第十四話
「だからぁ……ママ……。引っ越したって言ったでしょ。そうよ。うん? アパート? それは大学一年の時の話でしょ。しかも三ヶ月だけ。すぐ彼氏が出来たから引き払ったの。何回も説明してるってば」
母親から荷物を送っても戻ってくると電話が来たので、マリ子はキッチンをうろうろしながら事情を説明していた。
「うん……うん。大丈夫よ、送って。今度の家は広いから。え? ……違う。子供が出来るのを見越して大きい家にしたわけじゃない……。そう……わかった。大丈夫よ。娘が信じられないの? そうね……私も信じられるって言われたら、認知症の検査を受けることを勧めるわよ。はいはい、また電話かけるわ。……いいえ、違うわ。それは迷信よ。私が生まれたでしょう。……あっそ。もう切るわね。バイバイ」
マリ子が通話を切り、これみよがしに大きなため息をついたので、たかしはコーヒーをカップに注ぎながら「大丈夫?」と聞いた。
「大丈夫じゃない。子供の頃、男の子に混ざって取っ組みの喧嘩をしてた理由がわかった。全勝した理由もね」
「なんか先を聞くのが怖くなってきた」
「そんなことないわ、よくある家族の話よ。私は女が馬乗りの体位で私が作られたんだって。理由は、あの体位は男が生まれやすいから。でも、迷信だって。そしたら、アンタは男勝りの性格になったから、そう嘘とも言いきれないって。つまり、なにが言いたいかって言うと、私の両親は私がいないすきに子供を作ろうとしてるってこと。これ、どういう意味かわかる? 私に子供が出来ても、新鮮味が足りなくて孫は可愛がられないってことよ」
マリ子は淹れたてのコーヒーを奪い取ると、水道水を混ぜて乱暴に冷やして一気に飲み干した。
「君の家って、いつも家族でそんな話してるの? 性にオープンなんだね……。まさかセックスする度に報告し合うわけじゃないよね……」
「そんなことするわけないでしょう」
「よかった……。これで後悔することはないよ」
たかしはホッとした。万が一自分と彼女が付き合うことになっても、ベッドに入る度に報告されていたのでは気が気じゃないからだ。
「その話になったのはたまたまよ。前から欲しかった男の子を作りたいから、アンタの部屋の荷物を整理していいかって」
「あぁ……なるほどね。オレもしょっちゅう電話くるよ。これは捨てていいのかって。社会人ならともかく、学生の間は取っておいて欲しいよね」
「私は投げてくれたほうがいい。今どき何に使えっていうの。子供の頃にねだったのは、バットやらパンチグローブとかよ」
「同じことして使えばいいんじゃない? でも、もし子供の頃に適切な使い方をしてないなら、今言ったことは忘れて……」
「安心して。もう、サイズが合わないわ」
「君をバッティングセンターへデートに誘うのは、やめておいたほうがよさそうだ」
「賢明ね。とにかく、荷物が届くから。軽くても重くても部屋の前まで運んでおいて。でも部屋に入ったら、私があなたをバッティングセンターへデートに誘うから」
マリ子はにっこり微笑むと、遊びに出かけてしまった。
数日後の日曜日の朝。明夫が女児向けのアニメを真剣な眼差しで見ている姿に、たかしは茶化すように話しかけた。
「それって、対象年齢が五歳以上って知ってた?」
「五歳以上なんだろう? 僕は五歳以上だ。それに【アイドルプライム】略してアイプラは、十年以上続いている歴史に深い作品なんだ。僕は一年ごとに入れ替わる彼女達の成長を見守る責任がある」
「見守るなら文句は言わないけど、君は変身しようとするだろう……」
「そんなことするわけがない。僕は大人だぞ」
「じゃあ、なんで変身アイテムを毎年買うんだ?」
「おもちゃ会社が売るからさ。じゃあ、君は大人の僕が一銭たりとも使わないで、作品を応援しろって言うのかい? 君の考えは間違ってる。子供が使うお金だって、元は大人のお金だ。それを子供に与えようが、大人が持ったままだろうが、会社にとっては変わらないだろう?」
「明夫にからんだのが間違いだった……」
たかしがあまりにしつこくアイプラの良さを伝えてくるので、まったく興味のないたくやはうんざりしていた。
このアイプラというのは、一年ごとに一新されるシリーズもので、女児向けに作られた変身ヒロインアニメである。
十年以上続くだけあって、作品に携わった声優やスタッフなど話題はいくらでもある。明夫の口も止まらなくなるというものだ。
いつもなら、ここから最低でも一時間はシリーズの素晴らしさを語られるのだが、今日は違った。救いのヒーローが制服という変身をして助けに来たのだ。
チャイムの音がなり受け答えをすると、相手は宅配のスタッフ。
