えますか?」
「そもそも、我らは戦うための集まりではないのです」
そうだよな。仏教の寺とその門徒だものな。
「ではなぜ、このような高い土塁を築き、壁を設け、さながら大身の御城下のような街を作ったのですか?」
教義を守るためだというのなら、それは悪手だ。
何故なら、この手の構えは城と同じ、権威を誇示するものだからだ。
守りを固めるということは、攻められることも考えているのだろうというのが武士の言い分だ。
「周囲に脅威を感じさせた時点で、敵対される可能性は覚悟するべきです」
「……御仏の教えはそのようなものではございません」
「では、両手を上げてここから出ていき、六角殿に慈悲を請われませ。恥も外聞もなく頭を下げ、殺さないでくれ、敵に回るつもりなどないと申し立てればよい」
「それは」
人払いをしてもらっていてよかった。
勝千代に対して好意的な永興でさえ、今の言葉には怒りを覚えただろうから。
だが興如は反論もなく黙り込み、逡巡した。
それは、長い時間を要する熟考だった。




