第十六話
京に遊びを邪魔されたせいで、オタク三人はカードゲームをやめて、持参のノートパソコンをWi-Fiにつないでサバイバルゲームをしていた。
「青木は明夫と一緒にビルを迂回してくれ」
赤沼に言われると、青木は「了解」と返事をして、キャラクターをぴょんぴょん小刻みにジャンプさせながら移動した。
「なぁ……何度も言ってるんだけど、それしないとダメなの? 走ってもジャンプしても移動スピードは変わらないって話になっただろう」
自分の画面の前で飛び跳ねるキャラクターに明夫はうんざりしていた。画面に現れては消え、現れては消えを繰り返すので、集中力が途切れてしまうのだ。
「でも、このキャラクターは飛び跳ねる時に、ホットパンツからはみ出たお尻の肉が揺れるんだぞ」
「これはお尻に見えるけどポシェットだ。緊急治療具が入ってるって、設定集に書いてあっただろう」
明夫はオタクならしっかり読み込むべきだと非難したが、青木はそれは違うと返した。
「いいかい? 確かに設定を理解するのは大事。でも、知らないおかげで僕は楽しめる」
「戦闘中に発情とかどうかしてるよ。僕らの命がかかってるんだぞ。それを踏まえてこう言わせてもらう……悪くない」
「だろう?」
「遥か昔。まだ子供とオタクが混じり合っていたころの時代だ。ビキニアーマーやハイレグアーマーが流行っていた時代の話。戦いに興奮するという感情は暴力ではなく、性的に興奮に置き換えろという。あの背徳感を感じるよ」
「今なお受け継がれているんだ。ゼノビア様もハイレグアーマーだからね」
明夫と青木がゼノビアというキャラクターを想像してため息をつくと、敵を追い込もうとしている赤沼が怒り気味に言った。
「今は剣と魔法の世界じゃなくて、火薬とレーザーを駆使してフラッグポイントを守り切るゲームだぞ。……ほら、負けちゃった……」
明夫と青木の気がそれた瞬間に、二人は敵に撃たれて瀕死状態に。一人残った赤沼も包囲されて残滅させられてしまった。
ちょうど三人がゲームオーバーの画面を見て無言になったところで、二階から女性の二人の笑い声。が響いてきた。
「これって僕らの負けを笑われてるの? 僕らの負け方を笑われてるの?」
明夫はムッとした顔で天井を睨むと、青木はまあまあと肩に手を置いてなだめた。
「これも、女という設定を理解していないから起こる現象。僕らは何度も体験してきただろう。主犯格の女の机に集まりこそこそと。僕らの悪口を言って盛り上がってるんだ。でも、実際には僕らの悪口なんか一言も言ってない。なぜなら、彼女らの目にも入ってないからだ。ショックだったよ……僕は彼女らの話題の中心だと思ってたのに、僕の隣にいるイケメンの話をしていたんだ。卒業まで気付かなかったよ。どうせなら悪口を言われたかった……」
「……なんでさ? そんなの最悪だろう」
赤沼は本気で言っているのかと眉間にシワを寄せた。
「最近思ったんだよ。僕らのボキャブラリーは二次元ばかりだろう? でも、現実っていうのはもっと酷いんだよ」
「知ってるよ。よくね」
明夫は笑い声が止まないので、更に天井を睨みつけた。
「現実っていうのは、ささくれだった太い木の枝だ。それを優しく手で削ぎ落とした安全棒が僕らの世界みたいなものだろう?」
青木は棒を持っているように握った真似をすると、それを優しく上下にしごきだした。
「そうだ。だから、僕らはドット絵から3Dモデルまで愛せるんだ」
「でも、削ぎ落とした棒は摩擦で細くなるばかりだ。僕だけじゃない。君らも擦ってるんだから当然だよね」
青木が三人分だとこうなると手の動きを早めると、赤沼が睨みつけた。
「その手の動きはやめろ……。要するにこういうことだろう? 僕らのボキャブラリーに現実を取り入れることによって、棒は再び太さを増すって」
「そう! まさしくそれ!」
「意味がわからないよ」と困惑したのは明夫だった。
現実から逃げて、自分達はオタクという定位置を確保したのだと熱弁した。
「でも、現実をアウトプットしておくことで。僕らは更に推しキャラをバージョンアップさせることが出来る。わかるかい? 二階にいる彼女達の会話をインプット。つまりメモすることにより、好きにアウトプット出来るようになる。明夫の憎き敵はいなくなる。なぜなら、彼女はセリフ専門のシナリオライターになるからだ」
「なるほど……続けて」
明夫はいい考えかもしれないと食いついた。
「今全部言ったよ……」
