第35話 一人での儀式
二人が出て行く。
小さい鈴を後部座席のチャイルドシートに鷹也が乗せる。
鷹也は彩の方を振り返った。
彩はわずかに笑って手を振っている。
鷹也もそれに小さく手を振った。
鷹也の軽自動車が出て行った。
鈴は体が固定されているので首だけ動かして母親を見ていた。
母親は……。
母親だった女は、家の中に入って行った。
「さぁ〜て。最後のご奉公」
彩は午前中一杯かけて家中を掃除した。
「会社のお偉いさんなタカちゃんに汚い家事はさせられないもんね」
鷹也に生ゴミの処理をさせたくないと、汚く滑ぬめる三角コーナーを処理する。
そして、トイレの掃除を跪いてピカピカにした。
風呂場。髪の毛や垢の塊がベロベロにつまっている排水溝や配管。それをキレイに洗浄した。
黒いカビも紫色のカビも力の限り落とした。
それから自分の荷物をまとめる。
持ちきれない衣服はダンボールに入れ「捨てて下さい」と貼り紙をした。
鷹也から貰った宝飾の数々。
これも一つにまとめて、「お返しします。売るか捨てて下さい」と貼り紙をした。
結果小さい旅行用バッグほどの荷物しかなかった。
彩はそれを持って玄関まで向かったが、もう一度戻って来た。
鈴との寝室。本棚の一番とりやすい場所に家族のアルバムがあり、それを開く。
そこには明るく笑う鷹也と鈴の写真の数々。
「タカちゃんのパソコンにデータ入ってるから……。このアルバムはもらっていってもいいよね? スズちゃんもママと一緒に行きたい? そうなの? もう……しょうがないなぁ……」
そう独り言をつぶやきながら、小さいアルバムをバッグの中に押し込んだ。
彩は玄関の下駄箱の上に鷹也とおそろいだった色違いのスマートフォンを置いて家をでる。鍵を閉めて鷹也も知っている車庫の隠し場所にそれをしまった。
庭で何度も何度も家の方を振り返った。
そして小さな門のところで大きく家に向かって背筋を伸ばし、真っ直ぐに体を向けた。
「タカちゃんは今まで沢山頑張ったね。スズちゃんをよろしくお願いします。私のたった一人の肉親なの。たまには体をうんと休めてね。もうバカな女に引っかかっちゃダメだよ」
そう言って深く深くお辞儀をした。
「……それじゃ、お世話になりました」
誰も聞いていない一人の舞台。
贖罪の言葉も鷹也への激励も誰の耳にも届かない。
だが、彩にとっては大事な儀式だったのであろう。
その儀式が終わると彩は駅の方へ向かって行った。




