『小指の誓い』
「それじゃ、最初はアタシが牽制するわ」
そう言って、ルージュが小声で詠唱を始めた。その間にアレクシスとゴンゾがさりげなくルージュの斜め前に陣取り、万が一発動前に気づかれても大丈夫なように構えを取る。
「猛るは炎。爆ぜるは空。集うは瞬熱、放つは炸裂! 爆ぜろ、『クラッカーブリッツ』!」
パンパンパンパンパンッ!
「グオォォォッ!?」
突如足下で鳴り響いた音に、ノーブルグリズリーが驚いて動きを止める。派手な音と衝撃を放つだけの、それはいわば挑発魔法だ。
でも、この「だけ」というのが実は地味に難しい。魔力制御の甘い術者が使うと普通に火が飛び散って辺りが燃えてしまうのだけれど、完全に音と衝撃だけで押さえ込んでいるのは、ルージュが優れた魔法師である証拠だろう。
「行くぞ! ウォォォォォ!!!」
それに合わせて、ゴンゾが雄叫びをあげながら突っ込んでく。周囲への警戒のため二足で立ち上がっていたため、ノーブルグリズリーはそれを受け止めるしかない。
「グァァ!」
「ぐぅ、重い……っ!」
とは言え、四つ足の機動力を失った代わりに、三メートルの巨体から振り下ろされる一撃は極めて強力。ゴンゾは腕を十字に組んでそれを受け止めたが、その顔が露骨にしかめられている。
「ゴンゾだけに集中はさせないぞ! ほら、こっちだ!」
「グァァ!?」
だが、そこに横を駆け抜けたアレクシスが、背後からノーブルグリズリーに斬りつける。でも私が見る限り、ノーブルグリズリーは嫌がってはいても痛がっている感じがない。おそらく毛皮を切り裂けていないんだろう。
「くそっ、何て硬さだ!? なら……っ!」
「グアッ!?」
斬るのを諦め、アレクシスがノーブルグリズリーに剣を突き立てた。すると今度はしっかり刺さったのか、ノーブルグリズリーが痛みに声をあげ、その太い腕を振るってアレクシスを跳ね飛ばそうとする。
「おっと、自由に動かせはせんぞ!」
だが、それをノーブルグリズリーに密着するようにして締め上げ、脚を絡ませて動きを封じるゴンゾが許さない。苛立ったノーブルグリズリーが無防備なゴンゾの背に何度も爪を振り下ろすが、ゴンゾは自身で癒やしの魔法を使い、必死に体勢を維持している。
その間にもアレクシスが二度三度と剣を突き立て、いよいよノーブルグリズリーが怒りの雄叫びをあげて滅茶苦茶に暴れ出そうとした、正にその時。
「――宿せ、銀霊の剣! 二人とも離れて!」
準備を終えた私の言葉に、ゴンゾとアレクシスがその場を蹴って離れる。邪魔者から解放されたノーブルグリズリーが、不意に訪れた解放感に一瞬だけ動きを止めて……
「解放、『ウィンドエッジ』!」
「グ、オォォ…………!?」
振り下ろした銀霊の剣から、鋭い風の刃が放たれる。それは三メートルを超えるノーブルグリズリーの巨体を、頭からお尻まで真っ二つに切り裂いた。吹きだした血の匂いがむせかえるほどに充満し、ドシンと大きな音を立てて半分ずつの体が大地に倒れ伏した。
「フフーン、どう? ざっとこんなもんよ!」
「うわ、えっぐいわね……もうちょっとどうにかならなかったの? 首だけ落とすとか」
「無茶言わないでよルージュ。横に振るったら、ゴンゾやアレクシスまでスパッといっちゃうかも知れないでしょ?」
「ガハハ、それは勘弁願いたいところだ……いつつ……」
「ゴンゾ、大丈夫?」
「まあ、何とかな」
顔をしかめながらこっちに戻ってきたゴンゾに声をかけると、ゴンゾがそう言って背中を見せてくれる。裂傷は既に塞がっており、真っ赤に腫れ上がってはいても既に血は流れていない。とても痛そうではあるけれど、確かにこれなら問題無いだろう。
「アレクシスも、お疲れ様。なかなか頑張ったじゃない?」
