前提をひっくり返せば、あり得ないこそあり得ない
「……なるほど、そうですか。単純な感情でとなると、確かにどうしようもありませんね。クロード」
「ハッ」
小さくため息をついたパームが、チラリと視線を動かして指示を出す。するとクロードが忙しなく動き始め、俺はさりげなくトビーを庇いながら警戒を強める。
「おいおい、まさかこんなところでやるつもりか?」
「それこそまさかですわ。そうしなければ手に入らないものであればそういう選択も取りますけれど、今はまだその時ではありませんもの。
だってそうでしょう? 神殿まで運ぶのであれば、どんなに急いでも四ヶ月はかかります。それだけの期間があれば打てる手は幾らでもありますわ」
「つまり、諦める気は無いと?」
「当然でしょう? それに相応しいのはこの私だけです。ですから……他の誰かに奪われないよう、精々気をつけるといいですわ」
「お嬢様、準備が整いました」
「わかったわ。では皆さん、ごきげんよう」
てっきり戦闘の準備をしているのかと思えば、どうやら屋台の撤収作業をしていたらしい。スカートの端を掴んで軽く一礼したパームが、屋台を引いたクロードと一緒にその場を去って行く。その後ろ姿が見えなくなったところで、俺はようやく緊張を解いた。
「ふぅ……ティア?」
「うん、大丈夫」
「そうか」
「え? あの、エドさん? 大丈夫って?」
「ん? こんな目立つ場所に俺達を引き寄せたんだ。不意打ちを警戒するのは当然だろ?」
不思議そうな顔をするトビーに、俺は肩をすくめてそう告げる。
ティアが会話に加わらなかったのは、別にボーッとしていたわけじゃない。正面切っての交渉を俺に任せることで、精霊魔法による周囲の索敵と警戒に意識を集中していたからだ。
「屋根の上や建物の影まで調べたけど、それっぽい人はいなかったわ。私の魔法を誤魔化せるほどの手練れじゃなかったら、あの二人は本当に二人だけみたいね」
「そいつは朗報だな。人数が多いとそれだけで不利だからな」
「そんなことまで警戒する必要があるんですか!?」
「そりゃあるだろ。目の前に明らかに敵対する相手がいれば、どうやったってそっちに意識が向く。その時に死角から攻撃されりゃあっさり死ぬだろうし、そうなれば倒れたトビーを介抱するように見せかけて懐を漁ったり、借りた宿の部屋をじっくり探し回ったりすりゃ簡単にお宝が手に入るんだからな。
ってか、むしろそういう警戒を今までしてなかったのが驚きだよ。よく今まで大丈夫だったな?」
「ははは、僕、そういう勘はちょっといいみたいで……危なそうなところはできるだけ避けてたんで」
「勘、なぁ」
これはあくまで俺の持論だが、勘というのは本人が自覚できない程度の違和感の集合体だ。知識を蓄え経験を積めば積むほど「勘」は確実な証拠に近づき、それと同時に今まで感じられなかったものが「勘」として気づけるようになる。
つまるところ、勘がいい、勘で窮地を切り抜けられるというのは伸びしろだ。才能があるのは「七光りの眼鏡」でわかっていたが、俺達が安全を確保したうえで「勘」の根拠を冷静に分析できるようになれば、危機感知能力が飛躍的に成長することだろう。
「よし、ならその『勘』を鍛える訓練もしようぜ。護衛を依頼してくれるなら、だけど」
「ぜ、善処します……」
思わぬ形で実力を見せつけつつ危機感も煽れたことで、ニヤリと笑って言う俺にトビーが引きつった笑みを浮かべて答える。後は本人が言ったとおり金銭的な問題が解決できれば……というところだったのだろうが、それも冒険者ギルドから出てきたトビーがいい笑顔を浮かべていることで解決した。
一周目でもトビーが何処からか資金援助を受けていたことはわかっていたのでそれほど心配はしていなかったが、とにかくこれでお互いが一安心だ。
唯一危なかったのはギルドを通してトビーの護衛依頼を受ける際、俺達の提示した本物のギルドカードを受け取った受付嬢が「本当にこちらの二人に依頼されるんですか?」と怪訝そうな顔をした……普通登録して数日の冒険者に護衛なんて依頼するはずがない……ことだが、トビー本人が俺達の実力を知っているので大丈夫だと言ってくれたことで事なきを得た。おそらくは「元々知り合いだったのが、この護衛依頼を受けるためにわざわざ冒険者に登録した」とでも勘違いしてくれたんだろう。
