敗北とは失うことであり、逃げ切れるならそれは間違いなく勝利だ
楽しくも不安な夕食を終え、明けて翌日。予定通りに町を出た俺達は、街道から少し離れた平原にやってきていた。理由は勿論、トビーがティアにいいところを……ゲフン、俺達にその実力を教えてくれるためだ。
「僕の基本的な戦い方は、これです」
そう言ってトビーが指さすのは、腰に着けられた三つの小さな鞄。そこからそれぞれ親指の爪ほどの大きさをした丸い玉を取り出すと、それを手のひらに載せて俺達に見せてくる。
「へぇ、魔法玉か」
「え、何それ?」
俺は知っているわけだが、知らないティアが手のひらの玉とトビーの顔を交互に見る。するとトビーは徐にその一つをつまみ、地面に向かって思いきり叩きつけた。
「うわっ、何これ煙!? あれ、でもケムくない?」
「ははは、これは敵の視界を遮ってこちらの姿を隠す『煙玉』ですね。煙っぽいですけど、何かを燃やした煙とかってわけじゃないんで吸い込んでも平気です」
「へー、そうなんだ。本当だ、手を突っ込んだら見えなくなる……って、消えちゃった」
発生した煙に手を入れたり出したりしていたティアだったが、一〇秒ほどの効果時間を終えると煙は跡形も無く消えてしまう。魔法で発生させたものなので、その痕跡は何処にも残らない。
「次はこれ、『閃光玉』ですね。地面に叩きつけると凄く眩しい光が発生します。直視すると目をやられちゃうんで気をつけてください。いきますよー……えいっ!」
トビーがそれを叩きつけると、パッとその場に光の花が咲く。事前に分かっていたとしてもその眩しさは格別だ。
「あー、目がシパシパする! これは強烈ね」
「追いかけてくる相手の前でいい具合に使えれば、かなり有効です。ただ見たとおり一瞬しか光らないんで、タイミングを外すと完全に無駄になっちゃいますけど。
で、最後がこの『音響玉』です。大きな音が鳴るんで、気をつけてください」
三度トビーが地面に玉を叩きつけると、金属同士が打ち合った時のような硬質の音が辺りに響く。キィンという高音は耳を塞いでもなお頭に細い杭を打ち込まれたような衝撃を感じさせる。
「あー、駄目! これは駄目! うぅぅ、耳が……」
「おい、大丈夫かティア?」
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」
「にゅぅぅぅぅ……な、何とか平気……でも、これは耳がいい相手には相当キツイわね。さっきの光と違って分かってても完全には防げないし」
長い耳をギュッと握りしめたティアが、軽く涙を浮かべながら言う。あー、確かにティアは耳がいいからな。これは相当に堪えたことだろう。
「でしょうね。なんで対人は勿論、獣や魔物なんかにも割と効果があります。他にもすっごく臭い腐臭玉とかもあるんですけど、あれはちょっと……」
「止めて! それはもうやらなくてもわかるから!」
「だな。町を出たばっかりで臭くなるのは御免だ」
本気で嫌そうな顔をするティアに、俺も同調しておく。鼻の利く相手には圧倒的な効果を誇る腐臭玉にあまり人気が無いのは、使った本人もどうやっても臭くなるからだ。
「わかりました。あとはもう一つ、これが僕の切り札になるんですけど……」
「え、それ教えてもらっちゃってもいいの?」
「構いませんよ。知っていても対処できないやつですから」
ティアの言葉にニッコリと笑うと、トビーは足を上げて靴を見せてくる。その靴には甲の部分に一周ぐるっと金属の輪が巻かれており、足裏に当たる所には二つの小さな金属の出っ張りも見て取れる。
「これ魔導具なんですけどね。こうやって魔力を込めて起動してから踏み込むと……」
言ってトビーが足を地面に踏み下ろし、そして持ち上げる。すると地面に空いた二つの小さなへこみからそれぞれニュッと草が伸びてきて、中央で巻き付いて小さな輪を形成した。
「植物を生成!? いえ、そんなことできるとは思えないし……地面に種を植え込んで、それを急成長させてるのかしら?」
「うわ、よく分かりますね。はい、この尖ったところに特別な種が仕込んであって、こうして踏み込む度にその跡から草が伸びて、足を引っかける罠になるんです」
