優れた交渉は、始める前から結果を見据えている
「さてー、それじゃお嬢さん。楽しい交渉の続き……の前に」
一見すまし顔、だが内心では相当に悔しがっているであろう宙づりお嬢様を前に、俺は一旦崖を飛び降りて拘束された帝国兵の方へと近づいていく。すると――
「うわぁぁぁ!?」
「……………………」
「あー、やっぱりこういう感じになるのか」
拘束されていた全員が、突如激しい炎に包まれる。それはあっという間に帝国兵の体を焼き尽くし、ほんの一〇秒ほどで辺りには拘束相手を失った太い蔦だけが虚しく風に揺らめくことになった。
「え、え、エドさん!? 何!? 何ですかこれ!?」
「何って、そりゃ口封じだろ。こういう感じの相手ならありがちな手だな」
「ありがちって!? じゃあこの人達が自殺するってわかってて放置したんですか!? そんなの――」
「酷いか? 問答無用で殺しに来た相手を全力で助けてやるほど、俺もティアもお人好しじゃねーぞ?」
「それは……でも……」
「ごめんなさいトビー。貴方の気持ちはわかるけど、私達じゃどうしようもなかったのよ」
理解はできるが納得はできないといった様子のトビーに、ティアが少しだけ悲しげに言う。ティアだって襲ってきた相手を殺すことに躊躇いはなくても、戦闘終了後に無抵抗な相手を殺したいと思ったりはしていないはずなのだ。
「上で釣られてるお嬢さん曰く、こいつら帝国の奴らなんだろ? どう考えても無断で越境したうえで、他国で強盗なんてやってるのがバレたら普通に戦争のきっかけにだってなるからな。
敵も味方も念入りに、何の痕跡も残さず……ってのが最低条件なんだから、俺達程度じゃどうしようもねーのさ」
国家の後ろ盾は伊達じゃない。個人が簡単に無効化できるような自決装備なんてしてねーだろうし、正直俺達としてもこいつらの存在は持て余す。下手に無事な状態で捕縛なんてしたら、それこそ次は全力で潰しに来ることだろう。
おお嫌だ。国から逃げるならまだしも、国相手に喧嘩なんて最後の手段でも御免被りたい。
「まあ、厄介事が消えてくれたってことで割り切れ。いいかトビー、いきなり襲いかかってきた強盗が死んだ、それだけのことだ。一人一人切り捨ててたって結果は同じ……だろ?」
「そう、ですね。すみません、ちょっと感情的になっちゃいました」
「いいって。さてと……」
納得してくれたトビーをそのままに、俺はもう一度崖の上へとあがる。地味に面倒なので、できればもう往復はしたくないところだが……それは相手の出方次第だ。
「お待たせ、お嬢さん。ということで、お嬢さんの処遇だけど……」
「お待ちください」
俺がパームに話していると、横からクロードが割り込んでくる。そっちもしっかり宙づりなわけだが、パームと違ってその顔には怒りや焦りと言った感情は見られない。
「ん? 何だ爺さん?」
「こちらには交渉する意思があります。金銭、情報、戦力など、どれも皆様にとって有益なものだと思うのですが、如何でしょうか?」
「交渉ねぇ……おーいティア! トビーと一緒にこっちに来られるか?」
「わかった。今行くわ」
「わかりました」
俺の呼びかけに、ティアとトビーも崖の上にやってくる。ティアは勿論、逃げることに特化しているらしいトビーの身体能力はさりげなく高いので、手や足をかける場所が幾らでもある三メートル程度の崖など造作も無く登ってくる。
「よーし、揃ったな。なあトビー、この爺さんが俺達と交渉したいそうだ」
「交渉ですか? えっと、どんな?」
「はい。まずは金銭です。最低でもお嬢様を、できれば私も見逃していただければ、相応の金額をお支払いする用意があります」
「へぇ、それを爺さんが独断で決めてもいいのか?」
チラリと視線を動かしながら言う俺に、パームが軽く顔を背けながら言う。
「構いませんわ。単純にお金で解決できるというのなら安いものです」
「だそうだ。幾ら要求する?」
「えぇ!? 幾らって言われても……」
「あー、じゃああれだ。最初トビーのお宝に、このお嬢さんは幾らの値をつけたんだ?」
「金貨2000枚です」