そうして正式にトビーの仲間……勇者パーティの一員として認められた俺達は、トビーに対する軽い訓練なんかをしながら次の町への旅を始めたわけだが……
「走れ走れ! トビー、煙玉!」
「は、はい!」
先頭を走る俺の指示で、トビーが足下に煙玉を叩きつける。途端にトビーの周囲に煙が発生するが、見通しのいい平原で人一人をスッポリ覆い隠せる程度の煙が発生したところでどうということもない。
「ティア!」
「――顕現せよ、『クリングフィールド』!」
「っ!?」
が、物は使いよう。ティアの魔法によって発生した煙が俺達を襲ってきた黒ずくめの顔にまとわりつく。本物の煙じゃないので窒息させるような効果はないが、これで煙が消えるまでの一〇秒ほどは敵の視界をほぼ完全に奪うことができた。
「こいつはお返しだ!」
そんな敵に、俺は拾っておいたナイフを「彷徨い人の宝物庫」から取りだして投げ返す。狙い違わずそれは敵の腕をかすめ、ビクンと体を振るわせた黒ずくめが崩れるようにその場に倒れ込んだ。
あー、やっぱり毒が塗ってあったか。ま、自分達で用意した毒なんだろうから、これで死ぬなら自業自得ってことで。
「っし! ほらトビー、急げ! とにかく森まで走り抜けろ!」
「は、はいぃぃぃ!」
敵の生死を確認すること無く、俺は再び走り出す。そうして何とか街道沿いの森に入り込むと、隆起した地面によって背後の視界が通らない良さげな場所を見つけて身を潜め、ようやく長い息を吐いた。
「ふぅぅぅぅ……二人とも無事か?」
「は、はい……はぁ、何とか…………はぁ」
「私も平気よ」
「そうか……くそっ、アイツ等馬鹿じゃねーのか!? 街道沿いの開けた場所で堂々と襲撃してくるとか、馬鹿じゃねーのか!?」
二人の返事に安心しつつも、俺の口からは罵倒の言葉が止まらない。
「普通襲うならもっと見通しの悪いところとかだろ!? 何で白昼堂々馬車で近づいて来て襲いかかってくるんだよ!?」
「あはは……あれ、目撃者とか居ても一切気にしないって感じだったもんね」
「あんなにヤバいと感じたのは初めてですよ……」
町と町を繋ぐ街道を進んでいれば、馬車とすれ違うなんて珍しくもなんともない。一応警戒はするが、それでも過剰に反応し過ぎればこっちが強盗だと思われてしまうため、少なくとも剣を抜いて構えたりはしない。
ましてや、今は昼間だ。できることと言えば精々数メートル離れて引かれないようにするくらいで……まさかその馬車からあからさまに怪しい武装集団が飛び出して来て襲われるなど、いくら何でも思いつくはずもない。
「昼間に黒ずくめ……つまり姿を隠すことじゃなく、正体が分からないことを優先したってことだ。あの場にはたまたま誰もいなかったが、いたらおそらく皆殺しって感じだったんだろう。
悪いなトビー、完全に見誤った。まさかあのお嬢さんがここまで露骨な手段に出るとは――」
「あら、人を極悪人みたいに言うのはやめていただけませんか?」
「っ!?」
ガサリという音と共に、背にした壁面の上から聞き覚えのある声が聞こえる。それにトビーが驚き、ティアは冷静に見据えるなか、俺はうんざりした気分で顎を上げて上を見れば……
「随分と刺激的な再会だな、お嬢さん?」
「フフ、私はきちんと忠告して――」
「いや、そう言う意味じゃなく……白いな」
「白……っ!? クロード!」
「ハッ!」
「うひゃっ!?」
顔を真っ赤にしてスカートを押さえたパームの指示に、クロードが俺の顔目がけて大きめの石を落としてくる。かろうじてそれを回避した俺が仲間の方へと歩み寄ろうとすると……
「エドさん……」
「最低」
「おぉぅ!?」
微妙な笑みを浮かべるトビーと、馬糞を見るような目を向けてくるティア。俺が心から信頼する素敵な仲間達は、どうやら味方ではなかったようだ……解せぬ。




