「正しい」とは「都合がいい」ということである
『世界転送、完了』
「っと……フフフ」
新たな世界に降り立った俺は、腰に佩かれた鋼の剣に思わずニヤリと笑みを浮かべる。少なくともこれで、毎回第一印象を気にする必要はなくなった。今度は服ももう少し上等な装備に着替えておけば、大抵の場所ではいっぱしの戦士として見られるようになるだろう。
「ふぅ……今回は普通ね」
そんな俺の隣では、ティアが何とも味気ない感想を呟いている。とはいえ「普通」の大切さを知る身としては、軽く苦笑せざるを得ない。
「ははは、何だよ。普通は不満か?」
「箱の中とか子供達の前とかに比べればいいとは思うわよ? フフッ……で、ここはどんな世界なの?」
「あー、そうだな……」
言われて周囲を見回してみるも、景色にはこれといった特徴がない。今立っているのはまばらに木の生えた街道沿いの林らしき場所で、それを抜ければ広い草原が見える。その向こうには遠くに町と思われるものが見えるが、それもまた石壁に囲まれたごく普通の町だ。
こりゃまいったな。ここまでありふれた景色じゃ、何とも……ん?
「ここまでよ!」
「うひゃあ!?」
少し離れたところから聞こえてきたそんな声に、俺とティアは反射的に身を低くし、視線だけでやりとりして声の方へと近づいていく。音を立てないように慎重に枝葉を掻き分け、木々の隙間に身を潜めて移動すると、そこには何とも奇妙な三人の姿がある。
「さあ、さっさと観念して、その手に持っているものを渡しなさい!」
「い、嫌だ! これだけは絶対に渡さないぞ!」
金髪縦ロールという恐ろしい程手間がかかるであろう髪型に、どう考えても野外活動には不向きな薄紅色のドレスを身に纏った女性が剣を突きつけ、その正面では灰色の旅装に深い緑の外套を羽織った男が地面に尻餅をついて追いつめられている。どちらも二〇代前後といった感じで若い。
「お嬢様が優しくしておられる間に荷物を引き渡すことをお勧めしますが?」
「う、うるさい! とにかく駄目だったら駄目だ!」
そんな女性の傍らには、六〇代くらいと思われる初老の男性が付き従っている。こちらも場違いな執事服を着ているもののその眼光は鋭く、歳を感じさせない立ち姿と佇まいは何らかの武を修めたものであることを窺わせる。
『ねえエド。これってどういう状況? どっちかを助けた方がいいのかしら?』
俺の手に自らの手を重ねたティアが、「二人だけの秘密」で話しかけてくる。こういうとき一切音を出さずに意思疎通できるのは極めて有用だが……その問い掛けに俺は即座には答えを出せない。
『うーん、どうだったかな……?』
女性の側がかなり上等な身なりをしていることから、状況としては男の方が何かを盗んで、それを取り返されそうになっているように見える。が、世の中ってのはそんなに単純なことばかりじゃない。
一応「七光りの眼鏡」を使ってみたところ、女性の方が伸びしろは大きそうだが……とは言え勇者と断言できるほどの隔絶した才能ではない。
(くそっ、何で今回に限って何も思い出さねーんだよ。でもこの状況で何もしねーってのは無しだ。ならどうする? 一周目の俺ならどうした?)
