己の中に基準がなければ、自由はただの不安である
今日も今日とて、俺は一心不乱に金槌を振るい鉄を叩く。それはドルトン師匠に二度目の弟子入りをしたあの日から変わることの無い日課だが、初日とは違うところが一つだけある。それは……
「こんにちはー。エドー、お昼持ってきたわよー?」
もはやこれっぽっちの遠慮も無く、ごく自然な態度で店から鍛冶場に入ってきたティアがそう声をかけてくる。その手には手提げのついた編み籠があり、俺は剣を打つ手を止めるとティアの方に振り返って言う。
「おう、いつも悪いなティア。ありがとう」
「どういたしまして」
礼を言う俺に、ティアが笑顔でそう答える。一見すると俺が一方的に面倒をかけている駄目男っぽいが、実はそうじゃない。俺はともかくティアの方は、こうして頻繁に店に顔を出させて師匠と関わりを持たせておかないと、万が一「勇者パーティに加入している」という条件を満たせなかったら大変だからだ。
というか、正直これで絶対に条件を満たせているという確信はない。ないが、かといってティアに鍛冶をやらせることもできないので、現状このくらいしかいい手が思いつかないのだから仕方が無いのだ。
「今日はサンドイッチか、いい感じだな」
「でしょ? 宿に戻ったらちゃんと女将さんに感想を言ってね」
「あ、今日はそうなのか。わかった、夜にでも言っとくよ」
ティアの持ってくる昼食は、その日によって調達場所が違う。同じ場所で頼み続けると必然メニューも同じになりがちなので、いろいろ気を遣ってくれているんだろう。
冒険中なら代わり映えのしない保存食が何週間どころか何ヶ月も続くことすらあるが、曲がりなりにも町にいるんだから食のバリエーションはあった方がいいに決まってる。
「ドルトンさんも、良かったらどうぞ」
「おう、じゃあもらっとくか」
ティアの勧めに、師匠もまた笑顔でサンドイッチに手を伸ばしてくる。ぶっきらぼうな物言いと厳つい顔は一見すると仕事の邪魔をされて不機嫌なように見えるが、実際のところは上機嫌で笑っている。
この表情の違いを見分けられれば師匠検定は合格であり、ティアはあっさりと見分けることができるようになっていた。俺はそこまで結構かかったんだが、コミュ力の塊であるエルフ様には造作も無いことらしい……むぅ。
「そうだ。ねえドルトンさん。ずっと思ってたことがあるんだけど、聞いてもいいかしら?」
自身もまた適当な椅子に座りサンドイッチを囓るティアが、そう師匠に話しかける。あまり人付き合いの得意じゃない師匠もティアの近さにはかなわなかったのか、子供が泣き出しそうな……つまりは普通の顔でティアに答える。
「ん? 何だ?」
「私がいつ来てもお店の方には誰もいないみたいなんだけど、あれって大丈夫なの?」
「店ぇ? 確かに鍛冶に集中してるときは客が来てもわからねーこともあるが、まあ平気だろ。用があるならまた来るだろうしな」
「えぇ……? いや、そうじゃなくて! あんなに立派な剣が何本も飾ってあるのに店番すらいないって、盗まれたりしないのかなーって」
「ああ、そういうことか」
ティアの問いに、師匠がポンと膝を叩いてニヤリと笑う。
「この辺じゃ誰でも知ってる話なんだが、俺達が鍛えた剣を売る時は、とある場所に真印ってのを入れるんだ。店先から盗んだりしたら当然真印はねーわけだから、そんな剣売るどころか研ぎに出すことすらできねー。
それでも使い捨てにするつもりかなまくらのまま使い続けるって手なら無くもねーが、わざわざ町中で剣を盗んで、衛兵の目をごまかして町の外まで運んでそんなことするか? それなら町の外で適当な冒険者をぶっ殺して剣を奪った方がよっぽど楽だ。
だからまあ、結果として剣を盗む奴はまずいねーってことだな」
「そうなの? その真印っていうのを偽造するとかは?」
「はっ! 真印ってのは、それを刻む職人の腕そのものだ。例えば俺の真印をそっくりに偽造できるなら、そいつ自身に俺に近い鍛冶の腕があるってことになる。そんな奴がわざわざ真印の偽造なんてするか? 普通に自分の名前で剣を打ちゃいくらでも仕事があるんだぜ?」
