正義と悪は手を結べるが、正義と正義は敵対しかできない
「うーん、そうか。最後はこう来るわけか……」
街道を埋め尽くす勢いで広がる軍勢に、俺は思わず半笑いを浮かべてしまう。永世中立を謳う法国への領土侵犯のリスクは桁違いに重くなるため、その手前で何らかの手を打ってくる勢力があるとは思っていたが、この国の旗を抱えた軍勢に阻まれるのは流石に予想を超えていた。
「迂回とか、できないわよね?」
「迂回自体はできるかも知れませんが、結果は変わらないのではありませんか?」
「そもそも、騎兵を相手に他の関所へ向かうのは相当に難しいかと」
「だよなぁ」
俺とティアが全力を出せば、それでも逃げ切るだけなら不可能ではない。だが王国から法国に入る関所はここしかなく、他国を経由するにしてもその国の軍隊が同じように法国の関所を封鎖してくるかも知れない。
現時点では可能性の話ばかりだが、周辺諸国が軒並み信用できない現状では撤退は基本悪手だ。唯一話が通じそうなグラドラ獣国は法国と国境を接してないしな。
「よく来たな、盗人ども!」
と、渋顔で話し合いを続ける俺達の耳に、軍隊の方から声が聞こえてくる。それに合わせてゆっくりと騎馬を進めてきたのは、何とも豪華な衣装に身を包んだ、俺達とそう歳の変わらない若い男だ。
「余はオスペラント王国第二王子、ロウエル・オスペラントである! 我が国の国宝を奪った盗人どもよ、無駄な抵抗は止めて大人しくせよ!」
「盗んだ? おいトビー、どういう――」
「ど、どういうことですか!?」
俺が問うより先に、トビーが一歩前に出て大声で叫ぶ。するとトビーの姿を目にしたロウエル王子が物理的にも精神的にも見下しながら声をかけてきた。
「貴様が陛下をたぶらかし、国宝を奪ったという賊か」
「賊って、そんな馬鹿な!? 僕は間違いなく国王陛下から仕事を――」
「黙れ! 貴様のような下賤な賊と、第二王子である余の言葉、どちらに信があるかなど競う余地すらないであろうが! それとも何か? 貴様は余が嘘をついているとでも言うつもりか?」
「それは……いえ、とにかく誤解です! 陛下に! どうか国王陛下にご確認ください!」
「それは無理だな」
トビーの必死の訴えに、ロウエル王子がニチャリとした笑みを浮かべる。
「二月ほど前から、陛下は病に伏せっておられる。それに我が兄上も何故か留学先であるストルヘルムから戻って来ないしな。故に今は余こそがこの国の全権を任されているのだ」
「そんな!?」
「チッ……おいトビー、王様から委任状みたいなのを貰ってたりしないのか?」
ニヤニヤと笑いながら言うロウエル王子をそのままに、俺は小声でトビーに話しかけた。だが愕然とした表情を浮かべるトビーは力なく首を横に振る。
「ありません。これはあくまでも秘密の依頼だからと……他の誰にも明かせないし、任せられない。大切な任務だと言われて……だから証拠になるようなものは、何も……」
「そうか。そいつは厳しいな」
どんな経緯でそうなったのかは俺には知る由も無いが、少なくとも今現在、トビーの正当性を保証するものが何も無い。加えて相手が王族となれば、まっとうな手段でこれを覆すのは無理だろう。
「まったく、我が父ながら陛下は何を思って国宝を外に出そうとしたのか。外交にでも戦争にでも、使い道は幾らでもあるというのに……ほら、さっさと渡せ。それともこの場で首をはねてから奪い取られる方が望みか?」
「…………戦争?」
何気なく呟いたロウエル王子の言葉に、トビーの体がピクリと反応した。己の懐に手を入れ、俯いたトビーが震える声を絞り出す。
「……陛下は言っていた。国家の運営は綺麗事だけで成り立つような甘い物じゃない。何百万の民の命を背負うからこそ、時には非情無情と呼ばれるような手段を選ぶこともあると。
でも、それでも越えてはならない一線がある。この世界に生きる人として、全てを壊すような力は到底認められない。それを使って国益を得たりすれば、必ずそれを奪い合い利用し合い、そして最後は全てを破壊してしまう。
だからそれを封じて欲しいと、この僕に頼んだんだ。いつかこの力を手放したせいで国が滅んだならば、自分は天下の愚王としてその名を残す覚悟をして……それでもなお世界の全てに明るい未来があればと願って!」
「ハッ! 何だそれは! 国益を追求せずして何が王か! 貴様のように好き放題に移住できる冒険者ならいざ知らず、我が国の民が我が国を豊かにする術を投げ捨てる王を支持などするものか!