「フンッ、最初に牽制しかしていない君に、そんな言われ方をする道理はないね」
「なによ、せっかく褒めてあげたのに!」
「待て、今のが褒め言葉だったのか!? ルージュ、君は本当に……ならまあ、礼は言っておこう」
ルージュとアレクシスの方も、いつも通りで大丈夫そうだ。始める前は緊張したけれど、終わってみれば十分に堅実な勝利だったと言える気がする。
「さて、ではこの死体の後始末をしなければな。真っ二つの上に血にまみれてしまったから、この毛皮を売るのは無理であろうし、穴でも掘って埋めるのが妥当か?」
「えー、このでっかいのが入る穴を掘るの!? アタシ嫌よ?」
「かといって、放置も駄目だろう。なあティア、君の精霊魔法でどうにかならないか?」
「うーん、ある程度ならいけるけど、この大きさだと魔力の消費が……あ、そうだ。アレン、終わったからこっちに――っ!?」
振り返り、アレンに呼びかけ、その瞬間私の体が硬直した。木の陰からこちらを見ているアレン、その背後に巨大な黒い影が迫っていたからだ。
「アレン!」
こんな近くにいたなら、番いだった? 何でここまで気づかなかった? 騒がしくしてたから? それとも血の匂いがもの凄かったから? 頭に浮かぶ疑問と言い訳の全てをねじ伏せ、私は全力で大地を蹴る。
ああ、でも、私の実戦経験が、もう間に合わないと告げている。魔法を詠唱している時間はない。無詠唱じゃあの巨体を跳ね飛ばす威力は出せない。私の腕力じゃ剣を投げても刺さらない。
「もう一体いただと!?」
「待つんだティア! もう――」
「アレン! くっ……!」
背後から、仲間達の声が聞こえる。でも援護は飛んでこない。そりゃそうだ、ゴンゾは私より強くても遅いし、アレクシスの剣はまだノーブルグリズリーの体に刺さったまま。ルージュの魔法は……多分アレンが近すぎて無理なんだろう。
今動けるのは、私だけ。でも私には、この状況を切り抜ける手段がない。
もし私がエドだったら、きっと一瞬でアレンのところに駆け寄り、平気な顔で敵の攻撃を受け止められたんだろう。もしこの場にエドがいたら、あんな魔獣くらいあっさりと斬り跳ばしていたんだろう。
でも、私はエドじゃないし、この場にエドはいない。なら今の私にできることは……たった一つ、これだけだ。
「逃げて!」
「お姉ちゃん!?」
最後の力で飛び出すと、私はアレンの体を突き飛ばした。だがそこはノーブルグリズリーの腕が振り下ろされる死地。あと一秒か二秒もあれば、きっと私の体にあの爪が食い込むのだ。
「……ごめんね」
死の恐怖より、エドと再会できないことの無念より、「ずっと一緒にいる」という約束を果たせなくなる悲しみが、私の口から零れた。頭をよぎる刹那の思い出を抱きしめて……
「『去れ』」
「あうっ!」
アレンの口から、氷のように冷たい言葉が放たれる。それに一瞬遅れて私は地面に倒れ伏し……だというのに、覚悟していたはずの死がいつまで経っても訪れる気配が無い。不思議に思いながらも体を回してみると、さっきまでそこにいたはずのノーブルグリズリーの巨体が完全に消失していた。
「あ、あれ? ノーブルグリズリーは?」
「……………………」
「ねえ、みんな!? ノーブルグリズリーはどうしたの!? 一体どこに……」
「……消えた」
意味がわからず混乱する私に、唇を震わせたアレクシスが小声で答えてくれる。でも消えた? 消えたって、どういうこと?
「アレンが『去れ』と口にした瞬間、ノーブルグリズリーが黒い霧となって消えてしまったのだ」
「えっ!?」
驚き、起き上がってアレンを見る。するとそこでは黒目黒髪になったアレンが、虚ろな眼差しを宙に向けていた。




