第81話 味気ない美酒
18時の終業時間となり、鷹也は鈴の待つ家へと帰って行った。
今日は金曜日なので、鈴の面倒を見てくれている母親も、鷹也の帰りと同時に実家へと帰ってしまう。
鈴と二人きりの夜。
明日は二人で旅行。その日はそれを楽しみにしていた。
鈴もお気に入りのリュックサックにたくさんのおもちゃを詰め込んでいた。
「おいおい。おもちゃで遊ぶ場所はないぞ?」
「えへへ」
「えへへ、じゃねぇやい。重いだろ?」
「えへ。疲れたらパパが持てばいいんでちよ!」
「オレ頼りかよ……。まぁいいか。バギーもあるしなぁ」
ベビーバギーはベビーカーより軽量。荷物を掛ける場所もついている。それに鈴を乗せてある場所を散策するつもりなのだった。
鷹也が帰ってしまった後は近野が課員たちをまとめ、しばらく残業をしていたが20時には全員帰路につき、近野も会社を出て行った。
向かうは行きつけのおしゃれなバー。
いつものカウンターの壁側の席に腰を下ろしいつもの酒を注文した。
マスターが彼女の前にグラスを置く。
それと同時に、彼女の横の席に「予約席」という札を置いた。
「ちょっと。マスター」
「え?」
「なに、ここ予約席なの?」
「え? ええ。立花さんの」
「え? あいつ来るの?」
「いやぁ。いつも来られるんで……」
「やだぁ。あいつ今日は来ませんよ」
「そうなんですか?」
「……うん。仕事で直帰するって言ってたから」
「……そうですか」
それでもマスターはその予約席を下げようとはしなかった。
近野もしばらく黙って飲んでいたが、二杯飲むと立ち上がった。
「おや。お帰りですか?」
「うん。まぁね」
「立花さん来ませんでしたね」
「そうね。来ないって言ってたし」
近野はマスターに笑顔を送って会計を済ませて店の外に出た。
そして少し体を伸ばして呟いた。
「ま、明日会えるしね」
その言葉の意味するところは、立花への正直な独り言だったのかもしれない。
しかし彼女は気付きもせずに帰路に着く。
足取りは軽かった。少しばかりウキウキしている。
明日の服を選ぶのも楽しみだった。




