信じる者がすくわれるのは、別に足下だけじゃない
「……はっ!? 何するのさナッシュ!」
「えっ!? いや、ちがっ!? 俺はそんな――」
「あー、大丈夫。大丈夫だ……」
怒るミゲルと焦るナッシュに対し、俺は何とか立ち上がってそう声をかける。そんな俺の視線の先ではティアがべーっと舌を出していて……くっ、まさかここでやり返されるとは。
「ホント!? 本当に大丈夫なの!?」
「ああ、本当だ。見ればわかるだろう?」
「確かに火傷も何も無い……よかった。流石は精霊だね」
「ま、まあな」
実際には、ティアの熟練の手加減……あるいは火加減……により、ちゃんと怪我をしないようにされていただけだ。要はちょっとした悪戯だったわけだが、当然そう捉えられない者もいる。
「あ、あの、俺……」
顔色を悪くしたナッシュが、膝の前で拳を握り俺の前で口ごもる。そんなナッシュに対し、俺はその場でしゃがんで目線の高さを合わせ、安心させるように努めて優しい声をかけた。
「はっはっは、本当に大丈夫だから気にするな。子供が力の制御に失敗するなど珍しくもなんともないし……何より失敗の原因が少年にあるとは限らない。時には精霊の方の問題で魔法が暴走することだってあるだろうからな」
そう言いながらチラリとティアの方を見れば、ティアもまた申し訳なさそうに耳を垂れ下がらせている。俺とティアの間であればちょっとしたじゃれ合いでしかないが、そこにミゲルやナッシュを巻き込むのは違う。それは当然ティアも理解しているわけで、だからこそ反省しているのだろう。
「私が見る限りでも、少年の契約している精霊の力は絶大だ。ならばこそこの失敗で恐れるのではなく、彼女の言葉をしっかり聞いて努力するといい。そうすればきっと素晴らしい精霊魔法の使い手となれることだろう」
「そ、そうかな!? まあ確かに、俺のティアは最強だからな! よーし、じゃあ次はミゲルの番だ! 俺は優しいから、ちゃんとミゲルが力を引き出せるまで待ってやるぞ!」
「あ、うん。でも、どうしよう? 僕はまだ……」
「ああ、それに関しても大丈夫だ」
背後で戸惑いの言葉を口にするミゲルに振り返り、俺はあらかじめ用意しておいた木剣を腰から外してミゲルに渡す。フフフ、こんなこともあろうかとミゲルが授業を受けている最中にちょっとだけ抜け出して、「見様見真似の熟練工」で作成しておいたのだ。
「エイドス、これは?」
「昨日私がした話を覚えているか?」
「う、うん。覚えてるよ。僕に剣を教えてくれるって話だよね?」
「剣!? 何でそんな役に立たねーもんを今更覚えるんだよ!?」
俺とミゲルの話に、ナッシュが大声で割り込んでくる。なおトーマスも口こそ挟まないが、意味が分からないという感じでこっちを見ているのでおそらく同じ気持ちなんだろう。
「ふむ、何故剣が役に立たないと思うんだ?」
「は!? そんなの常識だろ。『ノルデ』はみんな空を飛んでるんだから、弓ならまだしも剣なんて当たるわけねーじゃん!」
ノルデとは、魔王が支配するという北の大陸から飛来する凶悪な魔獣の総称だ。海を隔てて世界が北と南に別れていることから、こちらに攻めてくるノルデは例外なくその全てが飛行能力を有している。
そして、当然ながら空を飛んでいる相手に剣や槍が有効であるはずもない。大地に万物を引きつける力がある以上、高高度を飛ぶノルデには弓であっても多少はマシ、程度のものだ。
だからこそ大地の力を無視して遠距離を攻撃できる精霊魔法が持て囃され、多大な税金を投じてでも世界各地から才能ある子供を集めて、こうして教育と訓練を施しているというわけなのである。
……ちなみに、ノルデというのは略称で、正式には「ノースランドの悪魔」と言うらしいが、誰もそう呼ばないので授業で習うときくらいしか正式名称が呼ばれることはないらしい……まあそれはそれとして。