たかしはチャンスだと言わんばかりに、小走りで荷物の受け取りのサインをしにいった。
「僕のフィギュアが届いた? 食玩でも一式揃い。本当にネットのある世界に生まれてよかったよ」
明夫が荷物を受け取ろうとするので、たかしは離れるように肘で押した。
「違うよ、これはマリ子さん宛の荷物。こないだ実家から送ってくるって言ってたからそれだよ」
「本当に? 宛先確認した?」
「したよ。ほら見ろ。君の母親が偽名を使いこなすスパイでもない限り、明夫宛の荷物じゃないことがわかるだろう」
「がっかりだよ……。あそこの販売サイトいつも遅いんだ……」
「それは残念だったね」
たかしはダンボールを持って階段を上がり、マリ子の部屋の前に荷物をトンと軽く置くと、部屋の中から「うるさい!!」と怒号が帰ってきた。
「ごめん……大きな音立てちゃって……。今度から、一時間かけてゆっくり荷物を置くよ……」
「こっちこそごめん。二日酔いでイラついてたの……荷物を運んでくれてありがとう」
マリ子は青くなった顔のまま部屋のドアを開けた。
「また朝帰り?」
「バンドマンの彼氏を持つと辛いことの一つね。ライブをやってるんだか、飲み会をやってるんだかわかりはしないわ……」
マリ子がため息をつくと、アルコールの臭いがたかしの鼻を襲った。
「凄いね……。昔近所にいたおじさんと同じニオイがするよ……。コーヒーでも飲む?」
「そうね。スペシャル濃いのお願いするわ……」
マリ子はその場にしゃがみ込むと、ダンボールを抱えて溶けるようにため息をついた。
たかしがコーヒーを入れに行くのとすれ違いに、明夫は二階にある趣味部屋へ向かった。頼んでいた食玩のことを思い出したついでに、並べる場所を確保しておこうと思ったからだ。
しかし、趣味部屋に行く途中。マリ子に呼び止められてしまった。
「これ開けて……ハサミもカッターも取りに行くの面倒くさいし、手で開ける気力もない」
「お断り」
「なら、アンタの趣味部屋で迎え酒するだけよ」
「わかったよ……。僕のフィギュアがアルコール依存症になったら大変だ。塗装が剥げちゃうよ」
明夫は趣味部屋に入ると、ダンボール専用のペーパーナイフを取って戻ってきた。
「アンタって色んなもの持ってるのね……」
「ダンボールはきれいに開けないと気が済まないの。中の商品を傷付けたら最悪だよ。言っとくけど、これはあげないからね」
明夫は手際よくダンボールのガムテープを切ると、動かないマリ子の代わりに広げてやった。
「あー見て……親って子供のニーズがわからないのよね……せんべいだって。食べる?」
「もしかして僕をせんべいで餌付けしようとしてる?」
「京都だったら鹿がいるけど、ここにはいないからね。見てよ、これ。ままごとセット。パパが買ってくれたのよ。女の子らしい趣味に目覚めないから心配して。心配なくても、今じゃどっからどう見ても女の子。男の七割は私をストライクゾーンに入れてる」
「別の意味で心配になってると思うけどね」
明夫はマリ子の子供の頃に興味はないと立ち去ろうとしたのだが、マリ子があるものを手に取ると目の色が変わった。
「見て、子供の頃にやってたアニメのおもちゃよ。たしかこう……いつでも、ろくでなし。波乱万丈な人情劇。いろはにほへとを考えたやつは変人。みたいな感じ」
マリ子は箱に入ったままの変身グッズのおもちゃを振って、うろ覚えのセリフを言ってみた。
明夫は「違う!!」と大声を上げた。「いい気分で、ロックンロール。弾け飛ぶほど、にっこりスマイル。いろはにほへとのほへとで変身だ!!!」
「……なんで、あんたが知ってるのよ」
「僕から言わせれば、なんで君がアイプラのミュージカルパワーモデルの変身アイテムを持ってるんだ!」
「私は女の子で、これは女児の向けのおもちゃだからよ。難しいだろうけど、共通点を探してみて」
「君! これがどれだけ凄いことかわかってるの? 未開封なんだぞ!」
「しょうがないでしょう。興味がなかったんだから」
「完璧だよ。大衆に迎合されなかった君に乾杯だ」
「やめて……乾杯とか、一気とか、お酒を連想させるようなことを言うと吐くわよ……」
「わかった……気をつけるよ。本当は嫌だけど……君のブラを外したっていい。少しは楽になるだろう?」
「ブラはしてないし、パンツもはいてないわ。今体を締め付けるもの身につけてたら、どうなるかわかったもんじゃないもの」
「そうだね。それがいいよ。それで……君はいくらで僕にこれを売ってくれるんだ?」
「こんなものを買うつもりでいるの?」
マリ子は驚いた。子供の頃。それも一度も使ってないおもちゃを、明夫が買い取ろうとしているのだ。元から捨てるつもりだったので、ゴミに値段がつくことにびっくりしたのだ。
