たとえ招かれていなくても、必要ならば押しかける
ティアを抱えての過去からの逃避行は、一時間ほどで飽きた……あるいは諦めた。その後は普通に歩いて行ったわけだが……
「恐ろしいくらいに何も起こらねーな…………」
足下の波紋は、未だに俺の過去を映し続けている。が、それ以外に何も起こらない。相変わらず辺りは何もない白い平地であり、何処を向いても何一つ……ん?
「あれ? ねえエド、あっちに何かない?」
「んんー? 言われてみれば、あるような……?」
遙か遠く地平の果てに、何かがあるような気がしなくもない。とにかく全部白いのでわかりづらいことこの上ないが、目を凝らして見ると、あるような無いような……いや、やっぱりあるか?
「他に目印があるわけでもねーし、なら向こうに行ってみるか」
「さんせーい!」
ここに来て、漸く目指す方向というのが出来た。足下の波紋に映る映像ももうあまり気にすることなく、歩いて歩いて歩き続けて……
「遠いなオイ!? 全然近づいてる気がしねーぞ!?」
「そう? ほんのちょっと近づいてる気がするけど?」
「えぇ? まあ、そうであってくれないと困るけどさぁ……」
歩いて歩いて歩き続けて……
「……ごめんエド。やっぱり私の勘違いだったかも」
「いや、大丈夫だ。きっと近づいてる。近づいてるから……もうちょっと頑張ろうぜ」
「うん……」
歩いて歩いて、果てしなく歩き続けて……
「やったわエド! 後少しよ!」
「おう! 多分きっと、もうちょっとであると固く信じたい気分だぜ!」
遂にはっきりと「何かある」と見える距離まで辿り着き、俺達はテンションも高く走り出した。幸いにしてここは「白い世界」と同じく腹も減らなければ眠くもならない場所だったため、疲れるどころか息切れすることもなく俺達は走り続ける。
そうして遂に辿り着いた場所にあったのは、小さな丸いテーブルが一つと、椅子が二脚。そしてその一つに、ゆったりとした白いローブを身に纏う、一人の男が先に座っていた。
「…………来てしまったのか、魔王よ」
「ああ、来てやったぜ。テメーが『神』か? 想像より小さいっていうか……いや、俺としては助かるけど」
「お前と話ができるように、小さく見せているだけだ……まあ座るといい」
「ああそうかい? なら遠慮無く……ティア」
「え、私? う、うん……」
自分ではなくティアを座らせると、すぐ隣にもう一つ椅子が出現した。そこに腰を下ろすと俺の前にだけカップが現れたので、それもティアに回す。するとやっぱり俺の前に、改めて湯気の立つ黒い液体の満たされた白いカップが出現した。
「コーヒー? うわ、久しぶり……いい香りね」
カップを手にしたティアが、懐かしそうに目を細めて香りを楽しむ。同じく俺もカップを手にすると、なかなかにいい香りが漂ってくる。そのままカップを傾ければ、口内に広がるのはほどよい酸味と苦み。
最高級というわけではないが、「ちょっとコーヒーを好きな奴が、ちょっと美味しいコーヒーを飲みたいと思った時に飲むやつ」という味わいだ。
「ふむん? 神なんて言うなら、最高級……いや、それこそ『最高』のものを出してくるかと思ったんだが」
「それは『最高』の定義の違いだな。小さき者達が最も多く石ころを積み上げるものという意味でならこれより価値のあるものは幾つもあったが……」
そこで一旦言葉を切り、神もまたコーヒーを口にする。その表情は張り付いたように動かないが、小さく吐いた息は少しだけ穏やかな感じが伝わってくる。
「口にした時、小さき者達が最も多く幸福を感じていたのが、これだったのだ」
「……なるほど。そいつは確かに『最高』だ」
真の最高級品など、ごく一部の金持ちしか口にしないんだろう。頑張れば口にできる、ちょっとした贅沢……これが最高だと言う神の意見に、これっぽっちの異論もない。
「ふぅ……で? お前は何でこんな何も無いところに引きこもってんだ?」
「何も無い……お前にはここが、何も無い場所に見えたか?」
「? ああ、大分走ったけど、ここに辿り着くまでは何にもなかったぜ?」
優雅にカップを傾けながら、俺は神の言葉に首を傾げる。だが神はそんな俺を、無機質な目で見つめてくる。
