第十八話
「邪魔よ」
マリ子は一言だけ言うと、先にソファーに座っている明夫を無理やり退かせた。
「ちょっと……いつからこの家は暴力が支配するようになったわけ? そんな世紀末は不良漫画だけで十分」
明夫は座りたいから退いてと言うが、マリ子は睨み一つで明夫を黙らせた。
「明夫、少しはマリ子さんに優しくしたら?」
「たかし、君がこの魔女に惚れてたのは過去の話だろう。今からでも遅くない。現代の魔女狩りをしようではないか」
「わかるだろう。彼女の心は傷付いてるんだ」
「安物のステンレスで出来たハートだぞ。錆びにくく、傷つきにくい。それにピカピカ光るからバカにも人気」
「いいか? オレにユリさんがいるように。明夫、君には二次元という恋人がいるだろう?」
「何人もね」
「彼女達のおかげで日々頑張れるだろう」
「何日もだ」
「でも、彼女にはそんな存在がいないんだ。いくらなんでも、これでわかるだろう」
「わかったよ……驚いた。僕にあって君にないもの……」明夫はソファーでふて寝するマリ子に近付いた。「それは愛する人だ」
「アンタのは人じゃないでしょうが……」
「そう思う? でも、僕は今からでも彼女のことを考えればハッピーな気持ちになれるけど、君は無理だよね」
明夫がわざわざスマホでアニメキャラクターを見せてくるので、マリ子はため息をついた。
「そうよ。私はオタクに振られて、惨めな独り身生活よ。文句ある?」
「文句なんかないよ。一生のそのままでいい。実に静かな朝だ。講義もないのに早起きした甲斐があるよ」
明夫は清々しい表情を浮かべると、コップの牛乳を一気に飲み干した。最後に気持ちのいい笑顔を浮かべると、マリ子の落ち込んだ顔でもう一杯飲もうと、冷蔵庫へ向かっていった。
「マリ子さんは支度しなくていいの?」
たかしはカバンを背負うと、もうそろそろ出ないと大学に間に合わないと告げた。
「ダイヘンを頼んだから、今日は出ないわ。今日は一生こうして傷を癒すの」
マリ子はだらしなくソファーに寝転び直すと、ため息に喉を鳴らした。
これはもう無理だと、たかしは一人先に大学へ向かってしまった。
「なんだよ、せっかく二人で飲もうと思って牛乳を二杯持ってきたのに……」
明夫は遠くで閉まる玄関の音を聞いて、たかしが家を出て行ったのを察した。
「アンタは嫌な奴ね……少しは傷付いてる女の子を慰めようと思わないわけ?」
「だって、君がオタクの所持品を汚したんだろう? 彼に同情しちゃう。人の所持品をいじるだなんてなにを考えたわけ?」
「だって気になるんだもん。しょうがないじゃない。それに普通の女の子は、彼氏の部屋に女物の服が置いてあれば自分へのプレゼントか、セックスの時に着させるために用意したと考えるわよ。もし、女装壁のカミングアウトだったとしたら、最悪のカミングアウトの仕方ね。オマエ……私より可愛い服を着るつもりかよってなもんよ」
「僕が言ってるのは、もう少し相手を思いやったらってこと。たかしが相手を思いやりすぎてうざいのと同様に、君も相手を蔑ろにしすぎなんじゃない?」
「慰めるって言葉の意味知ってる? 都合よく全部頷いてくれるか、ベッドに誘うって意味よ」
「だって、君……昨日シャワーに入ってないだろう。僕のベッドは絶対にお断り。寝るなら、自分のベッドにして」
「本当にムカつく」マリ子は吐き捨てるように言うと、寝返りを打ってうつ伏せになった。「ねね、実は良い男を知ってたりしない?」
「たかし」
「本気で言ってるわけ? また家の中が微妙な空気になるわよ」
「そこを気にする人は、最初から付き合わないと思うけど」
「本当にオタクって交友関係狭いのね。同じのばかりとつるむと、そのうち合体して大きなオタクになっちゃうわよ」
「それを俗にマーケットと呼ぶ。オタクが集まればマーケットが生まれる。時代が証明してるだろう」
「言ってること意味わかんない……。本当……なんで良い男って転がってないのかしら……。別れたら、レーンに乗って流れてこいっての。絶賛脂がのってる男とか、旬な男とか……あぁ……トロ食べたい。そうだ! 話は変わるんだけど、アンタって給料日いつ」