そう言ってトビーが数歩歩くと、その度に足跡からニュッと草の輪が形成されていく。何とも不思議な光景だが、見た目とは裏腹になかなかに厄介な仕掛けだ。
「何も知らない相手ならばそのまま転ばせることができますし、これがあると知っている相手ならば強制的に足下に余計な注意を払わせることで速度を鈍らせることができるんですよ」
そう話している間にも、最初の方に生えた草は急速にしなびて枯れていく。こちらはおおよそ三〇秒ほどで朽ちた雑草としてその場に崩れ落ちるようだ。そのくらい保てば足止めとしては十分だろう。
「基本的にはこういうのを組み合わせて敵から逃げるのが僕の戦い方ですね。正面切っての戦闘は、正直大したことはないです。
こんな感じなんですけど……どうでしょう?」
「ああ、いいと思うぞ。視覚や聴覚を潰したり足回りを鈍らせるってのは、そういう手を使ってくるとわかっていても完全には防ぎづらい。そのうえで隙を突いて倒すなり逃げるなりってのは理に敵った戦法だ」
「そうね。初見でこれをやられたら、割と怖いと思う。ただどの手段も魔導具頼りっていうのはちょっと怖いわね。それと遠距離からの攻撃には事実上『煙玉』くらいしか対処法が無いのが辛いかしら? 周囲に障害物が無い所で襲われたら、よっぽどそれを連発しても弓なり魔法なりで薙ぎ払われちゃうんじゃない?」
「うぐっ!? そうなんですよね、わかってはいるんですけど、かといって全ての状況で万全を……というのはやはり難しくて」
「ま、そりゃそうだわな」
自分の弱点を自覚できることと、それを上手に埋め合わせることができるかは別問題だ。少なくとも独力であらゆる状況に対処できるなんてのは物語に出てくる英雄様ですら難しいだろう。だからこそ勇者だってパーティを組むわけだしな。
「そういうことなら、やっぱり俺達を雇わないか? 前衛で剣士の俺と後衛で精霊使いのティアなら、かなり幅広い状況に対応できると思うんだが」
「うーん……ちなみに、お幾らくらいでしょうか?」
「そうだな。経費別ってことなら、日割りで一人銀貨二枚でどうだ?」
乗ってきたトビーに、俺は軽く考える振りをしてからそう告げる。安すぎれば不審がられるし高すぎれば雇えないだろうが、昨日泊まった宿のランクと実際に見せた俺達の腕を鑑みれば、このくらいで「十分安い」と思わせられるはずだが……さあどうだ?
「とすると、一日銀貨四枚ですよね。でもエクリルまでとなると今の手持ちじゃ……あの、次の町に辿り着いてからのお返事でも構いませんか? ちょっとそこで色々とありまして」
「ん? 別にいいぜ。俺達の方は急ぎの用事があるわけじゃねーしな。だろ?」
「ええ、平気よ。焦らなくても逃げたりしないから、だいじょーぶ!」
「あ、ありがとうございます。では、とりあえず次の町まで行きましょうか」
正式加入とはいかなかったが、それでも望みは繋がった。俺達はそのまま連れ立って次の町まで進んで行き……そして何事も無く辿り着いてしまう。町の門をくぐり抜ければ、トビーがホッと胸を撫で下ろして笑顔をこぼす。
「ああ、良かった。すんなり到着できましたね」
「……そうだな」
ご機嫌な様子のトビーとは逆に、俺の方は内心でやや焦る。てっきりパーム達の襲撃があると思っていただけに、何も無かったのは計算外だ。
(まさかあえて襲わないことで護衛の必要性を下げさせて、俺達を引き離してからって考えてるのか?)
それは俺達にとってもトビーにとっても、一番やられたくない手段だ。トビーは脅威が遠くなれば俺達を雇う金を惜しむだろうし、俺達も断られてしまえば無理に着いていくことはできない。
せめて強力な魔獣……ここだと魔物か? が襲ってきてくれれば多少は違うんだろうが、街道沿いにそんなものがいるはずもなく、馬車に乗った商人ならともかく武装した小集団を襲う野盗もいない。
これは別方向から危機感を訴えて、何とかして雇ってもらう方向で……と俺が検討し始めたその時。
「オーッホッホッホッホ! 美味しい美味しいブルジョワ焼きは如何かしらー?」
「お嬢様のお勧めでございます」
町の通りの一角で、明らかに見覚えのある二人組が何故か串焼きの屋台を出していた。




