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2.1チャンネルスピーカーズ  作者: ふん
シーズン1
10/132

第十話

「見て……あの後ろ姿……綺麗だよな」

 たかしはマリ子の後ろ姿を見て、たまらないという感情を乗せて深く息を吐いた。

「正気? 三十分経ってもまだコーヒーを淹れられないあの姿を見て、本気で惹かれてるの?」

 明夫はボサボサな髪の毛で、コーヒーミルと格闘するマリ子に呆れていた。

「キッチンに立つ後ろ姿が素敵だって言ってるの」

「僕だってちょっと前まで、キッチンにずっと立ってた」

「わかったよ……。君も素敵だ。これでいいか?」

「いいわけないだろう。僕に構うより、早くコーヒー豆は煎って使うものだって教えてあげて。まだ間に合うよ。コーヒーミルを組み立てるのにあと一時間はかかりそうだ」

 マリ子はネットショップでコーヒーミルを買い、二人にコーヒーをご馳走すると言ったのだが、誤ってパーツを取り外したところ、元に戻せなくて悪戦苦闘しているのだった。

「心配いらないわよ。もう、コーヒー入れたから。どうぞ」

 マリ子はやり切った表情で、三人分のコーヒーを運んできた。まだ湯気が立っており、いかにも淹れたてのコーヒーだった。

「本当に飲めるわけ?」明夫は疑いの眼差しを送った。「煎るどころか、粉砕もしてないのに?」

「飲めるわよ。ほら」

 マリ子は息を吹いて湯気を飛ばすと、さほども冷えていないコーヒーに口をつけた。

 たかしも一口飲むと「本当だ。美味しいよ」と続けて喉を鳴らした。「オレはこの味が好きなんだよ」

「知ってるわ。買い溜めしてあるから」

 マリ子はインスタントコーヒーの空袋を振ってみせると、適当にテーブルに置いた。

「なんでミルなんか買ったわけ?」

 たかしはインスタントコーヒーでも十分満足できるのにもったいないと、顔を顰めてコーヒーをすすった。

「ポイントが倍だったからよ。この商品はポイントが十倍ですって書かれてたから買うでしょ?」

「どうだろう……。この家を買ったらポイント十倍って書いてあったら買う?」

「前からいいなと思ってたの。オシャレな生活にはつきものでしょ?」

 マリ子はコーヒーミルを片手に、インスタントコーヒーが入ったカップとのツーショット写真を撮ると、すぐさまSNSに上げた。

「飲んでるのは、特売品のインスタントコーヒーだぞ。そんなの詐欺だ」

 明夫はコーヒーをカップからコップへ移し替え、そこに牛乳をたっぷり入れると、半分ほど一気に飲み干した。

「この写真のどこに詐欺があるってのよ」

 マリ子は今SNSに上げたばかりの画像を明夫に見せつけた。

「第一に――君の目はこんなに大きくない。第二に――頬はこんなに赤く染まってない。第三に――この家のライトじゃこんな肌色にならない。3D初心だって、もう少し自然にライティングするね」

「いいのよ。今はなんだってデジタル化される事大よ。デジタル化された私がこれなの」

「一人寂しくモーニングコーヒーって……僕らもデジタル化して消したのか?」

「仕方ないでしょう。今の彼氏も見てるのよ。男と同居してるって、わざわざSNSで伝える意味ってなに? アンタの好きな声優が同じことをやったらどう思う?」

「そんなの酷いよ!」

「でしょう。だから、夢を残しておいてあげてるのよ」

「たかし、もしかしたら彼女は凄い優しい女性なのかもしれないぞ。そうなると君にはもったいないのかもしれない。彼女のことは筋肉ムキムキの男に任せよう。それが一番だ」

「あぁ……そのことなんだけど。これが今の彼氏」

 マリ子は恋人の写真を見せた。そこに写ってるのは、以前明夫が見せられた男とは別人だった。ギターの入った鞄を背負い、如何にもバンドマンといった格好をしている。

「待って……もう別れたの?」明夫は驚愕した。「それで、もう新しい恋人? マジシャンにでもなるつもりか?」

「そういうこと。夢を残しておくと、男が夢を追いかけてくるのよ。それじゃあ、私はデートだから。夢追い人と」

 マリ子は飲み掛けのカップを出したまま、デートの身支度をするために自室へと戻っていった。

 たかしは「ショックだよ」とため息をついた。「あんなことを聞かされても、まだ彼女のことが好きだ」

「わかるよ」明夫はたかしの肩に手を置いた。「僕もそうだよ。騙してお金を取っていたとしても、作品に罪はない」

「違う……オレは現実の話をしてるんだ」

「声優だって現実の女性だろう? 妄想という非現実を夢という現実との境目に導いてくれる。この世で最も重要な職業の一つだ……。待って……夢追い人って僕のことだ……騙されてた」

