世は常にままならず、されど理由はきっとある
『世界転送、完了』
「……………………」
頭の中に響く声と共に、俺の視界には真っ白な世界が広がる。いつもなら気を抜くところだが、今回ばかりはそうもいかない。油断なく周囲に意識を飛ばす俺を見て、隣から聞き慣れた声が呼びかけてくる。
「ふーっ、今回も色々あったわね……って、どうしたのエド?」
「……いや、何でもない」
辺りの景色に変化はなく、ちゃんとティアも一緒に帰ってきている。そこでようやく肩の力を抜くと、俺は長くゆっくりと息を吐いた。
「ふぅぅ……どうやらいつも通りみてーだな。となると……」
俺は振り返り、背後に立つ扉を見る。するとそこには五つの扉が並んでおり、今出てきた世界の扉には〇〇四と、そしてまだ開いていない新たな扉には〇〇五の数字が刻まれている。
(〇二八じゃない? ってことは途中が飛ばされたとかじゃなく、順番が入れ替わったってことか?)
もしも飛ばしてしまった世界の扉が大量に並んでいるのならどういうことだと頭を抱えるところだったが、これはこれで悩みどころでもある。
(今までが偶然同じ順番だっただけで、本来はランダムなのか? それとも最初の三つだけが固定で、ここから先は違う? 駄目だな、情報が少なすぎる)
最低限次の扉を開けてみなければ、次に飛ぶ世界の基準がどうなってるのかはわからない。また適当な世界に飛ぶのか、それとも〇二九に飛ぶのか? 飛ばしてしまった世界が改めて選ばれることがあるのか……何もかもわからないことだらけだ。
「ねえ、エド? 何で帰って来るなり扉の方をじーっと見てるの? 次の世界に行くにしても、せめてあの子達がどうなったかくらいは知りたいんだけど……」
「あ、ああ、そうだな。それじゃ読んでみるか」
ティアに促され、俺はテーブルの方へと歩いて行く。その上には当然のように本が鎮座しており、表題もちゃんと「第〇〇四世界 勇者顛末録」となっている。どうやら今回体験した順番で統一されるってのは間違いないようだ。
「あんなに沢山の子供達に何かを教えるなんて初めてだったけど……ちゃんと私の教えたことは役に立ったのかしら?」
「さあな。ま、すぐにわかるさ」
本のページを開くと、俺達はゆっくりと中身に目を通していく。最初に書かれていたのは、子供時代に突出した才能を見出され、だがそこから成長しなかったミゲルの苦悩の日々。それは貧民街の浮浪児のような命を削るものではないが、幼いミゲルに叩きつけられる妬みと侮蔑の感情は確実にその心を削っていく。
「あいつ……やっぱり苦労してたんだな」
「そうね。もしもこの時に出会えていたら……いえ、それは言ったら駄目よね」
もしも六年早く出会えるならば、ミゲルが辛い思いをすることはなかっただろう。だが逆に六年遅く出会ったならば、ミゲルの心は歪んで砕けていたかも知れない。
遅くはあった。だが遅すぎはしなかった。別れた時のミゲルの顔を思い出せば、それ以外の可能性を論じるのは無粋の極みだ。
そこから先に書かれているのは、ミゲルの学生生活。その最初の一年には当然俺達の存在も書かれているわけだが、そこにはあの場に居た俺達ですら知り得ない情報も書かれている。
「なるほど、あの襲撃はそういう理由があったのか……」
一周目には存在しなかった、ノルデの襲撃。それはどうやら俺とティアによって時代が進むかの如く強化された生徒達の脅威を感じた北の魔王が動いた結果らしい。
まあ、言われてみればそうだ。たかだか一二歳の子供が安全な場所からの一方的な攻撃とはいえノルデの大軍を撃ち落とせるくらいの精霊魔法を使いこなしていたのだから、あいつらの能力は例年とは……そして一周目の時とは全く違う。
そんなものが今後増え続けるとなれば、無理をしてでもその発生源たる学園を攻め落としたいと考えるのは当然だろう。
が、その目論見は俺とティア、そしてミゲル達の活躍により脆くも崩れ去った。無事に成長したミゲル達は予定通りノルデとの戦いに参加するようになり、そして――
――第〇〇四世界『勇者顛末録』 終章 「未完の剣聖」
後に「精霊の目覚め」と呼ばれることとなる歴史の転換期、その最初の世代である剣聖ミゲルとその仲間達は、遂に人類史上初めて魔王の支配地である北の大陸に拠点を作り上げることに成功した。
