第77話 矢間原の赤心
彩は買い物の為に矢間原の横を通り過ぎようとした時だった。
矢間原は彩の腕を掴んだ。
「嘘でしょ。死ぬような性病だなんて」
「……クラミジアです」
「クラミジア……」
「ごめんなさい。もう行かなくちゃ」
矢間原は彩の腕を放そうとはしなかった。
「あの……。痛いです」
「正直、混乱しています。どうしていいか分からない。でもあなたを好きな思いもあるんです」
「ダメです。こんな女に惚れちゃ」
「過去の話なんて……」
「え?」
「オレくらいの歳になれば、どんな人だって男性経験がある人と付き合うでしょう。そんな中で心ならずも性病に罹患した人もいるでしょう。それを知ったからって、今付き合ってる人を嫌いになるでしょうか? なる人もいるかも知れない。でもそれは過去の話なんだ」
「え、え、ちょ、ちょっと」
「アヤさんの過去には前の旦那さんと結婚した過去も浮気してしまった過去もあるかもしれない。でも、さっきの男に慰謝料も養育費も払うって言った言葉もちゃんと聞いてました。過去を償おうとする気持ちに嘘はないんでしょう」
「え、ええ」
「あなたは、また浮気をするような女性じゃない。オレはそう思うんです」
「……はい」
「病気は……治して行きましょう。養育費だって一緒に払って行きましょう。オレと付き合ってくれませんか?」
矢間原の気持ち。
優しい男だ。彩の目からまたも涙がこぼれた。
先ほど泣きつくしたと思った涙。
だが、うれしくてこぼれる涙だった。
暖かく嬉しい涙。
もう一度、人生をやり直せるかも知れない。
だが、彩は矢間原の腕を振り払った。
「何が分かるって言うんです?」
「え?」
「ただ、いい子の皮をかぶってるだけです。そうやってシゲさんによく思われたいから。追い出されたくないから。前の旦那に追い出されるような女ですよ? したたかな女なんです。矢間原さんの買い被り過ぎ。矢間原さんはもっと審美眼を磨いた方がいいですよ。仕事があるんで失礼します」
そう言って彩は矢間原に背を向けて歩き出した。
だが彩は矢間原に見えないように泣いていた。
矢間原の気持ちが胸に響いた。
しかしそれを受けてはいけない。
受けたらダメな自分がもっとダメになる気がしたのだ。
「はぁ。男の人ってホントにわかんないよ。こんな汚れた女が好きだなんて。そんな人はもっともっといい女の人と結婚するべきよ。私なんかにもったいなさ過ぎて……」
彩は涙を拭いてスーパーへ入って行った。