「つまりこういうことだろう」明夫は二階の趣味部屋に入ると、壁に耳をつけた。
「そういうこと。どう? なにか聞こえる?」
青木は耳どころが頬まで壁にくっついて、なんとか会話を聞き取ろうとしていた。
「なんでそんな必死なの?」
赤沼は同じ格好をしながらも、鼻息が荒く興奮する青木は理解できなかった。
「今、百合ものにハマってるから。声優のアフレコブースに聞き耳立たてるみたいでワクワクするだろう?」
赤沼は怪訝な顔で「ちょっと……場所変わって」と言った。
「どこにいても変わらないだろう」
「変わる……。青木が興奮して僕の処女を奪わないという自信がないから、君の前にはいたくない……」
場所を交換すると、赤沼は再び壁に耳を当てて澄ませた。
「それで? みゃーこはどうなの? 最近」
「どうって?」
「だって、バイトでエッチな服着てるって言ってたじゃん。興奮したりする?」
「しないよ。自分で着てるんだから」
「女は服を着るだけで色んな作用があるのよ。超ハイブランドの服を試着した時とか、買い取りにならないように全身の汗が止まるとか」
「それにエッチな服って言ってるのはマル子だけ。普通のパンツスーツだよ」
「でもエロい。みゃーこのお尻に齧りつきたいと思ってるもん。本気で」
「お尻噛まれるの嫌いなのよ。下着が擦れて痛くなるから」
「Tバック履けばいいじゃん。痔持ちじゃなければTバックってメリット多いらしいよ」
「あのねぇ……Tバックなんか吐いてバイト出たら、お尻の形丸出しでしょう。正直裸より恥ずかしい」
「もうダメ……出ちゃいそう……。言っておくけど鼻血の話だからね」
青木は壁越しに聞こえてくる会話を聞いてクラクラしながら言った。
「どこに興奮するところがあるのさ」
明夫はまったく理解不能だと顔をしかめた。明夫にとっては、女性二人が中身のない下品な会話をしているだけにしか聞こえないからだ。
「明夫……こう考えるんだ。壁の向こうには君の知っているギャルはいない。いるのは、一昔前に流行った頭の悪いツンデレキャラと、男の子にも女の子にも性の目覚めを与えるような中性的キャラだ。一見交わらないように思えるこの二つのキャラ設定も、ジャンルという大釜に入れオタクという熱気によって煮込むことにより、百合として生まれ変わる。つまり新たな化合物となるんだ」
「あのマリ子が萌え要素になるってこと? 昨今違法薬物が流行るわけだ……。僕は合法に楽しむよ。実際に存在する百合キャラでね。マンガ【繭混じりの片羽アゲハ】の黄黒カプはあまりにも尊過ぎて、僕の中では尊厳死したよ。もう、彼女らにはなんの要素もいらない。存在したという記憶だけで十分だ。だから僕は妄想することはない。二人だけの時間を過ごさせてあげるんだ……」
明夫が鼻をすすり涙混じりに言うと、青木は慰めるように優しく背中を擦った。
「それって、推しが変わったってだけじゃないの?」
赤沼は大げさ過ぎると指摘するが、明夫に感化されて青木まで泣きじゃくってしまった。
「よくもそんなことが言えたな……。明夫は……明夫は推しを捨てたんじゃない。これ以上自分の手垢はつけられないと、思いを次の世代に託したんだ」
「知ってるよ。買い漁った同人誌は僕に押し付けてきたんだからね」
「ねぇ、マリ子。同人誌ってなに」
壁に背中を預けて座っていた京は、隣の部屋のオタク三人の会話がしっかり聞こえていた。
「知らないの? あれよ、オタクの参考書? 基礎はなし応用編ばっかり。その応用編も、普通のエッチじゃしないようなことばっかり。セックスがスポーツってのは理解できるけど、セックスがファンタジーになってるのは意味がわからない」
「エロ本ってこと?」
「かもね。みゃーこは興味あるわけ?」
「あるよ」
「うそ……意外……」
「行動心理学観点からってことね。オタクと三人の前に、三人が同じだけ好きなものを落としたら、それぞれどういう行動に出るかと」
「みゃーこがパンツでも見せれば、三人とも同じ行動するんじゃない?」
マリ子はむふふとエロオヤジのように含み笑った。
「同じ行動を取らせたいんじゃないの。各々がどういう行動を取り、自己との世間的距離に測っているのかが気になるってこと」
「なら、二人でパンツ見せる? これなら可能性は増えるでしょう」
「さっきから……見せたいの?」
「みゃーこにならね」
「わざわざ見せなくても見えてるよ。ずっと」
「……なんか飽きた」
言い出しっぺの青木だが、二人の会話が理解できないと壁から耳を離した。