「いいかい? 明夫がどれだけ努力したところで、声優は君とは付き合わないし結婚もしない。なぜなら、そういうことを考えない人と愛を育むからだ。知ってる? 声優ってオタクの専門の介護士でもなければ、オタク専門のカウンセラーでもないんだ」

「知ってるよ。催眠術士だ。夢を見せて時間とお金を奪っていく。僕が言ってるのは、夢を見てるのに勝手に起こされることを怒ってるの」

「さては……最近推しの声優が結婚したな」

 荒れた口調の明夫を見て、たかしは前にも経験があると思い出していた。

「結婚は素直におめでとうだよ。今まで使ったお金は結婚祝いだ。問題は気に食わない相手と結婚したこと。なんだよ一般人って! 僕だって一般人だぞ」

「君は変人だ。一般人じゃないぞ」

「同じ声優同士がくっつくっていうならわかる。でも、一般人ってなに? そんなに出会いが溢れてるってわけ?」

「そうだよ。声優が天然記念物なら別だけどね。残念ながら、最近は減少するどころか飽和状態だ」

「僕を傷つけて楽しいわけ?」

「傷ついてるのはオレだぞ。せっかくチャンスをものにして好きな女の子と同棲したのに、彼女は他の男の趣味の下着を身につけてるんだ」

「気にするな。どうせすぐ脱ぐ」

「ありがとう。余計な想像をさせてくれて」

「たかし、勘違いするなよ。僕は君を怒らせたいわけじゃない。手を結ぼうって話してるんだ。傷つくのは嫌だろう?」

 明夫はもう一杯コーヒーを勧めながら、二人で誓約書を作ろうと持ちかけた。

「まさか、一生結婚しないように約束させるわけじゃないだろうな……」

「違うよ。お互いのめり込み過ぎたら、注意をし合おうって誓約だよ。そうすれば、僕は素直にキャラクターだけを応援できるし、君も夢を見過ぎて、恋人持ちの女をいつまでも思うなんてことはなくなるだろう?」

「そうだね……オレ達は好きなものの前にすると、少し考え足らずになることがあるでも……。もう少し早く言ってほしかった。最近のネットショップって、すぐ発送されて凄いよね。もう届くってさ」

 たかしはコーヒー豆を焙煎するロースターをネットショップで買っていた。

 昨夜、すでに支払い済みで、ちょうど配達員がチャイムを鳴らしたところだった。

「君は本当にバカだな……」

「だって、ポイントが十倍だぞ。それに、少なくとも僕らはオシャレな生活出来る。現実にね」

 そう言うと、たかしはコーヒーの生豆をロースターで煎り始めた。



「やっぱりこの話はなし……」

 たかしは香り高いコーヒー飲みながら、コーヒー臭いため息をついた。

「どうしてだよ」

「明夫の追いかけてる声優が多過ぎるからだよ。トレーディングカードじゃないんだぞ。集めてどうするんだ」

「集めてるんじゃない。集まったんだ。いいかい? この声優は演技力の幅が広い。脇役にいるだけで、登場人物の関係性に深みが増すんだ。それに、こっちの声優の演技は一辺倒だけど、それに勝る個性があるんだ。当て書きされ生み出されたキャラクターは数知れずだ」

「それで? どのフォースエネルギーを使う? オタクの熱量を考えると火かな?」

 たかしはポイント十倍と聞いて、ネットでカードを買い漁る明夫をからかった。

「笑えない……。なにがポイント十倍だよ。買っちゃうだろう……そんなの。ただでさえ、デッキが魔女の手によって汚されたんだ。新しいカードを迎え入れるのがそんなに悪いことか?」

「オレは新しい推しを迎え入れるのが悪いって言ってるの。明夫の推しの管理は出来ない。君には十五人も推しがいるんだぞ。何人もかかえて熱を上げてるから、高熱にうなされる。それで変なことばかり言うんだ」

「僕に言うなよ。ヒロインばかり増やす原作者に言ってくれよ。それがアニメ化されたら、推しも増えるに決まってるだろう。ハーレムアニメで、推しを一人だけに縛れ? 自分がどれだけおかしいことを言ってるのかわかってるのか?」

