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春雷記  作者:
京都編

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19-1 伏見~山科

 今使える忍びの数は、弥太郎を入れて三人だ。弥太郎の手足となる二人を外すと、彼らの得意分野となる諜報に差し障る。

 この二人には、本願寺内で動いてほしいのだ。

 つまり、目の前の朝倉軍を調べる術がない。

 勝千代は、更なる増員を決意しながら、ため息を飲み込んだ。

 美味しそうな前菜が目の前にあって、食べたいのに、カトラリーがないから手が出せない……そんな感じだ。

 何もかもに手を広げても、結局一兎をも得ずになりかねない。

 今回は諦めるか、と奥歯を噛みしめた瞬間、すっと弥太郎の暗色の着衣の腕が顔の前に出た。

 今いた位置から下がらされ、何事と思って振り返ると、役人顔の忍びは闇の中でも重く光る眼で、勝千代には見えない夜に呑まれた場所を見据えていた。

「……忍びがおそらく四人」

 えっ?!

 ぎょっとして目を凝らすが、弥太郎の視線の向いている先は木々の闇が深いあたりで、はっきり言ってしまえば暗すぎて樹木が何本生えているかすらわからない。


 しばらくして、勝千代だけではなく供回りの皆が緊張で身を強張らせているうちに、がちゃがちゃと騒がしい音をたてながら朝倉軍の小隊は遠ざかっていった。

「……」

 そして勝千代にもわかった。

 というのも、その小隊が遠ざかっていく背中を見送っていると、わざとなのだろう、こちらの視界に入るようにふっと人影が月明かりの中に躍り出たのだ。

 そのひょろりと背の高い忍びは、律儀にこちらに向かって会釈をした。

 そして、どう考えればよいのかわからず瞬きを数回するうちに、その姿はかき消すように無くなってしまった。

 幻覚だったと言われれば、そうかと信じてしまいそうなほどに一瞬の出来事だった。


 呼吸を数回。更に瞬きをいくつか。

 たっぷりと時間を置いてから、勝千代の供回りたちは安堵の溜息をついた。

「……もう行ったか?」

「はい」

 勝千代の問いかけに、ようやく腕を下げた弥太郎が頷く。

「最後の目立ちたがりの顔を見て確信しました。風魔忍びです」

 どうやら知り合いだったようだ。

 誰かは聞かずに、「そうか」と頷いた。

 

 考えてみれば、当たり前だ。

 北条がこの周辺を警戒し、忍びを配置させているのは予測できたことだ。

 あとで聞けば、朝倉軍が何をしようとしていたのか教えてもらえるだろうか。

 いや、そんな甘えたことはできない。そもそも正しい情報を伝えてくれるかも定かではないし。

 やはり、忍びを十全に使うためには潤沢な資本力が不可欠だ。

 下京へ運ぶ米を買い付けた為に、さらにいっそう寂しくなった懐を思い眉を下げる。


 その後は、さしたる問題もなく東山の際から山科方面へ進んだ。

 一度歩いたルートだが、今は夜中だし、あえて踏みしめられた道を使っていないということもあり、勝千代にとっては初見だとしか言いようがない。

 転ばない事だけを念頭に、注意しながら前を行く者についていくだけだ。

 あの時は大人数で、しかも女子供も混ざった道中だったので、進行速度はゆっくりだった。

 だが今回は勝千代にとってかなり足早で、付いていくのが精いっぱいだ。


 どれぐらい歩いただろうか。一時間は頑張って歩いたと思う。

 無言で肩に手を置かれ、はっと息を吸った。

 顔を上げると、大人たちが皆で同じ方向を向いているので、勝千代もまたその方向に目を凝らす。

 墨色の法衣は、闇に紛れてはいるが、下に着けているのが白い着物なので、そこに誰かがいるという事ははっきりと見て取れた。


「永興殿か」

 勝千代がそう言うと、子供の甲高い声は思いのほか夜の森に響き、現れた一団の中から一人が歩み出て来て、丁寧に頭を下げた。

「お越しになるとお伺いし、お迎えに参りました」

「このような刻限にすいません」

「……いえ。昼間では難しかったでしょう」

 前回の別れ際の、割と親し気な口ぶりとは程遠く、永興の口調は重く、声もひび割れていた。

 本願寺の戦況は、それほど逼迫したものなのか。

 確かに炎上したとは聞いた。だが、あの要塞都市であれば耐える事が出来るだろうと勝手に考えていた。

 被害が大きいのか、などとは聞けない。

 あるいは主要な誰かが負傷するか亡くなるかしたのかもしれない。


「ご案内しますが、山科への抜け道になります。かなりの難所です」

「わかりました」

 勝千代は頷いた。

 

 悪戦苦闘しながら歩き続け、見かねた側付きたちに交代で運ばれるという選択も有難く受け入れ、たどり着いたのは山の中腹付近の沢だった。

 途中洞窟を通ったり小川を飛び越えたりと結構複雑なルートだったので、もう一度来るようにと言われてもひとりでは無理だと思う。

 ともあれ、山科の町を見下ろす山の中腹に出て、その開けた景色に息を飲んだ。

 山科は盆地で、本願寺はそのほぼ中央付近にあるので、見下ろすと言っても少し距離はある。

 だがそのぶん、本願寺の置かれた状況をはっきりとその目で見る事が出来た。


 火はまだ燃えている。

 夜だからはっきりとわかる。

 この距離から見えるという事は、まだかなりの火勢だということだ。

 本殿の被害はここからはわからないが、今炎が上がっているのは門前町一帯だ。

 そして、周囲を囲むように布陣して、その騒ぎを眺めている軍勢もはっきりと見て取れる。

 想像していたよりもずっと数が多い。

 

「六角の殿が総大将です」

 疲れたような永興の声に教えてもらうまでもなく、本陣とわかる部分から尋常ではない気配を感じていた。

 六角家の当主が?

 細川京兆家でも阿波でもなく、あえて山科を攻めてくるとは。

 いや、あえてではないのかもしれない。

 六角軍は、京に入る際にここ山科を通って来ていたのだ。

「退路を確保しておきたいのかもしれません」

 こんなところに仮想敵がいて、万が一にも退路を塞がれることを心配しているのだろう。

 勝千代の独白に、永興は一瞬口を閉ざし、それから「そうでしょうな」と長く息を吐いた。

18時更新はどうでしょう。

16時はいまいちな気がしました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 18時は帰りの電車で読めるから嬉しいですね! でも何時でも読めるだけで嬉しいです。
[良い点] 0時更新も朝起きて読めてとても助かるし、18時更新も仕事終わって読めるの嬉しいのでほんとにどっちでも嬉しいです!
[一言] 何時でも追います
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