第五話
「もう! 本当最悪!」
マリ子が大声で怒鳴ると、そのツバが盛大に明夫の顔へ飛んだ。
「……本当最悪だよ」
「でしょ? 別れてすぐ次の女が出来るってどういうことよ!」
「でも、お互い話し合って別れたんでしょう?」
京は別れたなら口出す権利はないはずだと正論を言うが、その心の内は面白い具合に拗れていると楽しんでいた。
「別に恋人が出来るのはいいの。でも、ルールがあるでしょう。似たようなタイプは選ばない。少なくとも、一回は別のタイプを挟む。それが常識。写真見たけど、あの女……どう見ても私の劣化版。あれなら、私でいいじゃん。あれを選ぶだなんて、絶対に納得いかないでしょう!」
「女心はわからないわね……」
「みゃーこだって、女でしょう?」
「そうね。でも、マリ子の心はわからない」
「そうよ、私は深い女なの。だから男は夢中になる。古今東西男は冒険好きだから」
「ちょっと、聞いてる? 僕が最悪だって言ってるのはこの状況だよ」
明夫はいい加減にしてと声を荒らげた。
「あら、中華は嫌いだった?」
京は明夫の分の天津飯を皿に取り分けながら聞いた。
「嫌いなのは君達だ。なんで、女性二人と晩御飯を食べないといけないわけ? 僕はもう大学生なんだぞ」
「普通は喜ぶことよ。お金払ってでも、女子大生とご飯食べたいおじさんがいっぱいいるんだから。それで? アンタも見たんでしょう? たかしの新しい彼女。……どうだった?」
マリ子はニンニクとニラたっぷりの餃子を、自分の口に放り込みながら言った。明日デートする相手がいるわけでもなく、眼の前にいるのは明夫だ。臭いを気にする必要は一切なかった。
「女だった。たかしには言っとかないと……これ以上この家に女を呼ぶなって」
明夫はまだ京の存在にも慣れていないのに、マリ子の時のように他の女性と家でイチャイチャされたらたまったもんじゃないと思っていた。
ただでさえ最近、この家はマリ子と京がよく行く喫茶店代わりになっているのだ。たかしは新しく出来たユリという女性とデートを重ねているので、二人の相手をするのは明夫一人。いい加減うんざりしてきていた。
「良いこと言うじゃない。許可するわ。ルームシェアのルールに書き加えましょう。恋人を連れ込むのは禁止」
「なら、そこの女を連れ込むのも禁止」
明夫に睨まれたが、京は含み笑いで返した。
京とは何度か食事を重ねているが、未だに何を考えているのか謎だった。
「嫌なこと言うじゃない。却下よ。京はいつでもオッケーなの。アンタのオタク友達の出入りを禁じてもね」
マリ子の言葉に、明夫は大きなため息を落とした。
「やめてよ……。いまデリケートなんだから」
「あら、オタクでも喧嘩するのね」
「どういう意味さ」
「だって、他に友達いないでしょう? 新しい友達をつくるタイプには、どうしたって見えないわよ」
「僕らだって人並みに喧嘩はする。でも、今回は違うんだ。喧嘩じゃない。もっと深い悩み。君達みたいながさつな女性に話すようなことでもない」
明夫はこの話はしたくないと会話を打ち切ったのだが、京は遠慮なく会話を再び広げだした。
「それはおかしいわ。話すべきよ。マリ子もそう思うでしょう?」
「んー……興味ないかな」
「私はある。さぁ、話して」
京は話さないと体をくっつけるぞと脅すと、明夫は観念して最近あったことを話し始めた。
「青木って覚えてる?」
「えぇ、覚えてるわ。妹キャラが好きで、いつも一言多い男ね」
「そう。その青木がストーカーにあってるんだ……」
「……ちょっと興味出てきた。ストーカーって女? 男? 男だったら、カツアゲの待ち伏せじゃないの?」
マリ子は食べるのをやめて、餃子臭い息が当たるまで明夫に近付いて、早く続きを話すよう急かした。
「違うよ、あれは三日前の夕方だった――」
ボスのカードショップで話し込んだあと、三人は別のカードショップを見てみようという話になり、隣町まで遠征していた。
平和な街。平穏な時間。というのは突如終わりを告げる「やめて!」という女性の声が響いたのだ。
「聞いた?」
