『お家がいちばん』
「はーい、到着!」
無事に一つの世界を旅し終えたという安堵感に、私はホッと胸を撫で下ろす。これで行きだけでなく、帰りも大丈夫だということが証明された。
というのも、今回の世界移動の条件は、「勇者パーティで半年以上過ごしてから追放される」ではなく、「現地の人と親交を深めた上で別れを告げる」ことに変更されていたからだ。
その理由は勿論、魔王のいない世界では勇者が生まれないから。今回は期せずしてアレクシス達と合流できたけれど、あの世界のアレクシスはただの王子様であって、勇者じゃない。それでも条件が満たせたのだから、行き帰りに問題はないということだ。
「それでアレン。お試しの旅はどうだった?」
「お試し……? あ、そうだった」
私の問いかけに、アレンがハッとした顔をする。どうやらそんなことはすっかり忘れてしまうくらい、旅を楽しんでくれていたようだ。
「うん……楽しかった。アレクシスさんはちょっと怖かったけど、でも時々お菓子とかくれた。ゴンゾさんはいつも笑って、ボクの頭を撫でてくれた」
「そう。ならルージュは?」
「ルージュお姉ちゃんは……何か、色々凄かった」
「ふふふっ、そう。ま、確かにルージュは色々凄かったわよねぇ」
目をパチパチさせながら言うアレンに、私は思わず笑ってしまう。そんな楽しい気持ちを噛み締めてから、私はその場で腰を落として、アレンに目線を合わせて話しかける。
「じゃあアレン、改めて聞くわね。私はこれからも、さっきみたいな世界を沢山回ろうと思っているの。そしてそこに、アレンも一緒に着いてきて欲しい。どうかしら?」
「…………うん、いいよ」
私の差し出した手を、アレンの小さな手が握り返してくれる。こうして始まった「お試し」ではない本当の冒険は、正しく波瀾万丈だった。
次に行った世界では、魔王がいなくなったことで諍いの種がなくなり、人間とケモニアンが普通に同じ町で暮らしていた。かつて勇者だったワッフルはそんな町で衛兵をやっていて、同じく衛兵をやっていたドーベンとも上手くやっているようで、何だかとっても安心してしまった。
その次の世界では、何とレベッカが海賊ではなく、海辺の町で酒場を経営していた。霧の魔王がいなくなったことであの世界の海は平穏を取り戻しており、国家も発達しているので海賊稼業が成り立つような世界ではなくなったからだろう。
かつては荒くれを率いていたレベッカ船長が、荒くれの集まる酒場で店長をやっているという事実は少し不思議な感じだったけれど、店に集まる海の男達の頭を引っ叩き、お尻を蹴り上げながらお酒や料理を振る舞うレベッカの姿はとても輝いていたのが印象的だった。
ああ、そう言えばピエールは、海賊ではなく輸送船の船長になっていた。流石にあの格好はしていなかったけれど、やっぱり海賊に憧れがあるらしく、彼が作った手のひらサイズの光る鉤爪の玩具は割と人気のお土産だ。実は私とアレンも買ってしまい、夜寝る前なんかにアレンが時々ピカッとやって楽しそうに笑っていたのを私は知っている。なお私が同じ事をやったかは、永遠の秘密ね。フフッ。
問題は、その次。四つめの世界はミゲルのいた学園ではなく、私が行ったことの無い世界だった。そこには普通にエドの欠片が存在し、であれば当然勇者もいて……私達はそこで初めて、本格的な冒険をすることになった。
そしてそれは、その後も続いていく。考えてみれば、私がエドと行ったことのある世界の方がずっと少ないのだから、そうなるのが当たり前なのだ。複雑な世界で様々な主義主張に触れ、理不尽を学び、戦うことの意味を考えながら、私達は前に進み続ける。
それはアレンの心を成長させるのに十分な経験だった。無垢な子供のようだったアレンは、世界を一つ超える毎に大人になっていく。二八番目の世界で遂に学園に召喚されたときは同世代の男の子としてミゲルと一緒に剣の鍛錬をやったりしてたし、四八番目の世界でドルトンさんに会った時は、頼み込んでちょっとだけ鍛冶を教えてもらったりもしてた。
