たとえ全てを消されても、消えないものはここにある
「それじゃ、体に気をつけるんだよ。健康でさえあれば、大抵のことは何とでもなるからね」
「ははは、ありがとう母さん。それじゃ……」
「行ってきます、おばさま」
ルカの衝撃の告白から、三日後。笑顔で手を振る母さんに背を向け、俺とティアは家を後にする。たったの半年……仕事で町にいることも多かったから、実質的にはそれより更に短い期間住んだだけの場所だというのに、俺の胸を去来するのは痛いほどの喪失感。
そしてそんな俺の隣に、ティアは黙って寄り添ってくれている。俺がルカから聞いた話は全て伝えてあるが、それをティアがどう受け止めたかは、他人である俺には知る由もない。
互いに何も語らず、そのまままっすぐに村を出る。馬車に乗るという気分でもないので人気の無い道をトボトボと歩いていると、自分の中に渦巻く想いが、不意に言葉となってこぼれ落ちた。
「……俺の事、冷酷な奴だと思うか?」
「ううん。悲しいし寂しいけれど、旅に別れはつきものだもの。それに……」
そこで一旦言葉を切ると、ティアの手がそっと俺の頬に伸びてくる。
「一番悲しい涙を流している人を、どうしてそれ以上責められるの? 私は世界で二番目に、エドの決断を尊重するわ」
そう言って、ティアが微笑む。その翡翠の瞳も濡れて見えるのは、果たして俺の視界が歪んでいるからだろうか。
自分の下した決断を、俺は後悔していない。たとえ全てが自作自演の茶番だと言われても、背を押してくれた母さんに胸を張れる自分でありたい。
だが、何も感じないわけではないのだ。瞳から零れる心を、ティアの指先が優しく拭ってくれる。
「泣くくらいなら留まればいいのに……なんて言わないわ。泣いてでも進むのが男の子だものね。フフッ、偉い偉い」
「何だよティア、今日は随分と年上ぶるじゃねーか」
「当たり前でしょ? 私はエドよりお姉ちゃんなんだから」
他愛のない会話を重ねれば、やがて涙も止まる。そうして町に辿り着き、タルホ達とはもっと軽い感じで別れを済ませると、もう一度町を出た俺は、決意を込めて俺自身をこの世界から「追放」した。
『条件達成を確認。帰還まで残り一〇分です』
それは俺達がこの世界に残れる猶予。だが同時に、この世界が存在できる猶予。たった一〇分後には、この世界はその住人ごと消えてなくなってしまう。
噛み締めるように、周囲の景色を見る。町はもう大分遠く、俺の生まれた村はここからじゃとても見えない。
でも、覚えている。単なるト書きの記録ではなく、その全てが生きた記憶として俺の中に刻まれている。ありありと浮かぶようになった母さんの笑顔を思い出しながら、俺はティアの手を強く握りしめ、この世界を後にしていった。
『世界転送、完了』
「……ふぅ」
息を吐いて降り立ったのは、いつもの「白い世界」。ただしいつもとは違い、俺が振り返った背後からは「〇〇〇」の扉が消えている。
「扉が……本当になくなっちゃったのね」
「だな。まあルカの奴から聞いてたけど」
「ルカ、かぁ……」
俺の呟きに、ティアが眉間に皺を寄せて首を傾げる。あの日、ルカが俺の目の前から消えて以降、俺以外の全員からルカの記憶が綺麗さっぱりなくなっていた。忘れるとかじゃなく、最初から存在しなかったような感じだ。
なので説明するのに少々苦労したのだが……まあ、今となってはどうでもいいことだな。
「うぅ、ごめんねエド。私全然覚えてないわ」
「いいって。あそこは俺の理想から生まれた世界とはいえ、創ったのはルカだったみてーだからな。そんな場所で人間が『神の使徒』と勝負したって、勝ち目がなくて当然さ」
ルカの権能は、俺の意識や記憶にすら影響を及ぼしていたのだ。であればティアの記憶を消すくらいは造作もなかっただろうし、ましてや被造物である母さんやタルホ達は言わずもがな。
むしろ俺が抵抗に成功して記憶を維持していることの方が異常なのかも知れん。実際、もし何もかも忘れていれば、もっと楽な気持ちでごく普通に「追放」されていただろうしな。
「でも、そうすると…………あぁ」
テーブルの方に視線を向け、小さく声を出す。そこには予想通り、何も存在していなかった。
「あれ? いつもの本がないわよ?」
「ないな。既定の世界じゃないから駄目だったのか、それとも勇者の歴史が捏造だったから駄目なのか、条件はわかんねーけど」
あの本の内容には、作者の意向で恣意的な表現が目立ったりすることはあっても、嘘が書かれることはなかった。だが今回、勇者であった俺の人間としての歴史は、基本全てが捏造である。
そして未来に関しても、俺がこっちに戻ってきてしまっているんだから書かれようがない。唯一あそこで過ごした半年だけは本物だが、その間に俺がやったことは魔王と一緒に平凡な暮らしを楽しんでただけだからな。それを勇者の顛末禄と呼ぶには、あまりにも無理がありすぎる。
「そっか。あれって勇者の内心とかが直接書かれてたりするから、エドが普段どんなことを考えてるのか、ちょっと興味があったんだけど……」
「おいおい、勘弁してくれよ。俺の心の中なんて覗いたら……後悔するぜ?」
「何で? えっちな事ばっかり考えてるから?」
「ちっげーよ! んなこと全然……ん?」
恐ろしい妄想を語るティアに抗議の声をあげていると、不意に背後からカツンという小さな音が聞こえてきた。何かと思って振り返るも、そこには特に何も……いや、何かある?