明夫は二人に振り返った。
「聞こえた。女性がおじさんに絡まれてるね」
赤沼は遠くから男の背中を見ながら言った。
「助けたらいいことがあるかもしれないよ」
青木も男の背中を見るが、誰一人足を止めることはなかった。
「もしかしたらお礼に連絡先を聞かれたりね」
「食事に誘われたりして」
「アニメじゃよくあることだ」
三人はまるでアニメの背景にいるモブのように、何事もなく立ち去ろうとしたのだが、そう上手くはいかなかった。
「助けて!」と女性が男の脇を抜けて、三人の元へ走ってきたのだった。
明夫は「助けて!」とおじさんの方へと逃げた。
「ちょっと! どういうことよ!?」
「アニメならいいけど、現実でのこういうイベントはお断り」
明夫は一切関わりたくないと断言したのだが、赤沼は違った。
助けを求めた女性はどうみても中学生くらいだ。妹がいる身としては、放っておくわけにもいかなかった。
「あの……なにかあったんですか?」
赤沼は恐る恐るおじさんに話しかけた。
「なにかあったじゃないよ……。そこのコンビニから、中学生がお酒を買って出てきたから注意したんだ。やる気のない大学生がレジを打ってるからって、そこを狙って買うなんて常習犯だ」
「親に頼まれたのかも知れませんよ」
「自分で飲むって言ったんだぞ」
「あぁ……それは……」
赤沼は声などかけなければ良かったと後悔した。そして、後悔した途端なにも言葉が思い浮かばなずに黙ってしまった。
気まずい空気が流れる中、声を上げたのは青木だった。
「おじさん……もったいないですよ。そのパワーは妹に使うべきです」
「い、妹?」
突然のことにおじさんは困惑した。
「そうだよ。中学生で堂々と買う女性に姉がいる確率は低い。それなら、確実に妹とわかる女性に声をかけるべきだ」
「ごめん……何を言っているかわからない。これって……新手のおやじ狩りか?」
「違います。でも……おじさん妹います?」
「いるけど……」
「それなら話は別。これはおやじ借りだよ。恩を売らなくちゃ」
青木は大事な話があると、近くのファーストフード店へおじさんを誘い込んだ。
「ちょっと待った……おっさんにストーカーされてるわけ?」
マリ子は何の話を聞かされてるのかとため息をついた。
「違うよ。その中学生にだよ」
「それって普通に案件じゃん……。ちょっと……警察呼ばれないでよ。こっちだってバレたらヤバいことあるんだから……」
「僕じゃない。青木がストーカー被害に合ってるの。だから、僕ら青木に近付けないんだ。巻き込まれるから」
「ちょっと……アンタらの好きなアニメじゃないんだから、街行くJCがオタクに惚れるなんてありえない。どんだけ都合の良い妄想なのよ。警察より病院行きなさいよ」
「いいえ、あり得るかもしれないわ」京は大真面目な顔で言った。「オタクの幻想は現実世界に干渉するのかも」
「みゃーこ……本気で言ってる?」
「ダメ? 努力するオタクにはパワーがあるわ」
「面白がってるでしょう?」
「だいぶね」
「この正直者め!」
マリ子は京に抱きついてじゃれ始めた。
「聞いたんだったら、最後まで聞いてよ。こっちは死活問題なんだぞ」
「なに? ストーカーJCに刺される寸前なわけ? 今のうち救急車待機させておけば」
「あのねぇ……僕らだって、世間がオタクに向ける偏見は理解してるよ。もし、中学生が逆恨みしてごらんよ。普段から妹萌えって言ってる青木はどうなると思う?」
「あー……。なんなら私が言ってあげようか? アンタらオタクが出ても、危ない雰囲気が漂うだけだし」
マリ子はさすがにシャレにならないなら、自分が話をつけると提案した。
「どうだろうね……今赤沼が拗ねてるのに、君が出たんじゃ余計に拗れる」
「なんでおかっぱオタクが拗ねてるのよ」
「オタクの中では自分はイケてる方に入ってると思ってたからだよ。青木がモテちゃったもんだから自信喪失。間に挟まれた僕は最悪だよ」
明夫がため息をつくと、京が「最高ね……」と呟いた。
「どこがだよ」
「こっちの話よ。それで? あなたは今どんな気持ち? 焦燥? 不安? 憎悪?」