「それ、絶対話は変わってないでしょ」
「うっさいわね。男を紹介するか、ご飯を紹介するかくらいしなさいよ」
「しょうがない……。どんな男がいいわけ?」
「うそ!? 本当に言ってる?」
「今回だけね。たまたまタイミングがあったから紹介するよ。一人は俗に言うスポーツマンだね。気さくで人気者。おっちょこちょいだけど、盛り上げ屋って感じかな。ゲームが好きっていう子供っぽい一面も持ち合わせてるよ」
「まじ? いいじゃない。なるなる……ゲームにもスポーツゲームってあるものね。スポーツマンってことは、腹筋割れの割れの割れってこと? ダイエット中なのに板チョコ食べちゃえって言うの? アンタも結構スケベね。さぁ、次は」
「次は秀才かな。テストは常にトップをキープ。スポーツマンほどじゃないけど、結構運動も出来る。難点と言えば、実家がお金持ちって子かな」
「難点? そりゃ男は、相手がお嬢様だと難点かもしれないけど、相手がおぼっちゃまの場合はチャンスって言うのよ。コツは情を持たせるセックスね」
「そりゃ、無理だよ。彼はお金のかかるプレゼントしか受け付けないからね」
「うわ……ムカつく。お金をなんだと思ってるのかしら」
「どのみち君には合わない。彼の好きなファッションはキュート系だからね」
「キュート系って見た目でしょう。キュート系だモダン系だって言っておいて、結局脱がせるんだから。中身がセクシーなら、側はなんでも良いのよ」
「最後は幼馴染だね。欠点はなし、一番オーソドックスで攻略も手軽」
「たかしはもういいわよ」
「たかしじゃないよ。林田颯太のこと。彼の好感度は上がりやすいから、周回アイテムがなくても恋人になれるよ」
「アンタね……エロゲじゃない」
「残念でした。これは乙女ゲー。根本から違うよ。君はオタクにはなれないね」
「ありがとう。なれなくて安心したわ。私は現実の男を紹介しろって言ってんのよ。アンタ……最近趣味変わったわけ? 悟の影響?」
「失礼な。僕にだって、数少ないオタク友達括弧付きの女子がいるんだぞ。その友達が送ってきたんだよ。最近の乙女ゲーの中でも傑作だって。古き良き育成システム。原画は個性的でありつつも最先端の絵柄。呼吸を感じるエフェクトシステム。これによって、キャラクターの棒立ちはなくなる。それに加えてモブキャラのガヤにこだわっているから、まるで本物の学校に通っているかのような臨場感を味わえる。モブキャラの台詞量だけで十時間分もあるんだぞ。これはまさしく革命だよ……」
「アンタはそれで良いかもしれないけ――あら……良い男じゃない」
オタク趣味には付き合えないと思っていたマリ子だったが、明夫がゲームのパッケージを見せるとそのイラストの完成度の高さに、態度を百八十度変えた。
「ほら、見ろ。彼女の手にかかれば、地球人の女性八割はオタクにできる」
「アンタの友達って本当に地球人? 宇宙人って言われた方がしっくりくるわ……」
「どうする? やるの? やらない?」
「まさか自分をイケメンだと理解してるイケメンしか言えない台詞を、アンタに言われる日が来るとはね……」
「もっと簡単に考えなよ。ただのゲームだ。お遊びだよ」
「やるから黙ってて。アンタの声が聞こえてくると現実に戻っちゃうから」
「当然。鉄則だ。もし、君がオタクの真の意味を理解できたら、その時はレイをかけて頬にキスしてあげよう。オタクリゾートのウェルカムドリンクはエナジードリンクに限るね」
明夫は冷蔵庫からエナジードリンクを二本持ってくると、一本をマリ子の前に置いた。
傷心でサボった講義の空き時間。なぜかマリ子は明夫と乙女ゲームをすることになってしまったのだ。
「これって……関節どうなってるわけ。こんなポーズ。童貞が考える四十八手にも入ってこないわよ」
「君はもう少しオタクに歩み寄るべきだよ。実際にできるポーズかなんて細かいことはいいんだよ。このポーズなら、鎖骨も笑顔をも堪能できるだろう」
「じゃあ、このわけのわからないプレゼントのラインナップは? 流行り物が一つもないじゃない」
「いつの時代でもプレイできるような配慮だろう。流行り物を取り入れるってことは、時代を匂わせるってことわかってないの? 今君が身に付けてる流行り物だって、若い子にしてみればおばさんアイテムになるんだぞ」