それは戦うことしかできなかった前世代の精霊使いと違い、新世代の彼等は鍛冶や農耕、裁縫などの「人が人として生きるために必要な技能」も併せ持っていたからこその偉業である。
そしてそこに至った教えこそ、世界を変えた二柱の精霊の言葉。人の可能性の多様さと正しい精霊との付き合い方を学んだからこそ、新世代の精霊使い達は様々な技能を持ち、従来の精霊魔法と組み合わせて使うことができる。
その教えが浸透したことによって、人類は遂に反撃の糸口を手に入れた。これから長い時間をかけて北の大陸に拠点を増やし、やがては魔王を討ち取ることになるだろう。
剣聖ミゲルもまたその戦いに人生を捧げ、人類で初めて精霊契約をせずに全属性の精霊魔法を使いこなした始まりの精霊使いナッシュと、それとは逆に契約を結んだ緋色の魚竜サランの力によってあらゆる敵を焼き尽くす紅蓮の精霊使いトーマスという二人の友と一緒に、七八歳で死去するまでに万を超えるノルデを屠った。これは人類史上最も偉大な戦績として、今も破られてはいない。
なお、「自分など月も斬れぬ未熟者だ。免許皆伝にはほど遠い」と言い続けたミゲルが生涯に渡って愛用した微妙な長さのなまくら剣は、剣聖の象徴として彼の死後も受け継がれることになったのだが、武器としてそれをまともに振るえたのはミゲル本人だけだったという。
「……あの馬鹿、変えろって言っただろうが」
最後まで本を読み終えて、俺は思わずそんな言葉を口走る。ミゲルの体躯に対する言及は無いが、特に小柄だとか書かれていないということは、普通に大人の体つきになったのだろう。
そんな状態であの剣を振るうのはさぞかし難儀だったはずだ。普通に斬るには短すぎるし予備にするには長すぎる。だというのにそれを使い続け、しかもそれで剣聖なんて呼ばれるほどの腕前になっていたとは……ちゃんとした武器を使ったら俺より強いんじゃないだろうか?
ってか、強いだろうなぁ。追放スキルを使った殺し合いならともかく、純粋な剣の腕が研鑽を積んだ勇者に勝てるわけがない。だというのにそんな相手に生涯師だと敬われていたのは……何ともむず痒い感じだ。
「フフッ、みんな頑張ったのね。今回も自分の目で見届けられなかったのが残念だけど……でもよく考えれば、これだけの結末をたとえ文字だけとは言え知ることができるのは、むしろ凄い事なのよね?」
「そりゃあそうだろ。ティアなら一つか二つくらいなら見届けられるだろうけど、普通の人間なら一つですら見届ける前に寿命が来ることだってあるだろうし……っていうか、そもそも全く違う世界を渡り歩いてそこの運命を知るなんて、それこそ神の視点だろうからな」
「神様かぁ……私達って何なんだろ? 何でこんなことができるのかな?」
純粋な疑問を口にするティアに、しかし俺は答えを持ち合わせていない。というか、もし知ってる奴がいるなら俺の方が教えて欲しい。
「それは俺にもわかんねーけど……普通に考えれば、それこそ神様とやらが何らかの理由でそうしてるんじゃねーか? いや、その理由がわかんねーってのは同じだけど」
「理由……世界を救ってもらいたかったとか? 今までの世界はエドが干渉することでいい方向に進んだんでしょ?」
「うーん、無いとは言わねーけど、でもなぁ……」
確かに一番ありがちな可能性ではあるが、それだと「俺が二周目を望むこと」までが前提となってしまう。勿論相手は神なわけだから、そこまで全部わかっててそうしてると言われれば納得せざるを得ないわけだが……
「……ってことは、この世界に飛ばされたことにも何か意味があるのか?」
全てが神の意図だというのなら、このタイミングで〇〇四世界ではなく〇二八世界に飛ばされた理由が何かあるはずだ。だが、俺の理解している限りでは世界は全て独立しており、何処かの世界で何かをしたら他の世界に影響がある……というのは無いと思う。
そしてそれは、俺達だって同じだ。こっちに戻れば肉体年齢も巻き戻るし、俺自身はもう追放スキルも増えない。まあティアの方は……!?
「なあティア、そう言えば聞かなかったけど、レベッカ達の世界から帰ってきたときに手に入れたスキルは結局どんな効果だったんだ?」
「へ? ああ、そう言えば言ってなかったわね」
俺の問い掛けに、ティアが軽い感じでそう返事をする。そしてニンマリと笑みを浮かべると、その手が虚空に沈み込む。
「じゃじゃーん! どう?」
ドヤ顔をしたティアが手にしていたのは、俺が買い置きしている鋼の剣の一つだった。




