間章:傍観者の想い 下
今回も三人称です。ご注意ください。
「書き足す、ですか……」
「できねーのか?」
「不可能とは言いませんが……」
問う魔王に、シーナは微妙な声で答える。シーナ自身はアガスティア・アーカイブ内の情報に手を加える権限を有していないが、それはシーナを縛る命令であり、アーカイブ内の情報が改竄されないように守られているわけではない。
その理由の半分は、ここに余人が足を踏み入れることなどあり得ないと考えていた神の驕り。だがもう半分は……
「確かに消去や書き換えに比べれば、書き足すのはいくらか容易でしょう。ただそれは程度の問題であって、一文字書き足すだけでも相応の力を必要とします。また必要な力は、書き込むことによって世界が変化する量に比例します。
なので、この流れを変えられるような情報を今の貴方が書き込むのは、いかなる手段を用いても無理だと判断しました」
「ふーむ、ちょこっと書いて全部解決! ってわけにはいかねーわけか」
「当然です。そんなことができるなら、そもそも貴方がここにいるはずがありません」
もしも無制限に書き込んだ全てを事実として確定させられるなら、「失意の魔王が自ら終わりを選ぶ」とでも書けばそれで終わる。だがそれは神ですらできなかったことであり、必然力を取り戻していない魔王モドキに実現できるはずもない。
「なら、そうだな……一回で無理なら、回数を重ねりゃどうだ?」
「それは……だから、貴方がここに来ることができたのは――」
「だから、そこをいい感じにするんだって! そうだな…………これ、書き込むにはどうすりゃいいんだ?」
「本気ですか? まあ試すだけなら自由ですが……書き込む内容を強く念じながら、指でなぞれば書けますよ」
「そっか。なら…………………………………………」
一旦本を棚に戻し、新たな本を手にした魔王が唸りながら指先を滑らせ……その体が不意にカクンと力を失い、倒れ込んだ。
「……死にましたか。己の分を見誤り、無謀な賭けに出るとは……所詮は魔王ですね」
あまりにもあっけなく死んだ魔王の体がその場から消え、箱の中の一〇〇の異世界が再び再構築される。だがしばらくすると、またしても不可侵であるはずのこの場に、招いていない人影が飛び込んできた。
「うおっ!? マジか、本当にあるのかよ!?」
「ま……いえ、貴方は? 一体どうやってここに?」
「どうって、そりゃ古代遺跡にここのことが書いてあったからだけど……」
「遺跡……?」
意味がわからず、シーナは改めて世界の記録を探り直す。すると魔王がとある世界の古代遺跡に、ここへの辿り着き方をメッセージとして書き込んでいたことに気づいた。
「これは……」
確かにこの遺跡は、魔王本人とは何の関係もない。そこに綴られた文字は魔王では読めないし、そもそも魔王はその一文が刻まれた資料を目にすることすらない。
だが魔王が関わる勇者が考古学者であり、その文章を読むのだ。極めて迂遠な手段であるが故に、魔王の命一つで書き足すことができたのだろう。
「あの、それでですね。ここには世界の真実っていうか、俺が何でこんな目に遭ってるかが書かれた本があるって話なんですけど……」
「ああ、それならそこにありますよ。使い方は――」
問うてくる魔王に、シーナは以前と同じ説明をする。すると魔王は本を手に取り、そして以前と同じ問答をして……
「なるほど、ここにくる手段は確立させられたわけだ。なら次は……神様のところに辿り着く方法があればいい、のか? いやでも、そんなのどうすれば……あ!」
考え込んでいた魔王が、新たな本を手に取る。そしてそこに何かを書き込もうとして……
「……………………」
「…………ハァ。私はこれをどう捉えればいいのでしょうか?」
またもあっさり死んでしまった魔王に、シーナは困惑を浮かべる。今回は念のために魔王が手にしていた本を見てみたが、そこには小さな点が穿たれているだけだった。
「文字ですらない……ということは、よほど世界が大きく動くような内容を書こうとした? でもそれなら、何度でも蘇る魔王の命程度では何も書き込めないはずですが……?」
考えてみたところで、小さな点の意味などわからない。ただその答えは、戦慄と共にシーナの前に次々と姿を現していく。
「チッ、俺の旅はここで終わりってか」
「ハァ、まあ仕方ねーわな」
「んー? あ、ああ! そういうことか!」
次々とやってくる魔王が、己の命を消費して点を線に、線を文字に変えていく。「次」に行かないため神が殻に閉じこもることもなくなったが、あまりにも無造作に死を選ぶ魔王に、ある時遂にシーナは問うた。
「あの、いいですか?」
「ん? 何だよ」
「貴方には、魔王としての記憶などないはずです。ならば貴方にとっての死とは、唯一無二の避けるべき恐怖のはず。それなのにどうして、そこまで簡単に命を投げ捨てられるのですか?」
「…………簡単じゃねーよ」
シーナの問いに、魔王が答える。ニヤリと笑って突き出した手は、若干ながら震えている。
「怖いさ。死ぬのは怖い。でもほっといても死ぬんだろ? ならここが踏ん張りどころじゃねーか」
「人の感覚を持つ貴方なら、一〇〇年の延命は十分すぎるほどなのでは? この先にある楽しい日々を捨て去ってまで、そのような無意味なことに命を費やす価値があると?」