「違うぞ、ここには全てがある。例えば……」
神が左手を横に伸ばす。するとその手からジャラジャラと音を立てて大量の金貨や宝石が降り注いだ。
「小さき者達の多くが価値を見いだす石塊だ。それともこちらの方がいいか?」
神が左手の指をパチンと鳴らす。すると金銀財宝が消失し、代わりに出現したのは豪華なドレスや、美しい絵画。
「文化、あるいは芸術と呼ばれるものだ。無論、他にもあるぞ。最高の美食、美しく従順な同族、あらゆる病を癒やす薬、無双の力を与える武具……それこそお前が望むのならば――」
もう一度、神がパチンと指を鳴らす。すると再び全てが消え、今度は左手の上の空間に窓のようなものが開いた。そこに映し出されたのは……
「……母さん?」
「そうだ。私の欠片が創ったような不完全なものではない。完全なお前の故郷すら、ここにはある。どんなものでも……とまでは言わぬが、おおよそ人の身が望みうる程度であれば、ここには全てが在るのだ」
「なるほど、お前がここで退屈してなかったってことはわかったよ。で? それを俺に見せつけて、どうしようってんだ? まさかここで仲良く一緒に暮らしましょうってわけじゃねーんだろ?」
カップの中身を飲み干してテーブルに置くと、勝手に新しいコーヒーが沸いて出てきた。何とも気の利く給仕の仕事に感心しつつ言うと、神が静かに口を開く。
「……一つ、問いたいことがある」
「ん? 何だよ?」
「魔王よ、お前にとって、今見せた故郷は偽物か?」
「……? 何言ってんだ、俺がそこで生まれたわけじゃねーことなんて、お前が一番よく知ってるだろ?」
意味がわからず顔をしかめる俺に、初めて神が少しだけ戸惑ったように首を振る。
「すまぬ、今のは聞き方が悪かったな。ならば言い直すが、私の欠片が生み出した故郷と、今ここで私が見せた故郷の違いはなんだ?」
「えぇ? 違いって言われても……?」
改めて問われて、俺は思いきり考え込んでしまう。世界規模の違いと言われても、正直何一つピンとこない。ただ一つ言えることがあるとすれば……
「少なくとも、今そこに見えてる世界には俺は行ったことがない。仮に全く同じ世界、同じ人物が存在してるって言うなら、違いは俺がそこにいたことがあるかどうか、だと思う」
「そう、か……やはりそういうことなのだな」
「なあ、さっきから何が言いたいんだ?」
「……………………」
パン! と、神が突然頭上で両手を打ち鳴らした。するとその背後に無数の窓が開き、様々な景色が映し出される。
「私もな、やってみたのだ。我が欠片を無数の世界に跳ばし、小さき者として様々な時を送ってみたのだ。
だが、それでわかってしまった。そうして感じるものは私のものではなく、私の欠片が得たものなのだ。何処までいっても、私自身には何もない」
「それは……」
「魔王、お前ならばわかるだろう? お前自身とお前の欠片は、同じでありながら別のものだ。それは私もそうだった」
言って、神が右手を掲げる。そこに現れた柔らかな光を宿す球を、神が遠い目をして見つめる。
「これはお前達が『ルカ』と称した私の欠片だ。だがこれは私であって私ではない。お前達も、『ルカ』と『神』を同一の存在だとは思わないだろう?」
「……まあ、そうだな」
その問いに、俺は同意することしかできない。確かにルカと神は違うし、俺と魔王達も違う。皆それぞれが独立した意思や思考を持つ、唯一無二の存在だ。
「故に私は、私だけのものを手に入れようと思ったのだ。自分しかいないこの世界で、あらゆる事象を繰り返し、私だけの何かを探していたのだ。
それはいつか完成するはずであった。終わりを持たない私であれば、無限の果てに辿り着く予定であった。
だが、魔王……お前は来た。私の元に、お前が来てしまった。故に私は、お前を排除しなければならない」
席から立った神の体が、白光を纏ってふわりと宙に浮く。白いローブが革鎧と化し、その腰には長剣が佩かれる。白い髪、白い目をした白い装備のその男は――
「消えろ魔王! お前は私に必要ない!」
俺とそっくりの顔でそう叫んだ。




