でかい奴はそれだけで強いが、強い奴がでかいとは限らない
クラーケン。あまりにも強大なその敵には、実のところ別の呼び名がある。その名も「霧の門番」だ。
霧……そう、霧だ。霧の魔王がいるという海にいる、霧の門番。しかも誰がそう呼び始めたのか、何故そう呼ばれているのかを誰も知らない。ただ昔からそう言われているということは、逆に言えばこの名前にきっちりとした理由があるということだ。
もっとも、俺がそれを知ったのは、一周目においてこの先の港に寄って「クラーケンに襲われている船を見た」というのを情報収集に立ち寄った町の酒場で話したときだ。であればまさか下っ端船員が「興味があるので引き返してクラーケンに接触してみませんか?」などと言い出せるはずもない。そんなことを真顔で言えば、当時の俺などあっさりと海に捨てられていたことだろう。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!! ………………っとぉ!」
最後に思いきり氷の道を踏みしめて、俺は天高く飛び上がりピエールの船に着地する。ダンッという音と共に突然甲板に現れた俺に、ピエールがフックの手をわななかせて叫び声をあげる。
「な、何だ!? って、テメェ新入り!? 何で!? どうしてここにいやがる!?」
「おう、久しいな船長。なに、ちょっとあのデカブツを倒そうと思ってな」
「ハァ? クラーケンを倒す? 何言ってんだ?」
「細かいことはどうでもいいだろ。それよりお前のところの船員を下げさせろ。戦いの邪魔だ」
俺の目的はクラーケンの退治であり、バロック海賊団の救出じゃない。が、海賊とはいえ無意味に巻き込んで殺したいわけじゃないし、あとは言葉通り純粋に邪魔だ。平然とそう言い放つ俺に、ピエールは更なる混乱に頭を悩ませている。
「邪魔!? 何を偉そうに……いや、でもお前等が盾になるってんなら……おい野郎共! 一旦こっちに戻って来い!」
ピエールの命令に応えて、雨の中でも見えやすい赤と白のシャツに身を包んだ海賊達が一斉にこっちに戻ってくる。だがそれに釣られるようにクラーケンがその巨体を現し、長い触手の一部が逃げてくる海賊達にクルリと巻き付き、そのまま海に引きずり込もうとしているようだが……
「ハァッ!」
俺の剣が、伸びきった触手に叩きつけられる。その衝撃で捕らえられていた海賊がビタンと床の上に落ちるが……クソッ、やっぱり切り落とすのは無理か。
「ティア! 作戦通りに頼む!」
「任せて! 水面を撚りて滴るは蒼く輝く満月の雫、土を纏いて鎚打つ響きは金に満ちたる累月の礫――」
詠唱を始めたティアを守るように、俺は船の舳先に立ってクラーケンの触手をいなす。二撃、三撃と受け止めた衝撃は、当然その全てを「円環反響」で蓄積していく。
「鈍の光に束ねて重ねる三界さざめく精霊の吐息! 凍てつき果て尽き凍えて氷れ! ルナリーティアの名の下に、顕現せよ『フリージングレイ』!」
水と土の複合属性たる氷の光が、詠唱を終えたティアの両手から放たれる。その蒼い閃光は俺の横を通り過ぎてクラーケンに命中すると、その巨体がビキビキと氷に覆われていく。
が、如何にティアの力でも船よりでかいクラーケンの全身を凍らせることなどできない。水上に見えていた本体の七割ほどを凍らせたところで魔法の力は尽き、自由な触手が怒り狂ってティアに襲いかかろうとする。
「ごめん、エド! これが限界!」
「十分! だりゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「追い風の足」で床を蹴り、これまでの攻撃で溜めに溜めた衝撃を全部乗せた俺の拳がクラーケンの頭に炸裂する。通常ならば軟体のクラーケンに打撃は殆ど効かないが、カチコチに凍っているが故に衝撃によってその体がクルリと回転し、本来なら水中にある大きな口が目の前に晒される。
「食らっとけ!」
その口に向かって、俺は腰の鞄という名の「彷徨い人の宝物庫」から取りだした布袋を三個投入。その中身はあの日の依頼でちょろまかしたラブルドンキーの角の粉末を色々と加工したもの……つまりは「超強力な興奮剤」だ。
そんなものを直接口に放り込まれたらどうなるか? その答えはすぐに現れる。
――――――――っ!?!?!?
