18-3 伏見 争乱3
真っ先に「何故」と思った。
京を背に守る軍勢に動揺がないことも。町人の集まりが、頑強な門を破ったという事も。
数キロ先から地響きが聞こえてくると言う事は、側にいる者たちにはそれなりに大きな音が聞こえているはずだ。
それなのに、見た所まったく軍の構えは動かない。
あらかじめ織り込み済みだった? 懐に不穏分子を抱えての防衛戦を厭うて、邪魔な虫を排除した?
「……朝倉の大将の名は?」
「宗滴入道です」
入道? 勝千代は逢坂の答えに顔を顰めた。
どこもかしこも坊主だらけだ。
「宗派は」
まさか浄土真宗本願寺派だとは言わないよな?
「竜興寺にて得度されたと聞いております」
答えたのは弥太郎だった。
竜興寺? 天龍寺とは違うのか? 似た名前でややこしいな。
後から聞いたところによると真言宗らしい。まあ、越前あたりでは一向一揆が起こり、それはつまり現政権との対立だろうから、大将クラスがそこの僧籍にあるというのは違和感があるしな。
入道ということは、現当主ではないのかもしれないが、それにしても、一軍の将として京に陣を張るというのは相当だ。
朝倉家内でも相当な権力をもつ一門衆とみてまちがいないだろう。
「何か策があるのだろう」
勝千代は暗闇に浮かぶ松明の明かりに目をすがめ、町人が逃亡した先が山科方面だということにも引っかかっていた。
本願寺が炎上したと聞いた。どの程度の被害かわからないが、あの攻め難そうな高い土塁と壁に覆われた、城砦都市のような街のすべてが燃え落ちたとは想像しがたい。
まさか三条大門が落ち、そこから山科へ人々が逃走する事こそ目的か?
軍で寺を襲撃するための大義名分として?
考え過ぎだろうか。
「北側は?」
「六角軍が布陣しています。まだ何も見えないようです」
むしろ南からの軍勢よりも早期に発見されたのに、難所が多いせいか士気の問題かまだ到達していない。
これでは挟み撃ちの効果を最大限に発揮することができない。
合力するのであれば阿波の方から不満が出そうだし、椅子取りゲームをするのであれば、細川管領は先に阿波の者たちを使いつぶすつもりなのだろう。
まだ北条は立場を明らかにしていない。
どちらに与するにしても、最先鋒にさせられることは確か。どうせ乗らねばならないのなら、勝ち馬を見極めて乗りたいものだ。
ここまで考えてはっとした。
何故北条軍側の思考になっているのだ。
確かに遠山と並んで戦況を見守っているが、勝千代は北条に属しているわけではない。
まずいな。そのうち雰囲気で「我が北条」とか言ってしまいそうだ。
その北条の大将といえば、一緒に物見に出たがっているのを制し、本陣に押込めている。
重傷の怪我人なんだぞ。寝込んでいるのが当たり前だ。元気に歩き回っているのを見られると、いろいろとまずい。
「朝倉は、阿波が陣を整えぬうちに包み込みたいところでしょうな」
「阿波も不用意に京には攻め込めませんよ。横腹を北条に突かれてはたまりません」
「そうですなぁ」
伏見は位置的にはやはり京を守るに向いている。
阿波にしてみれば、やはり後方から挟み込まれることを厭うて伏見を先に潰したいところだろう。下京に矛先を向けるより先に、こちらを包み込んで潰す可能性も有り得る。
「国元からの御連絡は?」
「まだです」
大軍を眺めながら、どこかウキウキとした表情だった遠山が、勝千代の問いに渋い顔になった。
遠い小田原まで急使を送ったのは、左馬之助殿が行方不明になった十日ほど前だ。
後続の便で、負傷しているが無事合流したことと、北条家が護衛の兵をあつらえ送り込んだ義宗殿が、足利家の後継者として名乗りを上げたことも伝えたそうだ。
まだ京を囲んで大きな戦が起こる話は伝わっていないだろうが、義宗殿の件まではそろそろ届いているだろう。
それに対する返答は、計算上はあと五日ほどで伏見に戻ってくる。
あと五日? 五日も旗色を誤魔化せるとは思えない。
「心を決めねばなりませんな」
遠山の独白なのか決意なのかわからない言葉は、妙に勝千代の胸中の核心をついた。
この先の軍の方針を決める。
本国とは連絡が取れない状況での決断は、勝てばまあいいとしても負ければ全責任を負わなければならない。
あるいは、勝っても負けても厳しい叱責が待っている可能性もある。
あまりにもリスクが高く、しかも逃げるわけにいかない。
勝千代はまじまじと遠山の顔を見上げた。彼だけではなく、その周囲にいる男たちも皆、毅然とした表情をしている。
心を決めたのか。
勝千代もまた、決意を込めて無数の松明の明かりを見つめた。
北条がどういう道を選ぶにせよ、最後まで見守ろうと。
そして忘れてはならない、するべき事をするのだ。
一条権中納言様をお守りし、帝の第一皇子をお助けし、武士たちのお祭りのようなこの戦を生き延びる事。
おそらくこれから何百、もしかすると何千もの兵士が死んでいく。
そんな中、たった二人の御命をお守りするのだ。
そのためには、各軍の動きを予測し、その先を読み解かなければならない。
簡単な事ではなかった。




