目覚めし才能は未来を掴み、されど余韻を取り逃がす
今回は三人称です。ご注意下さい。
ドクン、ドクンと胸が高鳴る。それはトビーが何かから逃げる時にいつも感じていたものだ。
だが、今日はそれがいつにも増して強い。どう考えても無謀としか思えない逃げ方をしているのだから、それも当然だ。
目の前には、騎兵が一〇〇騎。自分一人が駆けたところで、踏み潰されて終わり。そんな結果が分かりきっているはずなのに、今のトビーはどういうわけか自分が捕まるイメージが一切湧いてこなかった。
(行ける……っ!)
迫り来る騎兵の正面に、まずは音響玉を叩きつけた。訓練された軍馬はその程度で取り乱したりはしないが、いきなり近くで大音響が鳴り響けば戸惑うくらいはする。トビー自身も聴覚に支障が出るが、最初からその覚悟があれば数秒音を失うことなど大した痛手ではない。
「フッ!」
短く息を吐きながら、馬と馬の間に自分の体を滑り込ませる。かするだけで致死となる馬体に触れない位置を見極めつつ、馬上という高さを生かした頭上からの必殺攻撃を紙一重で回避していく。
(わかる……見える……っ!?)
いつの間にか、トビーの視界は青く染まっていた。その世界では時がゆっくりと流れており、振るわれる攻撃の未来の軌跡がどういうわけだか見える。ならばこそトビーはその軌跡から避けるように体を動かし、結果として豪雨のように降り注ぐ攻撃の全てをかろうじてかわし続ける。
(行ける……行ける! 僕は行ける! 今回も逃げられる!)
右に左に、時にはしゃがんで走り抜ける騎馬の股下すら通り抜けて、トビーは前に進んでいく。自分が居るべき場所を見極め、そこに寸分違わぬように己の体を収めることで必死の世界を駆け抜ける。
(もう少し……あと少し……っ)
互いが互いに向かって突進している以上、トビーと騎馬隊の交差する時間はほんの数秒。その短い時間を何時間にも感じるほどに引き延ばし、幾万もの死の可能性を振り払って進むトビーの視界に、やがて死出の軌跡以外の青が見えた。騎馬隊を抜けたのだ。
(やった! ……とはまだ言えないよね)
開けた世界の向こう側には、トビーを忌々しげに見つめるロウエル王子と、彼を守るように囲んでいる五騎の騎兵がいる。他の者達とは一線を画す豪奢な鎧を身に纏うそれらは、おそらく王子を守る直属の近衛だろう。
「チッ、無能共が! 殺せ!」
「「ハッ!」」
ロウエル王子の号令に、近衛騎士達がトビーに向かって駆け出してくる。左右から挟み込むように二騎……目の前に青い軌跡が幾十も刻まれる。
「フー……」
押し潰されそうなプレッシャーに、トビーは深く息を吐くことで対応する。一五で冒険者になってから……いや、それ以前も散々逃げ続けた人生だったが、ここまで身近に死を感じたのは初めての経験だ。
だというのに、むしろトビーの心は落ち着いている。極限であればこそ目覚めた己の才能が色濃く死を見せるが故に、生きる活路も見出せる。
「ぬっ、おぉぉ!?」
「馬鹿な!?」
跳ぶ、かがむ、ずれる、いなす。すれ違い様に見せたトビーの体術ならぬ回避術に、近衛の二人が驚愕の声をあげる。すぐに回頭してトビーに向かおうとするが、その時には既にトビーはロウエル王子の前に辿り着いていた。
「避けもせず余に向かってくるか! いいだろう、直々にその首はねてくれるわ!」
(そんなつもり無いんだけどなぁ!)
