17-5 伏見 松平1
うわぁ。
その老人を見た瞬間、勝千代の頭の中はひたすら「うわぁ」だった。
何と表現すればいいのだろう、すなわち「うわぁ」だ。
伝わるだろうか。普段から武闘派な男たちに囲まれていてもなお、その歴戦の武者のにじみ出る荒々しい雰囲気に圧倒される。
一度でもその老人を目にしたことがあれば、誰もに同意してもらえるだろう。
ぎろりと勝千代を見る三白眼の目力は強く、真っ白の眉は逆立っている。
髷? そんなものはない。 総髪? いや蓬髪か。髪もまた真っ白で、結わえられてもおらず、伸ばし放題で背中まである。
一応法衣らしきものを身にまとっているが、入道といってもいいのか微妙なところだ。
「福島勝千代に御座います」
かなり独特の人物だが、年長者には礼儀正しくをモットーにしている。
勝千代がしっかりと深く頭を下げると、一重なのに大きな目玉が品定めをするように見下ろしてきた。
「……見た顔がおるな」
その声もまた特徴的で、野太くしわがれていた。
勝千代は年経て枯れたその声に顔を上げ、小首を傾げる。
老人の目は、傍らに立つ逢坂老を見据えていた。
どちらが年長なのか、見ただけではわからない。ただ、同じ年代を生きてきたのは確かで、隣国故に、実際に矛を交わしたこともあるのかもしれない。
逢坂老も特に構えた風もなく、視線を外すことなく会釈をかえした。
表面上は穏やかだが、漂う空気はひんやりしている。
「はじめてお目にかかります」
声変わりをしたばかりのような声がして、強烈な印象の老人の傍らから、打って変わってさわやかな少年が姿を現した。
いやずっとそこにいたのかもしれないが、老人の気配が強すぎて視線を総なめにしていたのだ。
「松平次郎三郎と申します。こちらは祖父の道閲です」
年齢的には中学生ぐらいか。背が高く、肩幅も広く、成長期特有のまだ伸びしろがある雰囲気。にこやかな笑顔もさわやかで、人当たりの良さそうな少年だった。
「この度は御手を煩わせて申し訳ございません」
「ご無事で何よりです」
にこりと白い八重歯をのぞかせ微笑まれると、ついこちらも笑顔を返してしまう。
「幾度か舟改めにかかりそうになりましたが、船頭が難なくかわしてくれました」
舟改め……つまり検問か。そろそろ川ルートも厳しいのかもしれない。
松平の祖父と孫は、護衛もなく二人きりで十石舟に乗って伏見まで逃れてきた。
とはいえ、孫はよく身体を鍛えているように見えるし、それよりもなお、かくしゃくとした祖父のほうが強そうだ。
波止場まで迎えに出た酒井が、その無事な姿に表情を緩めた。
やけに強者感満載の老人であるが、けっこうな年齢なので不安になるのもわかる。
酒井に案内されて宿へ向かう祖父と孫を見送ってから、勝千代は真後ろに立つ弥太郎に問いかけた。
「舟改めか」
「かなり厳しいようです」
まだすべての船を止めているわけではないらしいが、全面禁止になるのも時間の問題だろう。
「そろそろか」
「はい。そろそろだと思います」
下京の人々の不安はますます強くなっている。
唯一の外部からの救援がなくなり、それと同時に脱出経路も塞がれた。
京に滞在中だった地方の者たちがまず黙っていまい。
下京には、他国の兵たちも合流しはじめている。その物々しい雰囲気に囲まれて、ろくな武装もなく、下京から出ることもできないとなれば、そろそろ我慢も限界に達するだろう。
町衆たちの不満とも連動して、大きな動きになるのではないか。
「松平が伏見に逃れてきたという事は、うまく行かないと見ているのだろうな」
「残る兵たちは、個々分散して関を越えるようです」
通常なら難しいが、北条軍が見逃すと言っていたから、なんとかするのだろう。
そのあたりは自己責任でお願いしたい。
事が起こったのは昼過ぎ。
勝千代がまた遠山の相手をさせられている最中、弥太郎がすっと一礼して部屋に入ってきた。
「伊勢が一斉の取り締まりを開始しました」
川を遡行してくる舟を止め、乗せていた米俵は取り上げ、引き返させているそうだ。
そしてそのことに反発した町衆と、波止場で睨み合っているとか。
耳元でささやかれたその一報に頷きを返し、きょとんとした表情をしている遠山を横目で見る。
おそらくこの男も予見していたはずだ。
ボロボロと逃亡者が出てくると、それを止めに掛かるのは必然。
遠山が松平の兵士を見逃すよう手を打ったことも、伊勢殿へのプレッシャーだと思う。
勝千代と全く同じことを意図している。
「動きましたよ」
勝千代がそう言うと、遠山は「そうですか」と驚いた様子もなく頷いた。
「あとは伊勢様次第ですな」
これ以上の離脱者をどうおさえるか。
下手な事をすると、地方に大量に敵を作ることになる。
「人心が離れていくのを防ぐことも急務です」
「おっしゃいますなぁ」
遠山は「ふふ」と笑い、顎をさすった。
「確かに、食う物がないと人の心は離れますからな」
伊勢六角軍は、つい数日前までは京を守る者として見られていた。
しかし町の出入りを塞ぎ、食料の補給も満足にできていない今、この問題を早急に解決しないと暴動が起きるだろう。
「これだけ元手が掛からぬ兵糧攻めも珍しい」
「そんな、兵糧攻めだなどと」
「攻めどころが絶妙だと思いますぞ」
違うとは言えないか? 囲むのは敵方。攻めるのは彼らが守る本丸。
内側から崩すために米を利用した。……まあ確かに、兵糧を断ったと言えなくはない。直接絶ったのは、伊勢陣営だが。