「アンタやっぱりムカつく……イケメンに癒してもらおう。デートはもちろん繁華街。なぜなら、もう少しで私の誕生日だからー。リサーチタイムを設けてあげるの」
「もう少しって……まだ三ヶ月もあるじゃん」
「誕生日三ヶ月前の流行り物ならギリセーフって教えてあげてるのよ。たまにサプライズプレゼントだって、アホみたいなものをくれる男がいるけど。サプライズとプレゼントは別物。プレゼントがサプライズじゃなくて、プレゼントまでの過程がサプライズなの。本当にどうしようもないものをプレゼントしてくる男は最悪よ」
「ゲームがそんなこと覚えてると思う?」
「ゲームは覚えてない。でも、覚えてるからイケメンって言うの」
「言っておくけど、このゲームはご奉仕されるゲームじゃないんだぞ。ご奉仕するゲームだ。好きになってもらうように自分が努力をするゲームだ」
「恋愛ゲームなのに? 乙女ゲームって女の子向けのゲームなんでしょう」
「そうだよ」
「努力するより、体を使った方が手っ取り早いって教えた方が良くない?」
「乙女の意味わかってる?」
「セックスでイッたことのない女」
「絶句だよ……」
明夫はなんてことを言うんだと、表情が固まった。
「これが女の本音よ。ちなみに童貞捨てるって言うのは、女の子に及第点をもらって初めて捨てるものよ。じゃないと、童貞の不法投棄で訴えられるわよ。ちなみに及第点は七十点以上。はてさて……何人の男が本当に童貞を捨ててるのかしらね……」
「これゲームの話だってわかってる?」
「だってゲームなのに、バイトと勉強ばっかりなんだもん……。たまのデートくらい良い思いしてもいいじゃない。大体勉強だってさ、この男が頭良い女が好きって言うから勉強してるんだよ。休日におねだりデートくらいいいじゃない」
「だから言っただろう。彼は初心者向きのキャラクターじゃないって」
「だから言ったでしょう。私は恋愛巧者なんだから、初心者の幼馴染なんか相手にならないって。こいつらもさ、全員すまし顔してるけど、このゲームの中で童貞ってわけでしょう? メールにおっぱいの写真でも添付すれば、次の日からしつけのなっていない犬みたいに寄ってくるわよ。伸びた尻尾を隠しもせずに振っちゃってさ」
「でも、買ってくれるって。ほら、ずっと見てて欲しかったんだろうって」
「ほら見なさい。イケメンはゲームでもイケメンなの。どうしよう……ネックレス買ってもらっちゃった。とりまミャー子に写真撮って送ろう」
「ほら、選択肢出てるよ。お礼を言うか言わないか」
「後ろ向いて、彼氏にネックレスをつけてもらうってないの?」
「ないよ」
「なんで? うなじを見せてベッドに誘うべき場面じゃん。ただネックレスをもらって、箱のまま鞄にしまうわけ? とんだ女だよ……こいつ……おぼこい顔して……」
それから数時間後、マリ子はある男キャラクターとのエンディングを迎えていた。
「えぇ……これで結局。私はこいつの家を継ぐわけ? 老舗だがなんだか知らないけど、もう未来ない店じゃん……潰して服屋にした方がよくない? あっ! 私モデルやる!」
マリ子が手を上げるのと同時に、たかしが忘れ物を取りに戻ってきた。
「いいね。こっちが勉強中に、君達はゲーム三昧」
「いいでしょう」
マリ子は休みが羨ましいかと煽ったが、たかしは余裕の含み顔だった。
「いいね。オタクの休日って感じ」
マリ子はテレビ画面を眺める、男キャラとのイベントの総集編を見て、慌ててソファーから立ち上がった。
「ヤバい! 首にレイをかけられて、頬にキスされるところだった」
「なに言ってるのさ。もう一泊して朝食のバイキングまで食べてるよ……」
明夫はオタクの世界にいらっしゃいと両手を広げるが、マリ子はこのままではダメだと慌てて立ち上がった。
「危ない……もう少しで、ゲーム画面を見てこれが私の彼氏って言い張るところだった。やっぱダメで……外に男を探しに行こう」
マリ子は部屋に戻ってばっちりメイクをすると、上着を肩にかけて勇ましい足取りで家を出ていった。