「無意味ってことはねーよ。確かに今はそうだろうが、終わりは見えてる。このまま俺が……続く俺達が命を張り続けりゃ、ちゃんと意味があるものになるんだぜ?」
震える拳を、魔王がギュッと握る。
「俺はさ、ハッピーエンドが好きなんだ。本で読んだだけじゃ実感もわかねーけど、でもここから先に行った俺は、随分と愉快な旅をするんだろ? ならその結末は、みんなが幸せじゃなきゃ満足できねぇ。世界が終わってやり直しなんてのは、もう御免なんだよ」
「そう、ですか……」
「ま、でかい口叩いたところで、所詮は俺の我が儘さ。何せ俺は魔王だからな! 俺が終わりを決められるって言うなら、そいつはハッピーエンド一択なんだよ」
そう言って笑ってから、またも魔王は本の中に僅かなシミを伸ばし、あっさりと死んだ。そうして幾千、幾万もの魔王の命がアガスティア・アーカイブに刻まれていき……遂にその時が訪れる。
「……そうか、遂に完成したのか」
文章として完成し、シーナにも読めるようになったそれを見て、魔王は感慨深げにほくそ笑む。その後は追加で二冊の本を手に取ると、合計三冊を抱えながらシーナの前にやってきた。
「さて、それじゃ最後の仕上げだ。なあ、シーナ」
「シーナ? ひょっとして、私のことですか?」
「ああ、そうだ。俺は覚えてねーけど、シーナは俺の事覚えてるんだろ? なら随分と長い付き合いなんだろうし、いつまでも『シナリオライター』なんて呼び方じゃ仰々しいっつーか、他人行儀じゃん? 愛称くらい呼ばせてくれよ」
「シーナ……何と安直な。まあ構いませんが。それで、何ですか?」
「次の俺が、きっと最後の俺だ。全てを終わらせ、そして進ませる俺だ。だから今から俺が残す希望を、渡してやって欲しい」
「残す? 何を……」
「『終わる血霧の契約書』、起動」
瞬間、魔王の体が赤い光に包まれる。当然その効果を知っているが故に、シーナは思わず声をあげた。
「なっ!? 貴方、馬鹿なのですか!? 本への干渉はただでさえ魂の力を消費しているのに、そんなもので無理矢理干渉力を引き上げたりしたら――」
「ハッ! 俺の魂がすり減って消えちまっても、そっちからすりゃ『望むところ』なんだろ? いいから見てろっ!」
魔王が、三冊並んだ本に文字を書き込んでいく。
「ここに来る手段……先に知るのは駄目だ。『たった一度の請求権』の使用を出現条件にして……」
一冊目……「白い世界」の設定に書き加えられたのは、アガスティア・アーカイブに保持された勇者の行動を本として出現させる概念。隔離された世界にここにあるものを表示させるだけなので、意外にも消費は大したことなかった。
「次は、そいつを目にしてここを知れるように……クッ、改変と、追加……っ!」
二冊目……そこにある古代文明に書き込んだ文章を、一部修正。その消費を補うために、勇者と同行している間ですら情報を得られないように関係性を離す……差し引きは僅かにマイナスだが、許容範囲内に収まった。
「ここに来る……具体的な手段……っ! はは、所詮は言葉遊びだが、言葉ってのはちゃんと力を持ってるんだぜ……っ!」
三冊目……もっとも都合がいい喋る船に、特定条件を満たした場合のみ、一度だけここに跳べる強制転移機能を追加。通常なら絶対に達成できない条件を指定したので、ギリギリ魔王の意識は保たれる。
「最後は、これを……っ!」
魔王が取りだしたのは、小さな黄金の鍵。この場所に来るために片道分を消費した、望んだ場所への道を繋ぐ最高最後の切り札にして欠片。
「俺の全てで刻み込め! 『その終焉に花束を』!」
この地に辿り着き、命を散らした幾千幾万もの自分達。その覚悟と願いを束ねて掴み、小さな鍵に未来と希望を刻み込む。それはここが隔絶された空間でなければ、間違いなく神が目を剥いて驚いたであろう莫大な力で……やるべき事をやり遂げた魔王は、遂にその場で膝を突いた。
「ハァ、ハァ、ハァ…………どうだ、やってやったぜ……」
「お疲れ様、と言うべきですか? それとも残念だったと嘆くべきでしょうか?」
「そこは笑顔で……送り出してくれよ…………ハァ…………」
魔王には、もはや何の力も残されていない。僅かに残った命の灯火は、もう数秒で消えてしまう。
「じゃあな、シーナ。次はお前も……終わりの向こうに連れてってやるぜ……」
「……ええ、楽しみにしておきます」
そうして魔王は力尽き、世界は再び最初に戻る。だが唯一戻らないシーナは床に落ちた小さな鍵を拾い上げ、そっと己の一番奥へとしまい込んだ。
「魔王、貴方は私が全ての用意をしたと、その手段を私に与えられたと言っていましたが……違います。それは貴方自身の命と決意の結晶なのです。たとえこの先どれほど同じ時を繰り返しても、きっと二度とは創れない……そういうものを、私はただ中継しただけに過ぎません」
その事実を、シーナは魔王に告げたりしない。本人が伝えなかった努力を他人が喧伝するなど、そんな恥知らずではないのだ。
だがそれでも、だからこそシーナは祈る。誰もいないこの部屋で、名を、姿を与えてくれた魔王のために未来を願う。
魔王の行く末には、終わりしかない。だが終わりの先に待っているものは違う。
「貴方の行く末に、よき終焉があらんことを」
本体たる神にでも、終わりを齎す魔王にでもなく、シーナはただ己の心に祈りを捧げるのだった。




