後悔で過去は変わらないが、経験で未来を変えることはできる
「ふぁ……朝か……」
あからさまに寝不足の目を擦り、俺は日の当たる芝生の上で大きく伸びをする。清廉な朝の空気を大きく吸い込めば、その冷たさが俺の頭をシャッキリと覚醒させてくれる。
うーん、やっぱり手足を思いきり伸ばせるのはいい。海賊船のベッドは狭かったからなぁ。
「っと、まずは部屋に戻るか」
ほんの一〇歩ほど歩いて窓の所に辿り着くと、鍵の開いている窓に手を掛け押し広げる。するとそこではミゲルが着替えをしており、俺を見て笑顔で挨拶をしてくれた。
「おはようエイドス!」
「うむ、おはよう我が主よ」
「野宿は大丈夫だった? もし辛いようだったら何か考えてみるから、無理しないで言ってね」
「気遣い感謝するぞ、我が主よ。だが当面は大丈夫だ。もし何か必要なことがあればその時には声をかけさせてもらう」
「うん! あ、ご飯食べるよね? 一緒に食堂に行く? それともここに持ってきた方がいいかな?」
「ふむ? そうだな……我が主がいいのであれば、一緒に食堂に行かせてもらおう」
「勿論いいよ! じゃ、一緒に行こうか」
ミゲルの誘いに乗って、俺達は並んで食堂へと歩いて行く。正面玄関を挟んだ反対側が大食堂なので、この部屋からならばすぐだ。
「おーい、ミゲル!」
「あ、トーマス!」
そうして俺達が食堂に入ったところで、ミゲルに声をかけてくる生徒がいた。その親しげな様子からミゲルの友人なんだろうが……正直記憶に無い。それは俺の物覚えの問題というよりも、一周目の状態がそれほど酷かったからだ。
「おはようトーマス、今朝は早いね」
「まあな! ……ったく、何だよ。これなら心配しなくても良かったぜ」
「へ? 何が?」
「何がって……昨日はお前、ハズレを引いたってスゲー落ち込んでたじゃん。寮にも一人で帰っちゃうし、夕食だってさっさと持って部屋に行っちまっただろ? だから今日こそ励ましてやろうと思ってたんだけど……」
「あー、そっか。ごめんトーマス。でも僕大丈夫だから」
「そうみたいだな。なら一緒に飯食おうぜ!」
「うん! エイドスも並ぼう!」
「うむ」
三人連れ立って、俺達は順番待ちの列に並ぶ。周囲は全員一二歳の子供なので俺のでかい図体だけがやたらと目立つが、幸か不幸か俺がミゲルの召喚した「人の精霊」であることは知れ渡っているため、不審がられることはない。
「ここのご飯はとっても美味しいんだよ……って、昨日も食べたんだから知ってるよね。あ、でも、朝はみんな同じだけど、夜は三種類の中から選べるんだ。今夜はここに来て食べよっか?」
「おお、それは楽しみだな」
「何だよミゲル、随分その精霊と仲良くなったんだな」
親しげに会話をする俺とミゲルを見て、トーマスが割って入ってくる。ちょっとだけ恨みがましそうな口調だが、その実トーマスの浮かべているのは笑顔だ。
「まあね。話してみたらいい奴だったって言うか、話が凄く面白かったって言うか……昨日の夕食を部屋に持っていったのも、どうしても話の続きが聞きたかったからでさ」
「えーっ!? くっそ、本気で心配して損したじゃん! てか、そんなに面白い話なのか?」
「そうさ! 僕が聞いたのはね――」
(フフッ、どうやら今回は心配いらねーみたいだな)
昨夜俺が聞かせた話をまるで我が事のように楽しげに語るミゲルと、それを好奇心に目を輝かせて聞くトーマスを見て、俺は心が洗い流されたような気持ちになる。
一周目……初めてこの世界にやってきた時、当然俺は自分が精霊として喚ばれたことなど知る由もなかった。精霊しか喚べない儀式で人にしか見えない俺が現れたことでその場は大混乱となり……今考えれば「召喚陣で人間を強制的に喚び出せる」なんて前例を作るわけにはいかない学園側の都合なんかもあったんだろう。最終的に俺は「人に近い出来損ないの精霊」という存在に定義されることになる。
となると、まともな精霊を喚べなかったミゲルもまた名誉あるローワン王立魔法学園始まって以来の落ちこぼれと呼ばれるようになり、最初は心配してくれていた友人達も劣等感から卑屈になり、自分から繋がりを拒絶するようになるミゲルから徐々に離れていってしまう。所詮は周りも一二歳の子供。二月も経つ頃にはミゲルの周囲に友達は一人も残っていなかった。