進んで行く、越えていく。そして私達は遂に……一〇〇の異世界全てを渡り終えた。
「ハァ、遂に全部の世界を巡り終えたわね」
「お疲れ様、ティア姉さん。せっかくだし、祝杯でもあげる?」
白い世界に降り立った私の隣で、一五歳ほどの見た目に成長したアレンがそう言って笑う。そう、アレンは心だけでなく、体も成長していた。それが「終わり」を得た……つまり寿命を得ることで成長の余地が生まれたのか、それとも心に比例して体も成長するようになっているのか、詳しい仕組みはわからないけれど……でも今のアレンは、見た目も中身も頼りになる青年だ。
「ふふ、ごめんねアレン。私もそうしたい気持ちがあるけど、でも一番大事なことがまだ残ってるの」
「大事なこと? でも、ティア姉さんが言ってた『最後の世界』は、今出てきたばっかりだろ?」
「ううん、そうじゃないの。多分このあと…………っ!?」
ふと視線を向けた先で、今までずっと何もなかったテーブルの上に一冊の本が置かれていることに気づいた。すぐに駆け寄って本を手に取ると、そこには私が何より望んでいたものが入っている。
「ああ、遂に……」
「何それ、鍵?」
「そうよアレン。これはね、自分が行きたいと願う、好きな世界への扉を開くことのできる鍵なの」
「ふーん? あ、じゃあひょっとして、それを使ったら好きな世界に戻れるってこと? うわ、何処がいいだろ? ミゲルの奴がどうなったかも知りてーけど、ルージュさんに今の俺を見せるのも楽しそうだよな。今の俺ならドルトンさんからもっとちゃんと鍛冶を習うことだってできるだろうし……」
「ごめんねアレン、この鍵の使い道は決まってるの」
はしゃぐアレンに、私は少しだけ目尻を下げて告げる。確かにそんな使い方も素敵だと思うけれど、こればかりは譲れない。
「あっ、そうか。そうだよね、姉さんはそれが欲しくてここまで来たんだし……じゃあ、どうするの?」
「それは勿論……こうするのよ」
私は左手でアレンと手を繋ぎつつ、右手に握りしめた鍵を胸に当てる。
かつて私とエドは、この鍵を使って喋る船をノアブレインに変えた。でもあれは、あの時だけの奇蹟。それに仮にノアブレインがあったとしても、この周回にはルカがいないので、封印に穴が開いていない以上、あの光る格子を通り抜けるのは不可能。
でも、そんなことは関係ない。何故なら私には、未来永劫変わらないエドとの繋がりがあるのだから。
「さあ、教えて。今エドは何処にいるの……?」
私の右手の小指から、細く長い赤い糸が伸びていく。それは時を、世界を隔てようとも決して切れることなく、今もエドと繋がっている。
世界の封印を越え、真っ黒で真っ暗な世界へ。深淵の向こうに鎮座し、周囲に柔らかな光を零す白い球体に辿り着くと、苦労して明けた穴から内部へとスルリと入り込む。そしてその先には……
「……行くわ。アレン、準備はいい?」
「へ!? いや、いきなり準備って言われても……? あー、まあいいや! ティア姉さんが行くなら、俺だって何処にでも行ってやる!」
「ありがとう、アレン。それじゃ、行き……いえ、帰りましょう」
強く鍵を握り、私は今まで一度も使ったことの無かった力を解放する。それは莫大な力を必要とする代わりに、私が家だと思う場所に私を運んでくれる力。私が帰るべき場所は、いつだって貴方の隣!
「さあ、私の家の扉を開いて! 『お家がいちばん』!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」
瞬間、私の視界が眩い光に埋め尽くされる。驚いて叫ぶアレンと離れないようギュッと手を握ったまま、その奔流に耐えることしばし。
「…………よう、ティア。随分と早いお帰りだな?」
「あら、いいでしょ? だって待ちきれなかったんだもの!」
あの日と変わらぬ笑顔で出迎えてくれたエドに、私はそう言って飛びつくのだった。