「あ、エド! 何か落ちてるわよ?」
「本当だ……何だこりゃ?」
音のした場所……消えた「〇〇〇」の扉のあった場所に、小さな青い玉が落ちていた。親指の爪の先ほどの大きさのそれを指でつまみ上げると、ティアが顔を寄せてしげしげと見つめてくる。
「うわー、凄く綺麗ね! 水晶? それとももっと別の宝石とかかしら?」
「さあな。でも、さっきまではなかったはずだし……うーん?」
深い海のような青が内部で波打っている不思議な玉は、見つめていると何か大きなものに包まれているような安らぎを覚える。悪いものの感じはしないが、わかるのはその程度だけだ。
「私にも貸して!」
「ほいよ」
ティアにせがまれ、俺は謎の玉を手渡した。するとティアも興味深そうに玉の中を覗き込んだり、天に掲げて光に透かしてみたりする。この世界に太陽はないので、果たして本当に透けるのかは不明だが……ふむ?
「どうだ? 何かわかるか?」
「んーん、さっぱり。ただ凄く綺麗だから、欲しいなーとは思うけど」
「そうか? なら…………」
ティアにやるよ、と言いかけて、俺は自分の中に妙な引っかかりを感じた。原因不明の直感に俺が動きを止めると、それを気にせずティアが俺の手の中に謎の玉を押しつけてきた。
「はい、ありがとう。よかったらまた見せてね?」
「お、おぅ。いつでも言ってくれ」
ほのかな温もりの宿るそれを、俺はそのまま腰の鞄に突っ込んだ。何となくだが、これは「彷徨い人の宝物庫」にしまいたくない。ま、邪魔になる大きさでもないし、問題ないだろう。
「……ふぅ。んじゃ、そろそろ大事な確認の方もしておきますかね」
読むべき本もなかったので、これ以上ここですることはない。ならばと俺は立ち並ぶ扉の前を横切って進み、一〇個の扉を越えた向こうに新たな扉がちゃんと存在していることを確認した。
「おお、よかった。これで次の扉が出てなかったら、どうしようかと思ってたぜ」
「それでエド、次はどんな世界なの?」
「ちょっと待ってな。えーっと……」
俺は新たに現れた「〇一一」の扉に手を突き、ヌオーからもらった加護で世界の情報を引き出していく。
「ほうほう、ここか……割と最後の方に行った世界だな」
「へー。じゃあひょっとして、キャナルの世界みたいに文明が発達してるってこと?」
「いや、別に文明と行った順番は関係ねーよ。それ言い出したらティアの世界が一番文明が遅れてるってことになるんだぞ?」
「あ、そうか。別に私の世界って、文化や技術が未発達だったわけじゃないものね」
「そういうこった。何でまあ、次の世界はちょうど同じくらいの世界だよ。いや、大半の世界はそうなんだけどさ」
一〇〇の異世界がどういう基準で選ばれているのかは知らねーが、言葉も貨幣も共通なくらいなので、文明レベルも概ね変わらない。キャナルの世界が突出して発展していたのは、きっとジョンが手を入れたからなんだろう。
「さて、それじゃ次も気合いを入れていきますか」
「おー!」
意思と力と名を持つ存在となったルカが、あれで完全に干渉してこなくなるとはこれっぽっちも思えない。が、警戒するあまりに怯えて足を止めてしまえば、それこそ世界を出てきた意味がない。
ティアと一緒に全ての異世界を巡り終えた果てに、自分がどんな答えを見つけられるのか……そこに一歩近づくために、俺はまた新たな世界への扉を開くのだった。




