第78話 シゲルの小さな引き出し
その日の仕事も終え、彩はシゲルの部屋に入って行った。
いつもの雑談。二人で昔話を話し合う。
くだらない昼の番組でやっていた芸能人のゴシップ。
しばらくそんな話をしていたが、彩の顔から笑顔が消えた。
シゲルは黙って彩の茶碗にお茶を足し直した。
「あの……。夕方に探偵を名乗る男がやってきまして」
「うんうん」
「前の旦那が再婚するらしいんです」
「ほう!」
「ええ。娘も小さいし……。こうなるって分かっていたんですけどね……」
「……それだけじゃないんだろ?」
彩は小さく頷いた。
「奥様になられるかたが、私の過失に対して慰謝料と養育費、探偵の調査費用まで支払うように言ってるらしいんです」
「ふぅん。アンタの旦那も最低のヨメを掴んだね。アヤちゃんを捨ててそんなのと一緒になるだなんてさ」
「でも……」
「うん」
「娘にとっては必要な人になるのかも……」
「フン……」
「シゲさん、私、ここをでてちゃんと働きたいと思うんです」
「なんだい。ここの給料じゃそりゃ不足だろうねぇ」
「いえ、シゲさんの好意には充分甘えさせてもらってます。副業も考えましたけど、そうするとどうしても夜の仕事になっちゃいますしね。娘にそのお金を渡すのもどうかなぁと……」
「なんだい。私の昔の仕事はスナックのママだよ? 私への当てつけかい」
「そういう訳では……」
そう言って彩が顔を伏せると、シゲルは立ち上がって戸棚に足を進めた。
そして、小さな引き出しを引いて、取り出したものを彩の前に置いた。
彩が顔を上げると、預金通帳が三冊。そして実印が置いてある。
「全部で800万入ってる。いいかい? 上げるんじゃないよ。貸すだけさね。慰謝料は一括で払わないとダメだろうからそこから払っておくれ」
「シゲさん。これは頂けません」
「言ったろう? 貸すだけ。後は返してくれりゃいい。弁護士が来たらサッと払って追い返しちまいな!」
「……シゲさん」
「……フン」
「シゲさぁん……」
彩は泣き崩れてしまった。
シゲルは立ち上がり、その背中を優しくなでてやった。
「これは、私が置き去りにした子どものために貯めてたやつさね。それも叶わないなら、将来もし孫に会えたらって希望を持ちながら……。でもいいんだよ。アヤちゃんが来てから私も楽しくて仕方がない。ここにいれるだけいて欲しいんだよ」
「ありがどうございばす……」
彩の感謝の言葉はうまく言葉にならなかった。
彩はシゲルの通帳を預かったが、その待つべき弁護士はなかなか現れなかった。
しかし、鷹也へ電話して確認するのもはばかられ、ただ使者を待ちながら仕事を続けた。




