16-4 伏見 特使4
「湯浅殿」
勝千代はあえて亀千代の詰問に応じなかった。
視線も直接にはあわせない。顔を見るとどうしても父や幸松を思い出し、手を緩めてしまいそうになるからだ。
故に話しかけるのは湯浅一択。
「親族に裏切られ、このような有様にさせられた左馬之助殿の状況をお察しください。いまだ家中には裏切り者どもがいるやもしれません。周囲の詮議がすみ、事が解決するまでは誰一人として近づけるわけに参りません」
特に声を張ったわけではない。
ただ、子供の声はトーンが高い故によく通る。
左馬之助殿の肩に触れて「動くなよ」と圧を掛けつつ、つまりは若干前のめりな姿勢。
幼い子供の小賢しさというよりは、大人相手に懇願しているように見えるだろう。
「それとも、責任をとっていただけるのでしょうか」
若干声の調子を落として、困ったような、立ち尽くしている大人側に問題があると感じさせる口調で続ける。
「重傷の左馬之助殿に万一のことがあれば、どうなさるおつもりですか? そこな御医師ともども、特使殿全員が詰め腹を切って責任を取ってくださると?」
湯浅殿は表情を渋くし、亀千代はますます顔を赤黒くさせた。
残りの者たちが怯えたようにきょろきょろと視線を動かし、側に立っていた遠山や、左馬之助殿の側付きたちから若干距離を置く。
隣室に刀の柄に手を掛けている護衛たちがたんまりいることに気づいた者もいるのかもしれない。
「どのような些細なことでも見過ごせぬ状況なのだとお察しください」
勝千代は静かにそう言いつのり、視線を医師の方に移した。
「何も左馬之助殿の御容態を診せぬと言うているわけではございませぬ。ただ、触れぬという条件は飲んで頂きます」
じーっと怪しい動きをした手を見つめてやる。
やはり何か隠し持っているのだろうな、拳にした手が若干震えている。
「北条家と敵対することになってもよいのであれば話は別ですが……湯浅殿にその決断は任されておいでなのでしょうか」
そんなわけがない。
伏見という要所にいる北条軍が敵になっては困るから、湯浅は左馬之助殿の状態を見に来たはずなのだ。
医者は刺客かもしれないが、万が一の場合の保険のはずだ。湯浅の判断で、その拳のなかにある毒か何かで左馬之助殿を始末する予定なのだろう。
もちろんそんな事になったら、北条本陣の真っただ中にいる特使たちの身は安全ではない。
ますます顔から血の気を失せさせたのは、怯えた医師だ。
「おのれ、何の権限が合ってそのような事を」
それは勝千代の方が聞きたいぐらいだ。
ちらりと見上げた亀千代の声は低く、やはり父によく似ていた。
声変わりが来れば、勝千代も同じように低い声になるのだろうか。御屋形様の声も悪くはないのだが、やはり重低音の太い声に憧れる。
「従甥であらせられます」
黙った勝千代に代わってそう答えたのは遠山だ。
「今川修理大夫様は左馬之助様の御従兄に当たられますので」
いや、鼻息を荒くしてまで言う事ではないぞ。
勝千代にしてみれば、福島の父の嫡男とだけ覚えてもらえばいいのだ。
「それに、当たり前の事しか言うておられませぬ。安静が必要な怪我人に、不躾な訪問をなさっているのはそちらの方では」
本格的に怯え始めた医師が、浮かせていた尻をペタンの床の上に落とした。
さっと亀千代が腰の刀に手を置いた。つられるようにして、残りの特使団の者たちも刀の柄を握る。
ああ駄目だ。ここでそれはまずい。
潜んでいた左馬之助殿の護衛たちが一斉に抜刀したのが分かった。カチャリカチャリと勝千代の耳にも聞こえるほどの音量だ。
左馬之助殿の寝所にまで来る訪問者の刀を取り上げないのは何故だろうと不審だったが、これが答えか。
入る前にひと言「腰のものをお預かりいたします」と言って面倒ごとを回避しようとするのではなく、相手が尻尾を出すのを待つスタイルだ。
「待たれよ」
焦ってますます警戒態勢にはいった特使団の中にあって、そのリーダーである湯浅はまだ平静を保っていた。
「我らは争いに来たわけではない」
両手を肩の高さに上げるポーズといえば、降伏が定番だが、今回はそうではない。今にも騒動に発展しそうな双方を宥めるためだ。
湯浅はその場にドシンと音をたてて腰を下ろした。
そして、警戒する配下のものたちにも座るようにと指示する。
「御殿医殿、左馬之助殿を」
「………はっ、はい」
診察といっても、脈も体温も確かめる事が出来ないので、視覚に頼るしかない。
怯えた医者の視線が唸る芝居を忘れた左馬之助殿の様子を探り見てから、ちらりと臥所の側に控える北条方の医者の方に目を向ける。
「御熱は?」
「……少々高こう御座います」
「脈拍、息遣いは? 肺に音などは混じっておられぬか?」
「脈拍も若干早いですが、許容範囲内です。そのほかに異常はみられませぬ」
「どのような薬を?」
顔色が悪い医者たちの現状確認が続き、やがて双方納得したように頷いた。
「御容態は回復傾向にむかわれているということですな」
「はい。もとより頑丈な御方ですので。今の熱が下がれば問題はなく、上がり続ける事を警戒しています」
御殿医だという池内医師は、左馬之助殿への刺客だったのかもしれない。
だが、実際その行為に熟練しているという程ではなく、本職はやはり医者なのだろう。
二人の会話は淡々と続き、やがて終わった。