どれほど危険で強大な力であろうと、余が完璧に利用してやろう! 全ては我がオスペラント王国のために!」
燃える瞳で睨み付けるトビーを、ロウエル王子が正面からにらみ返す。どちらも一歩も譲らず、そして大義はどちらにもある。
「おい、そこの護衛の冒険者よ! お前達はどうだ? 余の大義に感銘を受けそこの不埒者を捕らえる協力をするのであれば、相応の報酬を払おうではないか! ああ、そっちの薄汚い盗人共にも、国内限定ではあるが恩赦を認めよう。
義も利も余の方にある。わかったらさっさと忠義を示せ!」
「……だって。どうするのエド?」
「ん? 俺達の答えは最初っから決まってるだろ。パーム達はどうするんだ?」
「あら、奇遇ですわね。私の答えも決まっておりますわ」
チラリと目配せした俺に、パームが小さく笑って答える。そうして俺達四人はトビーの横を通り過ぎるように歩き……ニヤリと笑った王子の前で、俺達は武器を構える。
「……どういうつもりだ?」
「アンタが自分で言ったんじゃねーか。俺とティアは根無し草の冒険者。この国の国民じゃねーんだから、一国の国益よりも世界全体の利益を取るのが当然だろ? それに、護衛依頼も受けてるしな」
「そういうこと。冒険者は信頼が第一なのよ?」
勿論、俺達には俺達の目的があり、トビーを裏切ることはしないし、できない。だがたとえそうでなくても、俺達の立ち位置は変わらない。今まで通り過ぎてきた世界の勇者達に背を向けるような選択を、俺達が選ぶはずがないのだ。
「私も、信用できない相手との口約束を真に受けるほど愚かではありませんの。それに……」
言って、パームがチラリとトビーの方に視線を向ける。
「そのお宝に相応しいのは貴方では無く私ですわ。貴方の如き小物の手に渡っては宝石の価値が下がってしまいますもの。せっかくのお宝の価値を下げようというのであれば、邪魔するのが当然でしょう? ねえクロード?」
「左様でございます。こびりついた豚の脂を拭き取るのはなかなかに手間ですからな。できればご遠慮いただきたいものです」
「…………そうか。フッ、所詮は下賤の者。大義を理解するどころか場の趨勢すら読めぬほどの愚か者だというのであれば、ゴブリンにすら劣る害獣に他ならない」
侮蔑の籠もった言葉を吐きながら、ロウエル王子が踵を返して軍隊の中へと戻っていく。堂々と背を向けるのは驕りと誇り故であろうし、実際俺達は手を出さない。殺して始末をつけてしまえば、それこそ大義を失ってしまう。とはいえ……
「で、どうすんだトビー? あれ倒すわけにはいかねーんだよな?」
遠からずこの世界を出ていく俺やティア、最初から賞金首のパームとクロードにとっては、ここで王国軍をどうにかすることに大した問題はない。強いて言うなら流石に全滅させたりすればパームの賞金は跳ね上がるだろうが、それは俺の知ったことじゃないしな。
だがトビーは違う。これからもこの世界で普通に生活していくなら、ここで王国軍を倒すわけにはいかない。たかだか一冒険者が明確に国軍と刃を交えたりすれば、よほど遠くの国まで移動しなければまともに仕事を受けることはできないだろう。それを一番理解しているのは、当然トビーその人だ。
「勿論です! 一人だって死なせたら、きっと僕はお尋ね者になっちゃいます。だから――」
手足を震わせ、声を震わせ、だがその瞳はまっすぐに俺を見て。
「誰一人死なせること無く、あの軍勢を突っ切って法国まで逃げ切りましょう!」
「なるほど、素晴らしく平和的な解決法だ。で、具体的な作戦は?」
「僕が一人でまっすぐ突っ切ります。援護をお願いできますか?」
目の前に立ち塞がるのは、一〇〇騎ほどの騎兵。そんなものをたった一人で駆け抜けるなど正気の沙汰ではないが……決意の籠もったトビーの目に、俺は笑顔で頷いてみせる。
「わかった。なら今だけはお前自身じゃなく……お前の進む道を守ろう。行け、トビー!」
俺の叫びと共に、トビーが一目散に正面へと駆けていく。こうして一方的なハンデを背負った戦いの火蓋が切って落とされた。