相手は全員騎兵なのだから、下手に曲がって速度を落とすよりまっすぐ全力で走った方が生き残れる確率が高い。ただそれだけのことを誤解されて内心叫び声をあげるも、ロウエル王子に心の声は届かない。忌々しげに顔を歪めたロウエルが腰の剣を抜き放ち、トビーに向かって振り下ろす。
「ひょわっ!」
間抜けな声をあげながら、トビーは体を一回転させてその剣をかわしきった。複雑なステップに足を取られそうになったが、転んだ場合もほぼ即死なのでギリギリで踏ん張り、ロウエル王子の横をすり抜けることに成功する。
ちなみに、この時横にいた近衛兵が剣を突き立てていればトビーはそのまま死んでいた。だが「王子に向かって剣を突く」などということが近衛兵に許されるはずがなく、ならばこそ死の軌跡が見えなかったトビーが一世一代の覚悟を持って走ったからこその生還である。
(やった、やった! 今度こそやった!)
眼前にもはや敵は無い。石造りの関所の門まで、残り一〇〇メートル。もしもその分厚い扉を閉められてしまえば万事休すだが、それを成すには両国の合意が必要なため、如何に王子とはいえロウエルの一存では不可能。
(これで…………っ!?)
勝利を思い浮かべたその時、最初に抜かれた近衛兵が切り返してトビーを追いかけ、馬を転ばせる勢いで体当たりを仕掛けてきた。その捨て身の一撃は、有効範囲が広すぎるせいでどうやってもかわせない。
(どうする? どうする! どうすればいい!?)
焦るなかでも、死を招く青い軌跡は見える。が、それは既に自分をスッポリと包んでおり、自分を助けてくれた力が自分の死を確約している。
しかし、トビーは逃げることを諦めない。少しでも死から逃げるために、腰の鞄から小さな玉を取りだして地面に落とす。
「バヒィィィィィィン!?」
勢いをつけすぎたために、馬が自分を巻き込んで倒れ込もうとしている。その足下に転がった玉が踏み潰され、瞬時に辺りに煙が立ちこめた。
それは極めて些細な違い。玉を踏んだことにより爪の先ほどだけ馬が足を滑らせ、吹き出た煙を嫌がって顔を背けたことで髪の毛一本分馬の体が余計に傾く。
その程度の違いで死の軌跡から逃れることなどできない。ただ自分が死ぬまでの時間が瞬き一回分ほど延びただけ。最後の最後に見せた、逃げの勇者のみっともない悪あがき……それがトビーの運命を変えた。
「っ!?」
グッと、トビーの背を押す何かがあった。ブワリと吹いた風が、倒れ込むはずの馬体を支えていた。喚く王子の鼻先で爆発が巻き起こり、すぐそこまで追いすがっていた二騎目の近衛兵が馬上から吹き飛ばされた。
「行けーっ!」
「行って!」
「お行きなさい!」
「お行きくだされ!」
旅を共にした仲間の声が聞こえた。いや、半分は仲間と言うのはどうかと思うが、少なくともこの場では味方であるはずの声が、トビーの背を押し足を回す。
「おおおおぉぉぉぉぉ!!!」
走る、走る。逃げるために、守るために。
「逃がすな! 誰でもいい、そいつを止めろぉ!」
「うるせーな! 今いいところなんだから、少し黙っとけ!」
「ぐほっ!?」
一歩が途轍もなく遠く、一瞬が途方もなく長い。なのに背後のやりとりが妙にはっきりと聞こえて、トビーは内心で笑みをこぼす。
もう少し、あと少し。はち切れそうな心臓を無視し、千切れそうな足を振り上げ、徐々に狭まり始めた視界にゴールだけを映してまっすぐに走る。普段なら幾人かが順番待ちしたりしているそこも、今は門を守る衛兵が静かに佇んでいるのみ。
あと一〇歩……あと三歩……最後の一歩を……渾身で踏み出す!
「ハァッ……ハァッ……ハァァァァ……………………」
門をくぐったその瞬間、トビーはその場にうつ伏せに倒れ込んだ。最後の力で体を回して仰向けになると、何の変哲も無い石の天井が目に入る。
「僕の…………勝ちだぁ! 逃げ切ったぞぉぉぉぉぉ!!!」
「あの……」
「……?」
「規則ですので、入国手続きをしていただけますか?」
「あ、はい……」
逃走を極めた勇者トビー。その勝利の余韻もまた、僅か二秒でその身から逃げ去るのだった。




