後悔する贅沢は、未来に辿り着いた者にしか与えられない
「ティア? いるかー?」
「はいはい、いるわよ」
俺の呼びかけに、ティアが答える。そのまま頭をポンポンと叩かれたのをきっかけに、俺は再びこの状況の考察を再開し…………
「ティア? いるかー?」
「はいはい、いるわよ。っていうか、膝枕してるんだから、いなくなるわけないでしょう?」
「いやまあ、そりゃそうなんだけどさ」
一歩進む度に振り返って、母親の顔を見てくる子供を諭すような呆れ声で笑うティアに、俺もなんとも言えない苦笑を返す。
それは一見すれば穏やかな時間のようだが……その本質は全くの逆。のんびり休まっているからこんなやりとりをしているのではない。こうでもしていなければ、正気が保てないのだ。
「…………もう、どのくらいこうしてるのかしら?」
「さあなぁ、見当もつかん」
何も見えない暗闇で、どれほどの時が流れたのか。ほんの数分かも知れないし、あるいは数日、数ヶ月なんてこともあるかも知れない。何せこの世界では飢えも渇きもないのだ。それはただ生き残るだけならこの上ない利点だが、体から時間感覚を失わせる強烈な諸刃の剣でもある。
「正直、まだ自分が正気なのかちょっと怪しい気がするわ」
「ははは、平気だろ。虚無って言うには大分温い環境だしな」
人の心は、完全な無には耐えられない。どれほど屈強な人物だろうと、鋼のように鍛え上げた精神力があろうとも、ありとあらゆるものが存在する世界に生きる命には、「何も無い」を耐えることなどできないのだ。
だが幸いなことに、ここで封じられているのは光だけだ。無と呼ぶには、色々なものがありすぎる。
例えば床。これがなければ体は支えを失い、落ちているのか浮かんでいるのか、止まっているのか動いているのかすらわからなくなる。
しかしここには床があるので、俺達は上下を認識し、自分の体がしっかりと固定されている……世界の法則の中にあることを実感できる。
例えば、音。何も見えない状況で、自分の声すら認識できなくなったらどうなるだろう? 自分がそこに在るという実感を得られなくなり、緩やかに自己が失われていくことを止める術などない。
だが、ここには音がある。声を出せば普通に自分の耳に届くので、ここに俺が俺として存在することを疑う理由はない。
そして何より、他人。俺の側にはティアがいて、ティアの側には俺がいる。自分以外の誰かがいる……しかもそれが自分にとって心を許せる存在であるというのは、圧倒的な安心感に繋がる。
もしも互いを認識できない状態でこの暗闇に放置されたら……きっと俺は割とあっさり正気を失い、なりふり構わず周囲に「終わりの力」をまき散らしていたことだろう。その場合どうなるかは……考える意味がねーな。どうせろくな事にはなりゃしない。
「それで、何かいい考えは浮かんだ?」
「うんにゃ、サッパリだ。ティアは何か思いついたか?」
「ぜーんぜん」
「だよなぁ」
上辺だけ暢気な会話を交わしつつ、俺は見えないであろう顔を歪める。この状況を打破するための方向性は、とりあえず二つほど考えた。
一つは、当然だがこの「闇」をもたらしている存在をどうにかするというものだ。だがこんな何も見えない状況で、何処にいるのか、あるのかわからない原因を探して回るなんてのはあまりにも非現実的だ。砂漠の砂山から砂金を一粒探せって方が、まだ視界が有効なだけ温情だとすら言えるだろう。
となると、選ぶべきはもう一つ。即ち「この環境でも光る何かを探す」ということになるわけだが、こちらも「彷徨い人の宝物庫」をひっくり返した程度では見つからなかった。とにもかくにも、光を生み出しそうなものが何一つ光らないのである。
「うーん、やっぱり別の世界に探しに行くしかねーか? でもなぁ……」
正直、これをどうにかできる魔導具なり何なりが、他の世界にあるというイメージが湧かない。何せこれを仕掛けてきているのは、おそらく神……それらの世界を創造した相手なのだ。その力に対抗できるようなものがあるなら、一周目の時にその片鱗くらいは感じていてもよさそうなもんなんだが……
「なあティア、どう思う? そろそろ腹を決めて移動するべきだと思うか?」
「……………………」
「……ティア?」
返事が、ない。ただそれだけのことで、俺の胸がドクンと跳ねる。
「お、おいおい、そういうのはやめろよ。冗談でも笑えねーぞ?」
「……………………」
「ティア……!?」
慌てて飛び起き……ようとして、俺はティアの腰に腕を回し、不格好に床を転がりながら体を起こす。今は一瞬たりとも、ティアに触れていない時間を作りたくない。
「ティア? おいティア、どうした? ティア!」
そうしてからティアの体を引き寄せると、グラリと倒れたティアが俺に寄りかかってくる。
見えない。何も見えない。ティアは今どんな状態だ? どんな表情をしている?
一切の遠慮も容赦もなく、ティアの全身を撫で回す。もし意識があれば後で殴られるかも知れねーが、そんなのはどうでもいい。
怪我は、おそらくしていない。少なくとも血が出てるとか、そういうことはなさそうだ。感触も普通、つまり爛れてるとか水疱ができてるとか、わかりやすい異常は発生していないと思われる。
なら何だ? 精神的な何か? それなら――
「ティア! 『心は一つ』を使え! 俺に入ってこい!」
ギュッとティアの手を握り、俺は必死にそう呼びかける。だがティアは答えない。俺の中に語りかけてくることも、俺の中に入ってくることもない。
どうする? どうする? どうする!? ティアに混じった俺の魂が力の元になっているとはいえ、ティアの能力はティアだけのものだ。俺が無理矢理発動させることはできない。
考えろ、俺とティアの違いは何だ? 何が影響してティアが意識を失っている!? 男と女? 人間とエルフ? 魔力や体力の差? だが俺は自分の体に何の異常も感じてない。ならそういうまともな違いが原因とは考えづらい。
なら何だ? 魔王と一般人? いや、ティアの魂には俺の魂が混じってるから完全に別ってわけじゃねーし、それが原因ならやっぱり俺にも影響があるはずなのだ。
何だ? 何だ? 何だ!? 俺にだけあり、ティアにないもの。神がもたらしたであろうこの状況で、ティアだけが……いや、逆? 俺が、俺だけが影響を受けていない? 何故俺だけが――――っ!?
「神の、欠片……っ!」
気づいた瞬間、俺は自分の右手を胸に押し当て、その奥にあるナニカをギュッと握るように動かした。すると全身に激痛が走り、意識が真っ白になりそうになる。
「待ってろティア、今……俺が…………ガァァァァァァァァ!!!」
己の魂に爪を立て、「一つ上」となった俺の中から「神の欠片」の部分を引き剥がすため、渾身を込める。無論そんなことをすればただでは済まないが、そんな未来の話は、ちゃんと未来に辿り着いてから考えればいい。ここで手をこまねいていては、未来そのものが失われてしまうのだから。
「今度は……ちゃんと、助ける…………っ!」
ルカとの戦いの時、ティアを殺すしかなかったのは、俺が弱かったせいだ。余裕でルカを圧倒できる力があったならば、あんな回りくどい手段を使う必要なんてなかった。
だから、今度は、今度こそは。決意と覚悟が体を動かし、あと少しで取り返しのつかない傷と引き換えに、神の欠片を引き剥がせそうになったところで……
ぽわっ
「うっ……!?」
俺の胸から飛び出した小さな白い球が、暗闇の世界に久しぶりの光をもたらした。