「色々言いたいことはあるけど、オレは一人に縛ってるだろう。見習えよ」

「同居して一ヶ月は経つっていうのに、告白をオタクに先越されたことをか? それとも、筋肉男か楽器男に恋人が変わったのに君は何も変わってないことをか? 後者なら、すでに僕は楽器にハマってる。バンドだって組もうとした」

「アニメの影響だろう。それもメンバーは集まらなかった」

「仕方ないだろう。皆ギターとベースばかり買って、ドラムを買うオタクがいなかったんだから」

「もうやめやめ。なんで手間暇をかけて淹れたコーヒーを飲みながら、こんなしょうもない言い争いをしないといけないんだよ……。もっと優雅に考えよう」

 たかしはコーヒーを一口すすると深呼吸をした。

 明夫も冷めたコーヒーに牛乳をたっぷり注いで薄めると、同じように深呼吸した。

「悪かったよ。僕も君もふられたんだ。優しくし合うべきだったよ」

「あー……まぁ、それでいっか。どう? やっぱり辛い?」

 たかしは明夫の丸まった背中をさすりながら聞いた。

「まぁね、彼女とはいろんなことをしたよ。声に癒され、笑顔に奮起し、涙に決意を新たにした。ドラゴンだって一緒に倒したんだ……信じられるかい? この僕がだよ」

 たかしは「信じるよ」と優しく背中を叩いた。「妄想の世界じゃ誰もがヒーローだ」

「ありがとう。ドラゴンを倒したんだ。魔王を倒すまで応援するのが男ってもんだよな。アニメは最後まで見ることにするよ」

「そうだな。明夫には知恵も腕力もないけど――倫理もない。きっと正統派ヒロイン達が思い浮かばないような良い手が思いつくよ」

「そう思う? 嬉しいよ……。きっと魔王を倒してみせる」

「これで明夫の問題は解決だな。次はオレだ。どうすればいい? 身を引くべき? 奪うべき?」

「彼女は別の男とエッチしてるんだろう? 君も別の女の子とエッチすればいい。そうすれば共通点が出来る」

「それで、体位の話でも彼女としろっていうのか?」

「それ、本気で言ってる?」

「明夫がし始めた話だろう」

「違うよ、君はせいぜい三つが限度だろう。彼女が十個も名前を出してきたら、君は太刀打ち出来ない」

「明夫! なにを言ってるかわかってるのか!?」

 なんて非常識で失礼なことを言うんだと怒ったたかしだが、明夫はそんな憤慨する様子をしらけた目で見ていた。

「彼女が三つの体位で満足する女性だと思ってるなら、オタクの僕よりも、現実の女性と接するのに向いていないよ」

「わざわざ言わなくてもいいってことだ。他にも話題はたくさんあるだろう」

「ないよ。でも、僕の悩みを解決してもらったんだ。君の悩みも解決すべきだ。だから僕は考えた。君は買うべきだ。この血の代わりに空気が流れてるお嫁さんを。ポイント十倍だしね」

「買うか!」

 たかしは怒鳴り散らすと、冷めたコーヒーを一気飲みして部屋へと戻った。



 数日後。一冊の本を片手にしたマリ子は、たかしの部屋を訪れてた。

「これ届いてたわよ。初めての四十八手? 中学生男子みたいな本読むのね」

「オレ宛の荷物を勝手にあけたんだね……。深い意味はないよ。そう、ポイント十倍だったから」

「なるほど。確かに十倍の魔力には負ける。私もコーヒーミル買ったけど、もう使ってないし」

「オレは使うきまんまん。変な意味じゃないよ、この四十八手は……えっと……正義の為に使うんだ」

「凄いのね。まさしく性技の味方ね。でも、ちょっとレトロ過ぎない?」

「どういうこと?」

「時代はフリースタイルよ。ベッドでどんな格好をするかなんて、その日の雰囲気次第ってこと。ベッドがないところもあるし。この間は船の舵輪を回してるみたいだったわ……。今思い出しても謎ね……」

「そんな明夫の妄想みたいなことするの? ついでに、それって……十倍でついた時のポイントで買えるかな?」

「本を買うより、女を買った方が手っ取り早いわよ。ポイントはつかないかも知れないけど、男の勲章て呼べるスタンプはつくかも」

 マリ子はからかって笑うと、本を置いて部屋を出ていった。






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