考えたってわからないことでも、考える事しかできないことはある
「おいおい、何だよこれ? 何も見えねーぞ!?」
俺の周囲に広がっているのは、ただひたすらに闇、闇、闇。真っ暗なのに自分の姿だけは見えるという最近流行の謎闇ではなく、手のひらを鼻に触れるほど近づけても見えないガチの闇だ。
「本当、真っ暗ね。でも声がするってことは、エドは近くにいるのよね?」
「ティア? ああ、俺はここに……っ!? 待て、絶対に動くな!」
「えっ!? う、うん」
近くで聞こえた暢気な声に、俺は怒鳴る勢いでそう告げる。それにティアが答えたのを確認すると、まずは右足を絶対に動かさないように細心の注意を払いつつ、可能な限り手を伸ばして周囲の状況を探っていく。そうして体を半回転させた辺りで、不意に俺の手に柔らかい感触が生まれた。
「きゃっ!? ちょっとエド、どこ触って――」
「ティアか!? ティアだな! ならそのまま俺の手を掴め!」
「わかった! わかったから指を動かさないで! ……これでいい?」
俺の手から柔らかい感触が離れ、すぐにそれとは別の柔らかい何かがキュッと掴んでくる。
「よし、なら次は……『心は一つ』を頼む」
「むぅ……」
『これでいいの?』
「はぁぁ……ああ、大丈夫だ。よかった」
そこまですんで、やっと俺はホッと胸を撫で下ろした。するとすぐに能力を解除したティアが、普通に話しかけてくる。
「どうしたのエド? 随分焦ってるっていうか、必死な感じだったけど」
「あのなぁ、ここ完全に真っ暗なんだぞ? 声が聞こえて自由に動けるなら致命的に離れることはねーだろうけど、このタイミングで手を掴んでおかなかったらもうお互いが何処にいるのかがわからなくなっちまうし、万が一偽物とすり替わったりしたって判別できないだろうが」
「あー、なるほど。だから『心は一つ』を使えって言ったのね」
「そういうこった」
今の状況は、明らかに異常事態だ。ならさっき倒した首ルカとは違う刺客というか、神の使徒が何かを仕掛けてきたという可能性は十分にある。
ならば、用心するに越したことはない。俺がルカを倒せたのは後輩の方のルカから事前に情報を得て入念な準備をしていたからであって、決して実力で圧倒したわけではないのだ。
「でも、それなら明かりをつけちゃえばいいんじゃない?」
「そうだな。つけばいいんだが……ティア、やってみてくれるか?」
「いいわよ」
俺の頼みに、ティアがムグムグと詠唱して精霊魔法を発動させる。が、闇は相変わらず闇であり、そこに光は生まれない。
「うーん? ごめん、何か無理みたい。多分魔法自体が発動してないと思う」
「そっか。ならこっちもやってみるから、ティアは両手で俺の肩につかまってくれ」
「はーい。これでいい?」
「十分」
ちょこんと肩に手を置かれ、ティアの体が密着しているのを体感しながら、俺は「彷徨い人の宝物庫」を開いてランタンを取り出す。だが魔導具のランタンは起動すらせず、ならばと普通のランタンに火をつけようと火打ち石を使ってみたが、カチカチと音がするだけで火花が飛び散る様子が見えない。
「どういうこと? 見えないだけ? それとも火花そのものが出てない?」
「多分、見えないだけだと思う。何か燃やしてみりゃもっとはっきりわかるだろうけど……」
「何も見えない状況で火を燃やすのは、ちょっと怖いわよね」
「だな」
おそらく苦笑しているであろうティアの顔を想像し、俺もまた同じように口元を歪める。燃えて明るくなるなら迷わねーが、おそらく見えない、だが火は燃えているという状況は怖すぎる。何せ気づかない間に火が燃え移っていても気づけねーわけだからな。
「となると、明かりっていうか、光? そのものが存在できないようになってるとか、そういう感じか?」
「えぇ? そんなことあり得るの?」
「あるんだろ。実際そうなってるわけだし」