「おかえり、現実へ」
既に先に飽きていた明夫は、今季放送しているアニメのコミック版を読んでいた。
「アニメにはちょっとエッチなことを言うキャラっているけど、現実だと最悪だね……。百合なんかじゃない。ドクダミソウだよ。香るんじゃなくて臭うね」
盗み聞きをやめた青木は、せっかく明夫の趣味部屋に来ているのだからと、今季のアニメ作品のなにかを見ようとした。
しかし、まだ壁に耳を押し当てている赤沼を見て声をかけた。
「赤沼も早く現実に戻ってきたほうがいいぞ。どうせ、僕らには関係のない次元の者達の話なんだから」
「そうでもない……。マリ子さんは彼氏とうまくいってないらしいぞ」
「でも、君には関係ないだろう。もし、別れたとしてどうするつもりだよ。まさかデートに誘うの? それが出来ないから盗み聞きしてるんだろう?」
「もしかしたら、次のデートのお相手は、おかっぱ頭のオタクとアニメショップに行きたいって言うかも知れないだろう。それを聞いたらデートに誘う」
「白馬で迎えにいけよ。女はいつでも白馬の王子様を待ってるんだ」
「青木……。それが嘘なのは僕でもわかるぞ。白馬は女キャラにこそ合う」
「はぁ……僕も迎えに来てほしい。お城に連れってもらえたら、残りの人生は他人の税金でオタク活動だ」
「僕もそっちに賛成するよ……。ただいま……現実」
赤沼は壁から耳を離すと、背中を壁に預けてゆっくり床に腰をおろした。
「そんなのダメだ。赤沼まで城に来たら、僕の取り分が減る。税金を増やすと庶民は暴動を起こすからな。君は君の王子様を探せよ」
「違う……。壁の向こうで仲直りの電話してた。マリ子さんと彼氏がね……」
「おい……そんなに落ち込むなよ。恋なんて筋トレと一緒だろう? やろうと思うけどやらない。それが僕達だ。はっきり言う、赤沼はまだ恋のスタートラインにも立ってない」
青木が始まってもないのに落ち込むなと慰めているのを、明夫は鼻で笑いながら茶化した。
「赤沼があの魔女の話をしてる時は、確実に立ってると思うけどね」
「いいだろう別に! 健康な男が恋したらこうなる。誰でも!」
赤沼は女性との会話に乏しい自分達が恋をしたなら、衝動はどうにも止められないだろうと力説したのだが、青木は物知り顔で首を横に振った。
「いいや、それはフライングだ」
「どうして?」
「僕が君の妹をスタートラインとして見立てた時。赤沼……君がそれをどう受け止めるかによる」
「フライングだ! 線を絶対に出るな。たとえそれが制御不能の大型モンスターだとしても、母親の顔を思い浮かべればどうにかなるだろう!!」
明夫はマンガから目を逸らさずに「赤沼はどうにかなったわけ?」と聞いた。
「考えたら終わりだ……あぁ……ダメだ。出てくる……あーあ……笑った。やぁ、母さん……。もう無理……。隣で脱ぎだしても立ち上がらない……」
頭に浮かぶ母親の笑顔に絶望し崩れ落ちる赤沼。その隣では、青木が真剣な顔で悩んでいた。
「僕はどっちのお母さんを思い浮かべればいいわけ? 僕の? それとも、赤沼の母親?」
「自分の母親を想像しろよ。なんで、僕は母さんを想像するわけ?」
「でも相手は君の妹だぞ。そうなると、僕のお義母さんでもあるわけだ」
「その想像に行き着く前に、自分の母親を想像しろってことだよ」
「あぁ……なるほど。どれ……想像してみよう」青木は目を閉じると、母親の顔を思い出した。「あぁ……これは……思った以上にキツイな……。なるほど……そう来るわけね」と目を開け「帰るわ!」と言って立ち上がった。
「そんな怒ることないだろう」
「違う。カレーだから帰ってこいって言われたんだ。帰んないと。じゃあ、また」
青木は機嫌よく手を振りながら帰っていった。
「あれって……朝、母親に言われて出てきたのを思い出したってことか? それとも脳内の母親が言ったから帰ったのか?」
赤沼は驚愕して、青木が開けていったドアを眺めていた。
「考えるのが怖いからやめておく……」
明夫はドアを締めると、マンガを読むのに戻ったのだった。
「ようやく静かになったわね。ごめんね、騒がしいところで」
話している内容までは聞こえないが、マリ子にも隣の部屋の音は聞こえていた。
「むしろありがとう。おかげで良い研究材料を見つけたよ」
「良い研究材料って、このナイスバディーちゃんでしょう」
マリ子が胸を押し付けてじゃれてくると、京は笑みを浮かべてその頭を撫でた。
「そう。あなたは本当に良い研究材料よ」