「なら6000枚ってところだな。どうだ?」
「わかりました。ではそれで――」
「いや待て、何勝手に終わってる感じ出してんだよ。それはそっちが提示した三つの条件の一つ目だろ? 残り二つについても話そうぜ?」
「あまり欲張るといいことはないと思いますが?」
「悪いな、取れるもんは取れる時に取れるだけ取っておくことにしてるんだよ」
俺の横でトビーがアワアワしている中、俺とクロードは無言でにらみ合う。ちなみにその間にもこの二人は脱出の機会を伺っているようだったが、背後に控えたティアがそれを許さない。クロードがどれだけ力を入れても蔦は千切れないし、パームが指先を動かす度にその胴体をキュッと蔦が締め上げていく。
「……いいわ、クロード。できるだけ譲歩します」
「畏まりました、お嬢様。では交渉を続けさせていただきます」
諦めの混じったパームの言葉に、クロードが改めて言葉を続けていく。ただしその表情にはさっきまで見えなかった薄い怒りが見て取れる。それが俺達に対するものか、それともこの状況を招いた自分の不甲斐なさに対するものかまではわからねーが、感情が見えるというのはいいことだ。
「では、次は情報でしたね。私の調べでは、トビー様のお持ちになっているそれを狙っている勢力が他にもあります。そちらの詳細については、解放していただいてからとさせていただきたいのですが?」
「先出しできないのは、それが助けるに価値のある情報だって自信がねーからか?」
「ご冗談を。価値があると信じるからこそ、対価を受け取る前にお引き渡しできないだけでございます」
「ふむ……三つ目は?」
「僭越ながら、私が皆様と同行して戦力とならせていただきます」
「ほぅ? お嬢様はそれでいいのか?」
「いいか悪いかで言えば、勿論よくはありませんわ。ですがクロードならば貴方達に使い潰されたりはしませんもの。手放すことで新たな光を宿す宝石もある、ただそれだけのことですわ」
俺の問いに、パームが平然と答える。そういう反応か……なら俺の中での考えは纏まったが、これは俺の交渉じゃないことを忘れるわけにはいかない。
「ということだそうだが、どうするトビー?」
「え、ぼ、僕ですか!?」
「いや、最初っから俺はあくまで護衛で、決めるのはトビーだって言ってるじゃねーか」
「それは……でも何か色々話をしてたんで、てっきりそのままエドさんが決めるんじゃないかと。っていうか、それで全然いいですよ?」
「駄目だ。求められれば助言はするし、あんまり馬鹿な判断をするようなら意見もするが、あくまでも決めるのはトビー、お前だ。さあ、どうする?」
「う、うーん……?」
問い掛ける俺に、トビーが真剣な表情で悩み始めた。そうして五分ほどの時間が流れ、しかめっ面をしていたトビーがようやくその口を開く。
「ぼ、僕としては、それに一つ条件を付け加えてもらえればいいかなぁと」
「何でしょうか?」
「その、戦力のところ……クロードさんだけじゃなく、パーム……パームさん? も一緒に着いてきてくれるなら、その条件でいいです」
「私一人では戦力としては物足りないということでしょうか? 何と言うか……侮られたものですな」
「しかも私のようなか弱い女性を戦わせるですって!? まさか戦闘にかこつけて嫌らしいことでも命令するつもりなのかしら? なんて汚らわしい……」
「ひぃぃ!?」
怒りに燃えるクロードと、侮蔑の眼差しを向けてくるパーム。そんな二人の圧を受けてトビーが思いっきりビビるが、そんな背に手を添えると、意を決したようにトビーが声をあげる。
「そんなこと! そんなことないですけど……でも、その条件でなければ受け入れられません!」
「というのが雇い主の決定だ。どうする?」
弱気で逃げ腰、だが決して負ける選択をしないトビーとパーム達の睨み合いが続き……やがて根負けしたようにパームがため息をつく。
「……わかりました。その条件を飲みますわ」
「よ、よかった……」
「何でトビーがそんなに緊張してんだよ」
まるで自分が助けられる側のようにホッとするトビーに、俺は思わず苦笑いを浮かべるのだった。




