方便という便利な言葉がある
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2022年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
仏教用語に方便というものがある。
本来の意味は「真実の教法に誘い入れる為に仮に設けた教え」である。
仏が衆生に真実を明かすまでの一時的な手段とも言われる。
それが俗な解釈をされた結果
「目的を達成する為に利用する、他の手立て」
のような使われ方をするようになった。
宇宙浴場開発班は窮地に立たされていた。
組織改編後は、日本の宇宙ステーション「こうのす」の計画面で、より口出しをして来るNASA。
そのNASAは宇宙での食糧生産能力の向上に重きを置いて、他の計画はバッサリ切り捨てるだろう。
何せ、物理・化学実験モジュールすら
「今更このレベルの実験設備、必要か?」
なんて言い放ってもいる。
日本の科学の発展の為にそういう施設も必要だという事で完全廃棄こそ免れたものの、必要時以外は切り離してランデブー飛行状態とし、必要な時だけ接続するなんて運用法も提案されている具合だ。
既存のモジュールすらリストラの危機にある。
まして「宇宙で浴場」なんてモジュールが真っ先に計画中止とならない事があろうや。
どんなに政治的な裏技を使っていても、最終的には宇宙ステーション運用部門が決める。
彼等を納得させる材料が欲しい。
「方便という便利な言葉がある。
宇宙浴場の為に、別な目的を付与しよう」
既に案は出ている。
温室とし、そこで果樹なんかを栽培する。
その温室に浴場を設置するというものだ。
「これではまだ足りない。
もっと浴場の方を薄めて、食糧生産の方が目に留まるようにしないと!」
「一応聞きますが、あくまでも本当の目標は浴場ですね!」
「その通りだ。
世の中には、手段そのものが目的になってしまう本末転倒な人たちがいる。
我々はそうはならない。
我々は王道を歩む。
決して目的を忘れてはならない。
目的の為の手段、あくまでも方便である事を胸に刻んでおくように!」
思わず敬礼を捧げたくなるような熱い演説であった。
宇宙浴場班は、「こうのす」運用チームの中の僅かに2名に過ぎない。
しかし密かな協力者や、技術的に協力とまではいかないものの意見を出してくれる者や、スポンサー的な存在も含めて10人程のチームに非公式に成長した。
それでも少数精鋭である。
自分たちが異端者である事は承知の上で、かえってやる気に満ち溢れていた。
その彼等が通常の仕事の後、寝る間も惜しんで新しい計画を纏め上げ、秋山に提出する。
「食糧生産プラント兼熱帯植物生育実験モジュールね……。
なるほど、アメリカが意見を聞かざるを得ないものに落とし込んだわけですね」
秋山は思惑は全部見抜いている。
その上で、ここまでやって来たものを無碍には出来ないとも感じた。
正直、簡単に却下なんか出来ない内容になっているのだ。
「まずはバナナの栽培ね」
バナナは生育適温が20~30℃である。
これは宇宙ステーションの室温よりも高い温度だ。
バナナは炭水化物を多く含む果物である。
実が成ったら、そのまま食べても良いし、アフリカ料理なんかは食材としても使用出来る。
温度の条件を除けば、理想的な食糧と言えた。
この栽培実験に、台湾やフィリピンからも研究者を受け入れるという、友好国優遇という政治的な面もフォローする抜け目の無さである。
「あと、アボカドの栽培、水耕も可か……」
アボカドもまた熱帯の果実である。
生育適温は15~33℃とやはり宇宙ステーションの他の部屋よりも高めとなる。
アボカドは栄養価が高く、食糧としても有用だ。
「森のバター」と呼ばれる程、脂分が多く、マグロの代用品として巻き寿司に使用出来る。
本当はマグロが食べたい、しかし宇宙でマグロを養殖するのは困難だ、ならば補給された新鮮な物を使い切った後は、代用品を使う事になるだろう。
政治的にも、産地の一つメキシコに協力を仰ぐ事が出来る。
「そしてコーヒー豆の栽培実験。
アメリカ人のツボも突いて来ましたね」
コーヒー豆は、コーヒーベルトと呼ばれる北回帰線と南回帰線の間で生産される作物だ。
これを一から育てる実験と、既に育ったものを植えて、豆を採取して使用するものとの二本立てである。
娯楽の少ない宇宙では、嗜好品であるコーヒーに妙にこだわるようになるという報告もある。
それはコーヒーの環境が整っている「こうのす」ならではの現象かもしれないが、「こうのす」ではない国際宇宙ステーションでさえ「無重力用エスプレッソマシン」なんて開発されている。
アメリカ人もコーヒーには中々うるさい。
熱帯植物のコーヒー栽培よりも、宇宙で収穫出来るという事に興味を持つだろう。
そしてちゃっかりと、アメリカのコーヒー会社とも提携交渉を行っている。
「こうした熱帯のような環境を再現する為に、電気を大量に使用するエアコンではなく、宇宙ステーション全体の熱を利用する。
ラジエーターを使って宇宙に放熱する以外に、水冷として、その温水を巡らせる事で高温多湿を保つ事が出来る。
これは増築に伴う排熱問題を解決すると共に、その再利用についての実験ともなり得る」
ここまで来れば思惑が表に出て来る。
伊豆のバナナワニ園が温泉の熱を使っているのと同じだ。
温泉、即ちしっかり入浴にも使用出来るのだ。
「熱帯植物を見ながらの入浴で、心身をリフレッシュさせる。
浴室は温水の温度調整用のプールとしても利用する。
これが本命だな」
秋山はこの無駄な構成能力に呆れるやら感心するやら。
ただ、説得力はある。
食糧生産、基礎実験、余計なエネルギーを使わない、それら全てをフォローした。
アメリカも検討するであろう内容の濃さであった。
この計画案はNASAにも提出され、思った通り無駄な凄さに呆れつつも、内容には興味を持たれた。
NASAの方も
「ここまで執念深いのなら、やらせてみても良いかな。
確かに単なる趣味だけのモジュールからは一線を画したものだしね」
となっている。
この「宇宙浴場」計画のリーダーは、その後「極めて有能な、計画擦り合わせ調整能力者」として出世する事になるのだがそれは後々の話としよう。




