第89話 離婚届
家に帰る頃には鈴はまた眠ってしまっていた。
鷹也は鈴を布団に寝かせ、しばらくその寝顔を見ていた。
そしてリビングに行き、今日の探偵の報告を思い出しクッションに顔をうずめ声が漏れないようにしてまた泣いた。
自分が離してしまった手。
彩は必死に掴もうと思っていた。
だが鷹也はそれすら叩いた。
彩は奈落に落ちていってしまったのだろう。
それを鷹也は冷たい目で見ていた。
男がいるなど当然の結果ではないか。
彩は強い女だと誰が決めた?
行く当てのない身だ。
風俗に転身していたとしてもおかしくない。
それを彩は清く正しく、働きながら鈴の成長を願っているだろうなどと都合のよい解釈だ。
彩は自分を裏切った。
だがそうさせたのは自分だ。
そして今回も。
自分が先に見限っておいて、自分は見限られないだろうとこの三ヶ月思っていたなんて甘ったれもいいところだ。
泣いている彩にペンを持たせ、離婚届を書かせた。
彼女がどんな気持ちで書いたのか?
激情の赴くまま家を追い出した。
見限られて当然だ。
嫌われて当然。
恨んでいるだろう。
憎んでいるだろう。
鷹也はソファに寄りかかり、暗い暗い天井を見上げた。
「離婚届……」
そしてゆっくりと立ち上がり、今は母親の部屋となってしまった元自室に戻り引き出しを開けた。
一番上に封筒に入った離婚届。
まだ彩の名前しか記入されていない。
鷹也は自分の名前も他の必要な箇所も書き入れていなかった。
それをしばらくジッと眺めていた。
「出してやらなきゃ、困るよな」
それはそうだろう。
彩は住所の移転も出来ない。
国民健康保険にも入れない。
わかり切ったことだ。
だが、鷹也はそれをたたみ、もう一度封筒に入れて引き出しを閉じた。
「もう一度だけ声が聞きたい。連絡先も聞きたい。鈴に将来会わせるチャンスを作ってやりたい」
鷹也は離婚届を提出しないことによって、彩が困り連絡してくることを期待した。
そこで鈴のためにせめて連絡先でも教えてくれと交渉するためのきっかけにすることにしたのだ。