待ちわびる頭痛は起こらず、俺は軽い焦りを覚えながら自問自答する。必要なのは情報で、その情報は目の前に――
「ああ、そうだよ。簡単じゃねーか」
「もういいわ! それなら少し痛い目をみてもらおうかしら!」
「ひぃぃ!?」
目の前の女性が、軽く剣を引き絞る。そうして地面に倒れ込んだ男の太ももに風穴を開けるべく突き込んだが……
「おっと、悪いな」
キィンという硬質な音を立てて、俺の剣がその女性の剣を弾く。そんな俺の登場シーンに、女性は怪訝そうな目を向けてきた。
「あら、貴方は何方?」
「何、名乗るほどのもんじゃねーさ」
「あらそう。なら邪魔しないでもらえるかしら? クロード!」
「ハッ!」
女性が名を呼んだ瞬間、側に控えていた執事の男が猛然とこっちに突っ込んでくる。纏った闘気により何倍にも大きく見えるその拳を剣で受け止めると、あろうことかギィンというさっきよりやや鈍い……だが金属同士がぶつかるような音が響く。
「金属音って、どんだけ硬ーんだよ!? ってか、状況の説明も何も無しか? 俺としてはそれが知りたかったんだが」
わからないなら本人達に聞けばいい。極めて単純明快なその答えに行き着いた俺の行動に対し、しかし目の前の女性はフンと鼻を鳴らして言う。
「私の邪魔をした時点で、貴方は敵です。クロード、さっさと排除なさい」
「ハッ! ご安心ください、死なない程度には手加減して差し上げます」
「安心する要素が一個もねーな! おい兄ちゃん、あんたは何で襲われてるんだよ!?」
「ひえっ!? あ、そうだ! た、助けてください!」
「そりゃあんたの話次第だ!」
嵐のような拳の乱打を裁きながら、俺はへたり込む男に話しかける。ぶっちゃけ「不落の城壁」を発動してしまえば完全に無力化できるんだが、そいつはここで見せるような安い札じゃない。
「事情は……言えませんけど、でも、僕が持っているのは大事なものなんです!」
「言えねーってオイ、状況わかってんのか!?」
「わかってますけど、でも言えないんです!」
俺が手を引けばそれで終わりな状況なのに、適当な嘘で誤魔化すんじゃなく「言えない」と正直に告げるのは、一般的には馬鹿としか言い様がないが、今の俺からすると少しだけ天秤が男の方に傾く。とは言えこの程度では確実に味方するわけにもいかない。
「チッ。なあお嬢さん。お嬢さんがこいつを襲う理由が俺の納得いくものなんだったら、俺は手を引いてもいいんだが?」
「そんな!?」
背後から聞こえる情けない声を無視して視線を向けるも、件の女性はつまらなそうな目をして言い捨てる。
「必要ありません。貴方を排除してしまえば同じ事ですもの。クロード、どうしたの? さっさと片付けなさい!」
「申し訳ありませんお嬢様。こちらの方はなかなかの手練れのようでして」
「クッ……」
(はぁ、こりゃ厄介だぞ)
ここまでの会話から新たに状況を鑑みると、最初の印象とは逆で男の持ち物をこのお嬢さん方が奪おうとしている線が濃厚だ。義に従うならばこのまま二人を追い払えば済むんだが……ここで立ちはだかる最大の難問が「どちらが勇者か」ということだ。
もしお嬢様が勇者であるなら、この強盗まがいの行為を見逃すどころか、積極的に手伝って取り入る必要すらあるかも知れない。だからこそ決着をつけず、かつ致命的な決裂に陥らないように加減して戦っているのだが、それだっていつまでも引き延ばせるわけじゃない。
(どっちが正解だ? ここでミスったら多分とりかえせねーぞ?)
何を奪い合ってるのかはわからねーが、万が一間違えた時に「品物を取り返してきたから仲間にしてくれ」は通らないだろう。まあ最悪付かず離れずの位置をうろちょろしてれば条件を満たせる可能性も残るが、それは本当に最後の手段だ。
「ハッ! フンッ!」
「うぉっと!?」
そんなことを考えている間にも、俺を襲う拳の雨が止むことは無い。うーん、これだけ強い相手なら、相当後半の世界じゃなかったら俺には太刀打ちできなかったんじゃないだろうか? なら一周目の俺は戦わなかった? それとも――っ!?
「グッ!?」
「隙ありですぞ!」
「げはっ!?」
ようやく……だが最悪のタイミングで襲ってきた頭痛により、俺の体が鋼の拳を食らって背後に吹き飛ぶ。激しく木に背中を打ち付け咳き込む俺に執事の男がとどめを刺すべく迫ってきて……その瞬間。
「顕現せよ、『ボレアスリッパー』!」
「うわっ!? な、何!?」
「キャッ!?」
「何とっ!?」
三者三様の悲鳴と共に、その場に暴風の刃が通り過ぎる。そうして木陰から姿を現したのは、戦意に満ちた瞳を宿す恐ろしくも美しいエルフの戦士。
「これ以上はやらせないわよ」
竜巻を宿す銀の剣を構えた姿の、何と勇壮なことか。ああしかし。違うぞティア、そうじゃない。そうじゃないんだ……
「ゲホッ、ゲホッ……てぃ、あ……」
必死に息を吸いながら、俺は相棒の背中に手を伸ばす。触れれば伝えられる。だからどうか、俺の真意を――
「大丈夫よエド。後は休んでて」
「そ、うじゃ……ゲホ、エホッ……」
戦ってはいけない。勝ってはいけない。何故ならこれは――負けイベントなんだ。