「最悪。魔女の仲間が、僕に黒魔術をかけようとしてくるからね」
明夫の嫌味にも、京は満足いく解答だと納得していた。
「でも、実際どうするわけ? 若さを利用しようとする女は強いわよ。最後に脅して、もうひと搾り」
マリ子は脅すような笑みを浮かべると、油淋鶏にレモンを搾りかけた。
「わかんないよ。聞いたんだから、答えを出してよ」
「現実見ろって言ってやれば? それでもストーカーを続けるなら、とてもお似合いよ。現実を捨てた同士で上手くいくんじゃない? もう一人のオタクには身の程を弁えろって言ってやって。アンタが小さい箱の中で満足してる間に、他の男は箱のサイズを広げてるわよって」
「……それってどういう意味?」
「アンタにわかったら驚きよ。私が嫌なら、京に言ってもらう? あのオタク並んだら、女でもみゃーこを選ぶと思うけど」
マリ子は冗談で言ったのだが、明夫はそれだと声を大きくした。
「いい考えだ! 高身長女がチビ女を口説けば誰も傷つかない。世間も男のロリコンには厳しいけど、女のロリコンは見て見ぬふりだ。最高の作戦だよ!」
「世間の目はそうかもしれないけど、法は厳しいままよ……」
京はそんなことできるわけがないと断ったが、マリ子はノリノリになってしまった。
「いいじゃん。男になろうよ。服は今のままで全然いける。あとは眉太くしてさ、化粧も韓国アーティスト風にしてさ」
「マリ子……」
京は調子に乗りすぎだとマリ子を睨んだが、マリ子がある提案をすると首を縦に振ったのだった。
「いいじゃん。これが解決したら、明夫もいちいち文句を言わずに家へ入れてくれるって」
突然の提案に明夫は驚いて首を横に振ったが、マリ子に「アンタ一生一人でカードゲームすることになるわよ」と言われると、首を縦に振るしかなかった。
京は「わかったわ」と頷いた。「ただし、あくまで話し合いよ。大事になったら、その子がかわいそうだから」
「やった! 決まり! その後は、私とデートしようね」マリ子は京の腕に抱きついた。
「いいけど……その時は餃子禁止ね」
京はマリ子から漂ってくるニンニクとニラの臭いに顔をしかめた。
その夜、たかしは鼻歌を奏でながら帰宅した。
「良い身分だな。今何時だと思ってる?」
リビングの電気もつけずアニメを見ていた明夫は、振り向かずにたかしに言った。
「九時だけど?」
「九時だけど? 九時に帰ってくるなんて、君は王様にでもなったつもりかい? 僕がどれだけ大変な状況に追い込まれているかも知らないご様子で」
「なるほど……最近遊んでやれてないから怒ってるな。フリスビーでも投げてやろうか?」
たかしがからかって言うと、明夫はそんな態度はないだろうと振り返った。
しかし、その瞬間。怒りの表情は驚きに変わり、最後には笑顔に落ち着いたのだった。
なぜならば、たかしが持っているものは明夫がとても欲しがっていたものだからだ。
「これなーんだ?」
「いい気分で、ロックンロール。弾け飛ぶほど、にっこりスマイル。いろはにほへとのほへとで変身だ!!!」
「そう。前のはダメになっただろう?」
明夫へのプレゼントは、アイプラのミュージカルパワーモデルの変身アイテムの入った古い箱だった。
「なんで? どうして? どうやって?」
「ユリさんと話してたら、明夫の話題になったんだよ。この話をしたら、うちに残ってるからあげるって。わざわざ今日のデートに持ってきてくれたんだよ。残念ながら未開封じゃないけど、よかったらどうぞってさ」
「たかし……どうやら君は最高の女をゲットしたみたいだな。マリ子と別れて正解だよ」
「オレもそう思う。彼女とはさ、いちいち気が合うんだ。同じ星の言葉を喋ってるって感じ?」
「わかるよ。わからなくても、今日は全部肯定しちゃう。最近あちこちで愛が安売りされてるけど、今日初めて本物の愛を見たよ」
「伝えておくよ」
「声優になったら絶対に応援するとも言っておいて。今からあだ名も考えちゃうし、君とのことがスキャンダルになっても全力で火消しするって」
「……それは伝えないでおく」