光だの闇だのなんて概念は、物が上から下に落ちるとか、夜の次に朝が来るみたいな世界を構成する基本概念だ。それを否定することができる奴がいるとすれば、それこそ神のような存在だろう。
なので普通なら「あり得ない」と言うのが正解なんだろうが……生憎と俺にはその神がちょっかいをかけてくる心当たりがありまくる。なのでそれがどれだけ信じがたいことであろうとも、「あり得ない」などと切り捨てることはできないのだ。
「あ! でもそういうことなら、エドの力でどうにかなるんじゃない?」
「いや、それは……」
無邪気なティアの言葉に、俺は眉間に皺を寄せて考え込む。仮にこの現象を引き起こしているのが神本人であった場合は、純粋な実力差から今の俺ではどうしようもない。
また、「闇」そのものを終わらせるというのも無理だ。概念を終わらせるなんて世界を終わらせるより難しいし、万が一成功したとしても、その時は何も見えない真っ黒な世界が、何も見えない真っ白な世界に変わるだけだ。事態が悪化するだけなので、その手段は想定すらしない。
唯一可能性があるとすれば、これがルカのような神の使徒、あるいはそれに準ずるような力を持つ魔導具なんかが発生源の場合だが、対象が何処のどんな存在なのかがわからなきゃ、流石に手の出しようが……うん?
「原因の特定できればいける、か?。なら……現れろ、『失せ物狂いの羅針盤』」
わからないなら、調べればいい。俺は手の上に「失せ物狂いの羅針盤」を出現させ……出現…………
「……駄目だ、見えねーや」
手の上に出ているはずの「失せ物狂いの羅針盤」は、暗闇で見えなかった。そしてその性質上、見えなければ使い物にならない。
「エド…………」
「そんな声出すなよ! なら『旅の足跡』と連動させれば……チッ、そっちも駄目か」
能力が発動した感じはあったが、俺の目の前には「旅の足跡」で出現するはずの地図が表示されなかった。原理はわからねーが、これも「見えない」ようにされているのだろう。
「あー、くそっ! これどうすりゃいいかな?」
「見えないのは不安だけど、見えないだけだからどうしようもないわよね」
極めて高度な嫌がらせではあるが、明確な攻撃とは違う。現象であるが故に防御も回避もできねーし、原因がわからねーから攻めることも逃げることもできない。
「見えないからわからないけど、ここがいつもの場所なんだったら、何処かに次の世界への扉もあるんじゃない? 『勇者顛末録』を読めないのは残念だけど、ここじゃない世界に行けば、そっちは普通……かも?」
「うーん。確実にそうだってわかってりゃそれもありなんだが……」
実のところ、この「白い世界」より安全な世界は何処にも存在しない。俺達以外に誰もいないから敵に襲われることもないし、腹も減らなきゃ眠くもならない、つまり食料が不足したり不眠で衰弱したりもしないからだ。
だが、他の異世界に行ってしまえばそうじゃない。もしそこもここと同じように真っ暗だったら、真っ暗な世界を手探りで移動して何処かにいる勇者と合流し、食料を確保したり見えない敵から身を守ったりしながら半年過ごす必要があるわけで……
「……いや、駄目だな。リスクが高すぎる。ひとまずはここで様子を見つつ、何かいい方法がないか考えようぜ。どうせ時間はいくらでもあるんだし」
「そうね。エドがそういうなら、少しゆっくりしましょうか」
そう言うと、ティアが俺の体を押して寝かせ、柔らかい何かの上に寝かせた。おそらくは膝枕されているのだろう。
「ティア? 何で膝枕?」
「何となくよ。こっちの方が落ち着く気がするの」
「そうなのか? ま、ティアがいいならいいけど」
まるで小さな子供にそうするように頭を撫でられるが、それでティアが落ち着くのであれば俺に否やはない。後ろ頭に感じる温もりだけが確かな世界で、俺はしばし思考の海に意識を沈めていった。