「あー、それは確かにやらないわね」
師匠の言葉に、ティアが苦笑いを浮かべる。有名どころの真印を偽造できる腕なら自分で鍛冶をした方が儲かるし、二流三流の鍛冶師の真印なんて偽造する価値がない。
なので結果として誰も真印の偽造なんてしないし、それが無い……つまりは金に換えられない剣なんて誰も盗まないということだろう。
「でも、絶対盗まれないってこともないですよね? 俺の聞いた話では、年に一本くらいは盗まれてるってことでしたけど」
「えっ、そうなの!? 駄目じゃない!」
これは今の俺ではなく一周目の俺が聞いた話だが、俺がこの世界に来る前の話なのでこの世界でも同じはずだ。そんな俺の言葉にティアが驚いて大きく目を見開くが、師匠はどこ吹く風とばかりに笑い飛ばす。
「へっ、仮に一〇本盗まれたとしても、そのうち八本の盗人はあっさり捕まる。残り二本くらいは捕まらねーで終わりだが、五年に一本くらいなら面倒な店番を雇うよりもよっぽどいい。そんだけの話よ」
「うわぁ、豪快というか適当というか……」
「はっはっは、師匠らしいぜ」
盗まれることを気にして対策をするよりも、たまに盗まれる程度なら放置した方が楽。それを費用対効果を見越した見事な対応とみるか単に適当なだけだと顔をしかめるかは人それぞれだろうが、この店はそれこそ師匠一人で経営しているのだから、本人が良ければ誰も何も言ったりしない。
それをわかっているからこそティアも呆れ顔をする程度にとどめているわけだが、その表情のままにティアがこちらに視線を向けてくる。
「ドルトンさんの考え方を否定はしないけど、エドは真似しちゃ駄目よ?」
「しねーよ! いや、そもそも店を持つつもりもねーし!」
「何だテメー、自分の店が欲しくて修行してるんじゃねーのか?」
「あ、いえ。俺はあくまでも自分や仲間のために最高の剣を打ちたいってだけなんで、不特定多数の客を取るつもりはないです……駄目ですかね?」
「駄目ってこたぁねーさ。ただそれなら、常に客観的な視点を持つことを忘れるな。自分のためってのは無限に手をかけられる反面、妥協しても文句を言う相手がいねーってことだからな。
自分の中だけで正解を見極めるのは難しい。感覚だけじゃなく、誰にとっても同じになる『基準』を作れ。これができたら完成ってのを作る前の段階で明確に線引きして、そこは揺らすな。
ま、その線引き自体は死なない程度に痛い目みながら自分で決めるしかねーわけだけどな」
「ありがとうございます師匠。勉強になります」
「チッ! よせよせ、神妙な顔で言うんじゃねーよ!」
真面目に頭を下げた俺に、師匠が顔をしかめてそっぽを向く。そのままムシャムシャとサンドイッチを平らげると、何も言わずに仕事に戻っていった。照れている時に師匠がよくとる態度だ。
『フフッ、エドのお師匠様って、やっぱりちょっと可愛いわよね』
『お前、それ絶対言うなよ!? 師匠がマジで不機嫌になるからな!?』
『言わないわよ。だからこうしてエドにだけ言ってるんでしょ?』
そっと手を触れ、「二人だけの秘密」で伝えてきたティアが悪戯っぽい笑みを浮かべる。もしこれが小声であっても普通に話していたのであれば、俺の脳天には手加減の無い拳骨が落ちてきていたはずだ。
触らぬ神に祟りなし。危険な話題を続けて痛い目をみるのはまっぴらごめんなので、俺もまたサンドイッチを一息に頬張ると、食事を終えて気持ちを切り替える。
「さーて、それじゃ俺も仕事に戻るかな。弁当美味かったぜ、ティア」
「お粗末様。って、私が作ったわけじゃないけどね」
「ははは、だな。じゃ、また後で」
「はーい。またね」
昼食を終えて、ティアが鍛冶場を出て行く。その後は再び鍛冶に没頭し、夜になったら迎えに来たティアと帰って寝るというのが最近の俺の日々だったわけだが……そんな毎日がさらに一週間ほど続いた、とある日の朝。
「あー、どうやら剣を盗まれちまったみてーだな」
「は!?」
珍しく本心からの渋顔を浮かべる師匠の言葉に、俺は朝から間抜けな声をあげてしまった。




