第59話 間違いは誰にでも
仕事が一段落した彩は自室に戻り、小さい安い机の前に突っ伏した。
顔を上げるとそこには優しかった夫と娘の写真が入った写真立てがある。それに彼女は楽しげに話し掛けるのだった。
「スズちゃん。何してる? ちゃんとご飯食べてますか? ママがいなくても寂しくない? 強い子だもんね。大丈夫だよね」
そう言いながら寂しそうに笑った。そして、夫であった鷹也の方に目を移す。
「……あの人……。どことなくタカちゃんに似てる。でも全く別な人。強引だし、女慣れしてるっていうか……」
と彩は、笑っている鷹也の写真に近づけた。
「分かってるよぉ。一人で生きてくって決めたもんね。お金も貯める。受け取ってくれないかもしれないけど、将来スズに渡すんだ。タカちゃんからもらったお金、もう絶対使わないからね。……タカちゃんは……もう好きな人出来たのかなぁ」
その時、部屋のドアが二回ノックされ、彩はその音に反応して返事をした。
「はい?」
「あたしだよ。シゲ」
「ああ、どうぞ。今、カギを開けます」
彩がドアを開けると、寮母のシゲルが微笑んだ。
彩はそれを迎え入れて雑談に興じるというわけだ。シゲルは彩が出したお茶をすすりながら、彩の家族の写真を見た。
「それが、前の旦那さんかい」
「そうです。そして娘のスズ」
「優しそうな人じゃないか」
「そうです。優しくて頼りがいのある人でした」
「ふふん。でもアンタを追い出すなんて碌なもんじゃないね」
「いえ……」
「ん?」
「私が、間違いを犯してしまって……」
シゲルは静かに湯呑みを置いた。
そしてゆっくりと語りだす。
「間違いを犯さないなんて者はないさ」
「そんなことは……」
「あたしゃね、若い頃お見合いで結婚してた。子供も男ばっかり三人。旦那はね優しい人だったよ。とっても」
「そうだったんですね」
「でもね〜、お姑さんが厳しい人でね、喧嘩ばっかり。旦那も今で言うマザコンってやつでさ。向こうに何も言えないはおろか、あたしに逆らうななんて言ってね」
「あらら」
「家の中に大きな敵がいるってのは辛かったんだよ。今でこそ精神病とか何とか言われるけどさ。姑に耐え、無関心な旦那に耐え、家族の食事を支えて育児をするってのに疲れちゃったんだよね。逃げ出しちゃったんだよ。子供を置き去りにしてさ。気がついたら遠くの街にいてね。戻らなきゃって思っても戻れなかった。そこで体売ったりしてお金稼いで小さいスナック開いて、そこそこ儲けがでてねぇ。気がつきゃ15年。さすがに子供にだきゃ詫びようと思って今までの稼ぎそっくり持って、あの家に戻って物陰から子供が出てくるのを待ってたんだよ。そしたら、末の子が高校生くらいだったかねぇ。出てきてさ。声を掛けたって誰だか分かんないよ。そりゃそうさ。自分の素性を言ったら散々罵られてねぇ。その家にはもう後妻さんがいたんだよ。息子はその人をずっと本当の母親だと思ってたんだよね。そしたらこんなしょぼくれた派手な女に来られちまって。ふふ。傷ついたろうね。傷ついたろうね。馬鹿だよ。あたしゃ。大馬鹿だ」
彩はシゲルの壮絶な話に黙ってしまった。
「自分の家族みんなに迷惑をかけた。知らないうちに籍を抜かれるなんてボヤっとしたヤツだよ。きっと実家の両親をなじって離婚届を書かせたんだろうねぇ……」
「そうだったんですね……」
寮母のシゲルは、寂し気な瞳を彩へ向けた。
「もしもアヤちゃんが、ここにいたかったらいつまでもいていんだよ」
「ありがとうございます……」
「タハ! なんか他人だと思えなくてねェ。孫みたいだよ。ホントに」
「ふふ。私も、もう肉親と呼べるのは娘しかいなくって」
「へぇ! ……似てるねぇ。あたしたち」
「ホントですねぇ」
二人はまるで生き別れた祖母と孫のように話すのだった。