俺はそれを何とかしたかったが、当然俺は精霊じゃないのでミゲルの望む魔法を発動させてやることなどできない。それでも何とか自信をつけてやりたいとミゲルに剣の才能があることを伝えたが、精霊魔法が至上であるという世間の価値観に加え、自分を絶望に追い込んだ原因である俺の言葉がミゲルに届くことはなく、契約終了と共に俺はゴミのようにミゲルから捨てられた。
ああ、今思い出しても罪悪感で胸が引き裂かれそうになる。誰もが被害者と加害者を兼任し、だからこそ何処にも怒りや恨みをぶつけられなかったあの環境は、俺が経験した一〇〇の異世界のなかでも相当に上位の酷さだった。
だが、今回は違う。ミゲルの自信を取り戻させたことで、卑屈になって食堂の片隅に一人きりになることはもうない。人の親になどなった経験はないが、それでも今の俺には笑顔で友達と話すミゲルの姿が何より愛おしく、そして誇らしく感じられる。
「……エイドス! ねえ、エイドスったら!」
「っと。何だ我が主よ?」
「何だじゃないよ! ほら、早く!」
物思いに耽っていた俺の意識を、ミゲルの声が呼び戻す。慌てて状況を確認すれば、どうやら俺が食事を受け取る順番がやってきていたようだ。
「おっと、これは済まなかった」
テーブルに並べられたトレイを一つ手に取り、俺はミゲル達の後を着いていく。そうして三人で同じテーブルに着くと、すぐに食事を始めた。
「むぐむぐ……やっぱりこの食堂の料理は美味しいね」
「だよな! うちのメイドは妙に甘い料理ばっかり作るから、こっちのが断然うめー! あれ絶対『子供は甘い物食わせときゃいいだろ』って思ってるんだぜ! 甘くて美味いもんもそりゃあるけど、全部甘かったら飽きるに決まってるじゃん!」
「あはは……それは確かにそうかも。エイドスは甘い物好き?」
「私か? そうだな、特別に好きということもないが、別に嫌いでも……あー、いや、度が過ぎるものは駄目だな」
「度が過ぎるって、たとえば?」
「うむ。王城を模した巨大な飾り菓子を供された事があるのだが、その飾り菓子というのがほぼ全て砂糖で出来ていてな。それだけでも甘いのに、更に表面に光沢を出すために蜂蜜などが塗りたくられていて……」
「うわぁ、それは……」
「聞いてるだけで歯が痛くなりそうだぜ……」
俺の話を聞いて、ミゲルとトーマスが顔をしかめる。いや、あれは本当に酷い料理……いや、拷問だった。どんなに見栄えが良かろうと、砂糖の蜂蜜掛けなんて人間の食い物ではない。おぉぅ、想像するだけで胸焼けが……オエップ。
「おーっと? こんなところに落ちこぼれがいるぜぇ?」
と、そんな俺達に対して背後から大声で話しかけてくる奴がいた。正面に座っていたトーマスはいち早くその正体に気づいて顔をしかめ、俺とミゲルが振り返ってそちらを見れば、そこには昨日の夜暢気に寝ていた少年の顔がある。両サイドが刈り上げられたチリチリ赤毛の小太り少年の横には、何故か無表情なティアが寄り添うように立っている。
「ナッシュ……何の用だよ?」
「何の用って、ヒデーなぁ。俺達は同級生だろ? まあ『昔は』神童と呼ばれたミゲルさんからすると、俺みたいな平凡な男は話すに値しないのかも知れないけどさぁ?」
「……………………」
「おいナッシュ! お前……」
「トーマスは黙ってろよ! 俺は今ミゲルと話してるんだ……なあミゲル? 実は俺精霊魔法が上手く使えなくて困ってるんだ。どうすれば上手に使えるか教えてくれねーかなぁ? 知ってるんだろ? 神童のミゲルさぁん?」
「……………………」
嘲るようなナッシュの言葉に、ミゲルは俯いて拳を握りしめる。昨日話をしたことで前向きにはなってくれたが、未だ何の訓練もしていないんだから当然何の成果もない。ならば――
「我が主よ、ここまで請われているのだから、教えてやったらどうなのだ?」
「エイドス!? 何を言い出すのさ!?」
その言葉に驚いたミゲルが俺の顔を凝視してくるが、俺はそんなミゲルの肩に手を置き、ニヤリと笑ってみせる。
「なに、簡単なことだ。精霊魔法とは精霊の力を行使して引き起こす現象のことなのだろう? ならば主が私に命じてやらせることは、全て精霊魔法であると言える……違うか?」
「えぇ? それは……違わない、のかな?」
「そう、違わないのだ。さあ命じよ、我が主よ! それが人に為せる事ならば、私が必ずやり遂げてみせよう!」
昨日はちょっと同情してやったが、こんなにわかりやすく調子に乗っているならその必要もないだろう。調子に乗った悪ガキにお仕置きをすべく、俺は不敵な笑みを浮かべてナッシュの前に堂々と立ちはだかった。