「当然だ。だって未使用だよ」
「男って使用済みのほうが、価値が高いんじゃないの?」
「君はわかっていないようだから教えるけどね。ミュージカルパワーモデルっていうのは、ものすごい初期のアイプラなんだ。つまり、まだ大人気じゃなかった時代。色々な試行錯誤を繰り返していたということ。ちょっと大人向けに路線を変更したせいで、親と見るには気まずいシーンが入って苦情なんてざらだったんだ。しかし、ミュージカルパワーが終わり、ラブバラードモデルに切り替わるのと同時に、徹底的に排除したんだ。大きな子供向けの要素をね。その結果、人気はうなぎのぼり。しかも、このミュージカルパワーモデルは闇に葬られた。アイプラのホームページを確認しても、ナンバリングから外されてるんだ。これがどういうことかわかる?」
「女の持ち物は、いつだって変態を興奮させるアイテムだってことくらいね」
「わかってないな!」
明夫が大声を出すと、マリ子は箱で顔面を叩いた。
「うるさい……。二日酔いの頭に響くでしょう……」
「殴ったな」
「箱で軽くひっぱたいただけでしょ」
「この箱で殴るのが信じられないんだ。傷はついてないだろうねぇ」
明夫が箱を念入りにチェックしていると、コーヒーカップを持ったたかしも二階へと上がってきた。
「はい、濃くしてきたよ」
「ありがとう。もしかして、たかしもこれが欲しかったりする?」
「せんべい? いらないならもらうけど」
「違う。オタクが持ってる変身アイテム」
「本物なら考える」
「本物よ、こんなに可愛く成長したんだから」
マリ子はコーヒーを啜ると笑みを浮かべたが、すぐに頭痛に襲われて眉間シワを寄せた。
「君は一度も開けなかったんだから、変身はしてない」
明夫はスマホでプレミア価格を確認しながらも、マリ子の矛盾につっこんだ。
「なら、偽物ね。いらないわ」
マリ子はいらないので明夫に押し付けようとしたのだが、たかしが「待った」と止めた。
「明夫……ちゃんと説明したのか?」
「したよ」
「オレが言ってるのは、彼女にもわかるようにってことだ」
「……したよ」
「本当にか?」
明らかに明夫の様子が変わったので、マリ子は「どういうこと?」と聞いた。
「ネットでマニアに売ればどれだけの値段になるかってこと」
明夫は余計なことを言うなと「ちょっと待って!」と叫んだ。
「うそ……子供のおもちゃよ」疑うマリ子にたかしがスマホを見せると「わーお……」とつぶやいて口を開けたまま固まった。
「これ……ゼロの桁間違ってない?」
「間違ってたら、明夫が必死こいて説明しない」
「私超リッチじゃん……」
マリ子は意地悪な笑みを浮かべると明夫に視線を送った。
「わかったよ……君の言い値を払う」
「じゃあ百万ね。――うそよ。あなたにあげるわ。あなたの部屋を一つ取ったお詫びにね」
「うそみたいだ……本当に? 君のことを誤解していたみたいだ。ありがとう……大切にするよ。僕の家宝だ」
「誤解なんてしてないわよ。あなたが思うように、私は可愛くて性格の良い女の子だから」
二人が仲良くなるのを見て、たかしはホッと一息ついた。このまま上手くいってくれれば、日々の争いもなくなってくれると。
たかしがそう思っていると、マリ子がくしゃみをした。
「埃のせいね……古いものばかり送ってくるから」
「それなら、箒でも持ってくるよ。古い家のメリットだね。風通しが良いから、掃除機を使うよりも窓を開けて掃いたほうが埃が飛んでいくんだ」
たかしが箒で『掃く』と言った瞬間。マリ子はダンボールをバケツ代わりに嘔吐した。
それに明夫が「うそうそうそうそうそ!」とパニックを起こした。ダンボールの中には変身グッズ以外にも未開封のお宝があったのだが、マリ子が嘔吐物をぶちまけたことにより価値が地まで落ちてしまったのだ。
「ああ……それ全部あげる。たぶんそういうフェチの男もいるから、ある意味プレミアついたかも……。あげるんだから後始末よろしく」
マリ子はさすがに悪いことをした思ったのか、ダンボールを足で押し出すと、素早く部屋のドアを締めて逃げた。
「君がはくとか言うからだぞ! 僕のお宝が!」
「嘔吐物フェチで、そのグッズを集めてる人とかいないの?」
「僕は売るつもりはなかったんだ! もう売れないけどね」
「じゃあ、明夫が嘔吐物フェチになれば解決だ」
たかしは悪かったと明夫に謝るが、これ以上絡まれるのもごめんだと逃げ出した。
絶望に襲われた明夫はしばらく考え込んだが、その時間の分だけニオイが酷くなったので、泣く泣く全てを処理することに決めたのだった。




