18-2 伏見 争乱2
美しい光が闇夜に無数に浮かび上がっている。
ゴウゴウと鳴っているのは風の音。まるで嵐のように、木々の葉や背の高い草が揺れている。
足の裏から伝わってくるのは、唸るような振動だ。
大軍が動けば、現世のすべてが蠢く。
それはさながら、母なる大地の胎動のようだった。
「……ご予想どおりに、伏見を避けておりますな」
「返答を引き延ばしましたから」
北条軍へ届いた親書へは、本来であればすぐにも返答が必要だった。
だが都合よく南から軍勢が押し寄せてきて、うやむやになっているのが現状だ。
勝千代が小声で言うと、遠山が何度か頷き、安堵したように息を吐いた。
まだ安心するには程遠い状況なんだけどね。
北条の千という軍勢は無視できないが、不確定要素を嫌って潰そうとする可能性はある。
ただ、現状それをするよりも、目前の敵に対処せねばならないというところだろう。
どちらも、味方になる可能性があると様子見してくれている。
北で待機する軍勢は薄く広く包み込むような構え。
南から登ってくる軍勢は、街道沿いに細長く槍の穂先のような陣形だった。
見たところ、京を守るほうが優勢だ。
京街道西国街道伝いに昇ってきた蛇のような軍勢は、横の広がりがなく細長いが故に小勢に見える。
ただ、夜の闇に紛れ松明を持つ流れは地平線の向こうまで続いており、まだその全貌は見渡せない。
「朝倉が」
勝千代の傍らで、これまでぐっと唇を閉ざして発言を耐えていた三浦兄が、思わずという感じでつぶやいた。
今回押し寄せてくる軍勢に対峙しているのは、見た事のない旗印。
朝倉家の旗指し物を高々と掲げ、松明を持ち、陣を動かす気配はない。
今は夜だ。
それは大阪湾から登ってくる軍勢の到達時刻の問題だろうが、夜間ゆえにまだ両軍に接触はない。
互いに松明を焚き、手に手に高く掲げ、その存在を敵に知らしめて距離感を保っている。
夜が明ければ衝突するのだろうか。
勝千代は、腹の底から湧き上がってくる苦いものを飲み込んだ。
戦は嫌いだ。大勢が死に、その未来を絶たれる。
死体の吐き気を催す臭いも、恨みと恐怖をたたえた見開かれたままの目も。
四年前の曳馬の惨劇は、今なお悪夢にまで見る。
細川京兆家より先に、阿波の軍勢の方が先に京に到達した。
こちらも主要部隊が細川家。ややこしいので詳細は控えるが、もともと細川京兆家とは政敵だった。
だがしかし、横からぽっと出できた新たな足利を名乗る男に、納得もしなければその身分を認めることもなかった。
敵の敵は味方だ。
倒した後の事はともあれ、とりあえず合力して京を攻めるのだろう。
あるいは、早い者勝ちで椅子取りゲームか?
当初、勝千代の予想は伊勢殿の劣勢だった。
だが、朝倉が旗色を示したことにより状況は変わった。
いい勝負をするかもしれない。
兵力的にはそれでもまだ細川京兆家のほうが多かった。更には阿波からも挙兵され、ますます戦力差は広がっている。
ただ、伊勢側に大きな動揺はみられない。
南北から挟まれる状況。東側の六角領側に逃れる事は可能だが、普通であればのっぴきならない状況だと考え、離脱する者もいそうなものだが。
やはり朝倉か。
乏しい歴史知識では、この時代の朝倉家について学んだ記憶はない。
だが、どこで朝倉の名前を聞いても、皆がぎょっとしたような顔をする。
庶子兄の預け先だということで、我が家にずっと居座っている男から多少の事は聞いていたが、群雄割拠するこの時代、地方で一大勢力を築いているということぐらいしか印象はない。
片目で藪にらみの居候いわく、浪人にとって有望な仕官先のひとつではあるが、雪深い土地だということで敬遠されているらしい。
つまりは、かなりの国力を有し、強い兵力もある。今の季節柄、雪という足かせもない。
それから、西国だ。
西の方と言えば、一条家とも縁戚になる大内氏。かつては細川吉兆家と親密な関係だったと聞くが、今回はどういう動きをするのだろう。
西の名家として思い浮かぶのは毛利、尼子、山名らだが、毛利はまだ小国だし、尼子は国内が落ち着かないと聞いている。
伊勢殿と手を組むとしたら、どこだろう。
ドウンと何か大きなものが倒れるような音がした。
はっとして目を凝らすが、暗くて何が起こったのかよくわからない。
「関を破りましたな」
「関?」
逢坂老を振り返り、暗がりに浮かび上がるその皺顔を見上げてから、改めて周囲を見回す。
伏見の関は目前にあるが、北条兵がきっちりと固めていて異常はない。
つまりはそのひとつ前の淀の関か、京の関か。さすがに淀の関の破れる音は聞こえないだろう。
京の関が破れたにしては、下京を背に守っている朝倉の兵にたいした動揺はないが。
「破られたのは封鎖していた三条大門です。町人を中心に、町を脱出しているようです。皆山科方面に川を渡っています」
そう報告をしてきたのは、巨躯でありながら気配の薄い、風魔小太郎だ。
ちらりと目を配った弥太郎もまた頷いていたので、確かな情報だろう。
京で起きた暴動の目的は脱出で、彼らはその望みを果たしたようだ。
三条大橋が落ちた記憶は勝千代の中でも真新しいが、だからこそ警備も薄手だったのかもしれない。