「うひぃぃぃぃぃ!? 船が!? 俺の船がぁぁ!?!?」
興奮したクラーケンが、無差別に周囲に触手を打ち付け始める。ピエールやその手下が頭を抱えて蹲っているなか、俺は船に直撃しそうな触手だけを的確に防ぎ、ティアは魔法を使って船が転覆しないように必死に支える。
「エド、これどのくらいかかるの?」
「俺の計算が正しければ、一〇分くらいでいけるはずだ!」
「わかったわ!」
薄命の剣とは言わずとも、せめて銀翼の剣があればクラーケンをぶった切ることもできた。だが普通の剣じゃ流石にこの巨体を切断するのは無理だ。それはティアの魔法も同じで、でかくて柔らかい体は魔法に対する抵抗力が高く、それ故にクラーケンは誰にも討伐されていない。
だからこその持久戦。もっと強力な毒があれば即死させることもできるんだろうが、そんなものを手に入れる伝手のない今、これが俺に出来る最高の攻撃手段。それを為したならば、あとは信じて時間を稼ぐのみ。
「暴れろ暴れろ! それだけ薬が早く回るからなぁ!」
「ぐうっ、こっちはもうちょっと加減して欲しいわね……」
「ひぇぇぇぇ!? お助け、お助けぇ!」
上半身の氷もとっくに溶けたクラーケンが、船のマストより太い触手をゴウゴウと音を立てて振り回す。それをいなし、はじき、受け止め逸らし……永遠とも思えるような時間の果てに、遂にその時がやってくる。
「……ん?」
大きく振り上げられたクラーケンの触手が、突如として空中で力を失う。ただ重力のみに従って落ちてきた触手をこぶしで弾いてその大本を覗き込むと、ピクピクと震えるその巨体がプカリと水面に浮いていた。
「これはやったか?」
最大限に警戒しつつも、俺は船を飛び降りクラーケンの上に着地する。何の反応も無い事を確認するとその大きな目に剣を突き入れ……それでもクラーケンは動かない。最後にダメ押しで「失せ物狂いの羅針盤」を使ってみると、生きているクラーケンの反応は見当違いの方向ばかりで、目の前のこれを指し示すのは「クラーケンの死体」を対象とした場合のみ。
「お、おい新入り! ど、どうなった!? ま、まさか……!?」
攻撃がやんだことで、ピエールがおっかなびっくり船から顔を出してくる。が、俺はそれを完全に無視して「追い風の足」からの踏み切りで船の上へと飛び上がって戻り、近くにいたティアの方に歩み寄っていく。
「おい新入り! 俺を無視するんじゃねぇ!」
「よぅ、ティア。お疲れさん」
「ホントよエド。すっごく疲れたんだから! でも……?」
「ああ」
「だから無視すんなって! なあ新入り……新入りさん? ホントか? ホントにやっちまったのか!?」
「うるせーな。見りゃわかんだろうが。さあお嬢様、お手をどうぞ」
「フフッ、ありがと」
一礼して手を出すと、ティアがそれをギュッと掴む。そのまま特等席へとエスコートすれば、いつの間にか晴れていた青空の下、俺達の為した偉業は沈黙のまま海を漂っている。
「おおい、アンタ達! 無事かい!?」
と、そこで背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。見ればスカーレット号もすぐ側までやってきており、レベッカがこの船に乗り移ってきたようだ。
「あ、船長。ええ、見ての通りです」
「テメェ、何でレベッカには返事すんだよ!? てか人の船に勝手に乗ってるんじゃねぇ!」
「うるさいよピエール! ウチの新入りなんだから、アタシに返事するのは当たり前だろうが! にしても、静かになったから来て見れば、こりゃあ……」
「フッフッフ……行くぞティア?」
「いいわよ。せーのっ!」
「「クラーケン、討ち取ったり!」」
繋いでいた手を高々と掲げ、俺とティアは声を揃えて勝ち名乗りをあげた。