「フフフ、若いな少年よ。実戦において剣が役に立たないなどと、本当にそう思っているのか?」
「な、何だよ。本当のことだろ!? それとも空を飛んでるノルデを剣で切れるとでも言うのかよ!?」
「できる!」
食い下がるナッシュに強く断言すると、俺は改めてミゲルの方に向き直る。
「さあ、我が主よ。両手で剣を持って、その場に立つのだ」
「え? うん……これでいい?」
「いいぞ。では目を閉じて……全てを委ねる……私に任せるのだ」
「わかった……」
目を閉じたミゲルの体に、俺は背後から覆い被さるようにして自分の体を密着させる。
「まずは剣を握る手以外の全身の力を抜き、私に体重を預けてしまうといい……そうだ。そうしたら今度は、私がゆっくりと我が主の体を支えていく。その際何処にどんな風に力がかかっているかを意識するのだ」
「力を……意識……?」
「ああ、難しく考える必要はない。何となくこうかな? くらいでいいのだ。ほら、ゆっくりいくぞ……」
クッタリと俺に寄りかかっていたミゲルの体を支え、「骨で立つ」という状態に動かしていく。自分でそれを再現するのはまだまだ難しいだろうが、今回はそれをほんの少しだけ維持できればいいので問題ない。
「さあ、まっすぐに立つことができた。ならば次は腕だ。振り上げて……振り下ろす。本来ならばたゆまぬ鍛錬の果てにのみ歪みの無い剣筋は成り立つものだが、それも今回は私に任せればいい。振り上げて……振り下ろす。振り上げて……振り下ろす」
都合五回、俺は力の入っていないミゲルの手を取って剣を振らせる。それは即ち俺が剣を振っているということなので、剣筋にブレなどない。
当然これも、一朝一夕で真似できるようなことではない。だが今この一時だけは、正しい剣筋がミゲルの腕に刻まれた。
「そして最後に、人の精霊たる私の力を我が主に注ぎ込もう。合わせた鼓動を、温もりを感じるのだ。我が主の求める力は、既にその身の内にある」
「僕の中に、力が……?」
「あるぞ。何百年、何千年。この地を邪悪なる者から守り続けた、偉大なる人の力が。私は人の精霊。人にできることしかできず、人にできることならば何でもできる。ならば私にできることは我が主にもできる。
そう、できるのだ。人が世界を守っているならば、我が主もまた世界を守れる。世界を守るのに比べれば……」
俺はそっとミゲルの目に手を当て、その瞼を開かせる。その正面、少し離れたところにあるのは、何の変哲も無いただの岩。
「あんな岩を斬るくらい、造作もない」
「……………………」
追放スキル「舌足らずの詐欺師」の効果により、催眠状態に陥ったミゲルがゆっくりと剣を振り上げる。するとその刀身に淡い光が宿り、それが振り下ろされた瞬間、三日月の如き丸い斬撃が岩を目がけて飛んでいく。
それは勇者アレクシスが得意とした一撃。同じ勇者であるミゲルが、無我の果てに瞬きの間だけ先取りした技。
「……………………」
ズズズッという音を立てて、大きな石が袈裟懸けに斬られて滑り落ちた。そのあまりの光景に、ナッシュやトーマスは勿論、周囲で様子を窺っていた子供達すら騒ぐことをやめて呆気にとられている。
「……エイドス、今のは?」
そんななか、誰よりも早く自分の為したことに気がついたミゲルが顎を上げて俺を見上げてくる。
「ふふふ、驚いたか? あれこそが人の力。私が知る偉大なる剣士の振るった技だ。その名を『月光剣』と言う」
「むーんすくれいぱー……あれを、僕が……?」
「そうだ。人の力というのは凄いだろう?」
「……そうだね。エイドスは最高だよ」
己の分を遙かに超える力を使ったことで、ミゲルが再び体重を俺に預けてくる。疲れ切ったその顔は、しかし楽しそうな笑みを浮かべていた。




