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春雷記  作者:
京都編

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18-1 伏見 争乱1

 事が起こるときは、誰かの都合に合わせてくれるわけではない。

 あらゆることが間を置かず一気に起こった。

 老人と別れた直後、弥太郎により下京で暴動が発生したと告げられた。

 もとより京の住人は自治意識が高い。幕府の力が弱すぎるということもあるが、自分たちで身を守ることに慣れている。

 武装した武士を相手にするのは厳しいだろうが、そのあたりは下京に足止めされていた武士たちが奮起した。

 市街戦になれば、地の利がある方が有利だ。

 乱戦混戦状態で、どうなっているかの把握は難しいが、混乱をきたしていることは確かだ。

 これに乗じて、下京からは大勢が脱出しているだろう。


 そして、松平。

 出立したのは夕暮れ時。下京の蜂起に北条軍も浮足立っていて、見過ごす以前の問題で十石舟が波止場を出ても誰も気にしなかった。

 ……訂正する。「北条軍」には見向きもされなかった。

 そうつまり、松平の祖父と孫を狙う何者かにとっては、いい機会だったようだ。

 波止場を出てしばらく川を下り、難所に差し掛かる前に十石舟の速度がいったん落ちた。

 そこには弓兵が隠れていて、川岸から雨の様に火矢が降ってきた。更には、混乱する船頭たちは水面に張られた罠に気づけず、難所で速度の上がった船は勢いよく転覆してしまったのだそうだ。

 

 その状況は夜のうちに勝千代まで届いた。

 まだ何人生き延び、何人流されたのかもわかっていない。

 この時代にも泳法はあるが、学校で泳ぎを習うわけではないので、まったく泳げない者も多いのだ。

 更には山科本願寺炎上。

 この件については、概要だけを聞いて、事実関係を調べるに至っていない。そこまで手が回らないともいう。

 そして極めつきは、細川京兆軍進軍。

 あと三日ほどで、その軍勢が見える距離まで迫っているのだそうだ。


 松平の件を聞いて、それだけで頭はいっぱいっぱいになった。

 だがしかし、山科本願寺や細川京兆軍についても、しっかり把握しておくべき事柄だ。

 寺を燃やすとは、伊勢殿らに迎合しなかった事への制裁か。

 細川軍の進軍も、大軍があと三日の距離とは近すぎる。

 朝倉が伊勢につき、そのほかにも全国各地の者たちが旗色を選択し始めている。

 そろそろ北条の方針も固めなければ。ずっとどっちつかずの状態でいるのは危険だ。

 ここ一両日中に、管領細川殿から北条軍へ親書なり使者なりが届くだろう。

 それについて、左馬之助殿はどう返答するのだろう。


「気づいてすぐに引き上げましたが、生き延びそうなのは三人です」

 そういって頭を下げたのは、逢坂の次男幸次郎だ。伏見の隣の宿場町で、騎馬隊を率いて待機していた。遊学に来ただけの勝千代には過ぎる護衛だと思っていたが、いてくれて助かった。

 松平の兵士が川に打ち上げられ、真っ先に事態に気づいたのは彼らだ。

 今のところ救い出せたのは少数で、その中にあの老人と若き当主の姿はない。

 とはいえ、見つけられない者たちが皆死んだとは思わない。今日の川の水量はそれほど多くはなく、流れは比較的穏やかだ。彼らが川岸のどこかに自力でたどり着く可能性はおおいにあった。

「昼間であれば、もっとよく探せるのですが」

「白髪のご老人か若いご当主が見つかればすぐに知らせよ」

「はい。総動員して探しています」

 逢坂老の難しい表情を受けて、その息子もまた眉間の皺を深くしながら頷いた。

 勝千代は、橋の上から見下ろしてきた白い蓬髪の老人を思い出しながら、折角誰ひとり欠けず下京を脱出したのに……と複雑な気持ちで目を伏せる。


「その、火矢を射たという者どもについては?」

「十名ほどが身を潜め火矢を射た痕跡は残っていましたが、それだけです」

 勝千代の問いかけに、幸次郎はしっかりと一度頭を下げてから返答した。

 松平家が家督関係でごたついていたのは四年前の事だ。今頃幕府に挨拶をしに来たという事は、その収束までに四年かかったとみていいだろう。

 そして、それに納得できていない者が今回の襲撃を起こしたのかもしれない。

 どこもかしこも……物騒極まりない世の中だ。


 結論を言うと、この数時間後に次郎三郎殿が、翌朝日が高くなってから祖父の方は見つかった。

 次郎三郎殿は半分おぼれかけの状態での救助だったが、老人のほうは酒井ともども濡れネズミの状態で、自力で川岸を歩いている所を発見された。

 逢坂もだが、いい年をして元気なことだ。生命力が格段に強いのだろう。そろそろ神仙の域に達しているのかもしれない。


 それらの事はすべてまた聞きで、実際に彼らの無事な姿を目にしたわけではない。

 勝千代の方も、それどころではなかったのだ。

 北条の本陣に使者が来た。

 何故知っているのかはお察しだ。

 難しい顔をして二通の封書を見下ろしている主従の元へ連れて行かれ、勘弁してくれと内心でつぶやいていた。

「おお、お勝殿」

 顔を上げた左馬之助殿が、へにょりと眉を垂らしてこちらを見る。

 そんな捨て犬のような顔をされても困る。部外者の勝千代に何をさせようというのだ。

 ため息を飲み込み、作法通りにきっちりと礼をして。

 こういうのは遠慮したいとはっきり言った方がいいのだろうな。

 だが、頼られたら嫌といえない日本人なのだ。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 冬の「逢坂老」では、逢坂の次男は久次郎じゃなかったけ? またこの時代のややこしい名前の通称?なんかな…ムズカシイ [一言] 毎日更新を楽しみにしてます。 日々の癒やしです。 まだまだ暑…
[一言] この後の展開ですか…なんか怖いですね。 下手すると、一時的にですが、北条・今川・松平のミニ三国同盟となりますので。 更に一般兵が少ないだけで、優秀な武将クラス・当主級クラスが何人も… こ…
[良い点] 史実よりも10年程早い展開ですが、当時の都の緊迫感が伺えます。 [気になる点] 六角が山科を焼いたのは史実通りですが、細川と敵対させたのね。細川どう動くんだろう。後本願寺はやはり架空の興如…
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