たとえその身が離れても、心はずっと共に在る
結局、その日の晩は一睡も出来なかった。気づけば開けたままだった窓から朝日が差し込んできており、寝ぼけた頭をそのままに朝食を済ませると、俺はそのまま部屋に戻ってきて再びベッドに寝転がった。家の修繕は終わっているし、特に急ぎの仕事もない。その日の気分で休めるというのは、雑傭兵のいいところだ。
「はぁ…………」
ため息をつきながら、天井を見上げる。状況は昨日から何も変わっていない。変わったのはあくまでも、俺の意識とか認識とか、そういうのだ。
「どうしたもんかなぁ…………」
改めて、昨日のティアの言葉を思い出す。俺の旅の目的……その終着点は、確かに「家に帰る」ことだった。
無論、それは神によって創られた感情であり、俺が異世界を巡る旅を途中で投げ出さないようにするための、いわば餌のようなものだ。
だが、絶対に食いつけない、絵に描いただけの餌が、今俺の目の前に間違いなく存在している。ならそれを捨ててまで、俺がするべき事って何だ? この世界を追放されて、俺は何を求める?
「……………………」
その答えが、どうしても出ない。ティアと楽しく旅をする? それは別にこの世界でだってできるだろ。そもそも人の……エルフの一生であってすら、世界の全てを歩き回るなんてできるはずもない。
魔王の力を回収する? できるならしようとは思うが、そのためだけに異世界を回るつもりはない。別に魔王として復活したいとかってわけじゃねーし、そもそも回収せずに見逃した力の欠片が既に幾つもあるのだから、今更だ。
なら他には……何がある? 何もないなら……ここが終わりでもいいんじゃないか?
「むぅ…………」
それは間違いなく、一つの結論。だがその結論に、他ならぬ俺自身がどうにも納得しきれない。だが何が不満であるのかを、自分の中で言葉にすることもできない。全てがモヤモヤフワフワしており……だからこそ俺は昨日からずっと唸っているのだ。
「俺は、何をどうしたいんだ……?」
コンコン
「ん?」
と、そこで部屋の扉がノックされた。俺はそちらに意識を向けることすらなく、寝転がったまま応える。
「ティアか? 適当に入っていいぞ」
「何だい、随分とだらしない格好だねぇ」
「えっ、母さん!?」
驚いて顔をあげれば、そこには呆れた顔でこちらを見る母さんの姿がある。慌てて体を起こす俺に、母さんはそのまま部屋に入ってきて俺の正面に立った。
「何だよ母さん、いきなり……何か用?」
「用ってわけじゃないけどね。どうもアンタが何かに悩んでるみたいだったから、ちょいと様子を見に来たのさ」
「悩んでるって……何でそう思ったんだ?」
「何でって、自分の息子がそんなしょぼくれた顔をしてて、わからない親がいるわけないだろう?」
「しょぼくれ……えぇ、そんな顔してるか?」
「してるよ。ま、アンタもいずれ親になればわかるさ」
「そんなもんかねぇ」
正直、自分が人の親になるというのは想像がつかない。というか、そもそも親になれるものなのかどうかもわんねーしなぁ。
「で? 何をそんなに悩んでるんだい?」
「あー、それは……………………」
母さんに問われ、俺は返答に困る。当たり前だが、本当の事をそのまま言うわけにはいかない。となると……
「……旅に出ようか、悩んでるんだ」
「旅? いつもの仕事とは違うのかい?」
「違う。出たら多分……二度と戻ってこないと思う」
「っ…………」
目の前で、母さんが息を呑むのがわかった。俺によく似た目が、まっすぐに俺の顔を見つめてくる。そのまましばし無言が続き……しかし母さんが小さく息を吐いてからその口を開く。
「……そうかい。やっぱりアンタは、父さんの子供なんだねぇ」
「母さん?」
「アンタの父さん、アランもそうだったよ。まあ、アランは普通に帰ってくるつもりだったと思うけど……遠くに仕事に出て、それっきり帰ってこなかった」
「あっ……」
寂しげに言う母さんに、今度は俺が言葉を詰まらせる。父さんが遠征に出て帰ってこなかったことは、俺にとっては「記録」でしかないが……母さんにとっては、忘れがたい「記憶」なのだ。
「ごめん、母さん。俺、そんなつもりじゃ……」
「はは、いいんだよ。でも、そうかい。旅ねぇ……二度と戻ってこないってのは、何でだい?」
「あー、うん。海を越えようかと思ってるんだ。だから戻ってきたくないわけじゃなくて、戻ってこられないって言う方が正しいかな? 手紙とかも、その距離だと無理だと思うし」
「あー、確かにそれはそうだねぇ。にしても、海を越えるとは大きく出たもんだ! ちょっと前のアンタが同じ事を言ったら鼻で笑ってやるところだけど……」
そう言って、母さんが俺の肩に手を置く。赤い情熱と夜の闇が合わさったようなその瞳は、何処までも優しく輝いている。
「いいさ、行っといで。母さんは大丈夫だから」
「いや、迷ってるって言ったじゃん! 何で行く方向で決定なんだよ!?」
「そりゃアンタが行きたそうな顔をしてるからだよ。っていうか、そもそもそんな遠くに旅をすることを現実的な選択肢として考えてる時点で、行きたいって言ってるようなもんだよ?」
「そう……なのかな?」
「そうなんだよ。本気で旅をするつもりがなかったら、迷いすらしないんだ。歳を取ったあとで『若い頃は旅に出ようかと思ってた』なんて未練たらしく口にするくらいでね」
「あー…………」
ニヤリと笑って言う母さんに、俺もまた苦笑して同意する。確かにそういう「諦めたことを自慢する」大人というのはありがちだ。
「だから、アンタは旅に出たいんだ。で、アタシの方は心配いらないよ。アンタのおかげでこの家も随分と立派になったし、そもそもアンタが出てってからは、ずっと一人で暮らしてたんだからね。
アンタはただ、前を向いて歩いていけばいい。ティアちゃんも一緒に行くんだろ?」
「ああ、そうだ」
「なら母さんも、アンタ達のことは心配しないよ。海の向こうで息子が大活躍してる様を、毎日楽しく想像させてもらうさ」
「母さん……」
肩を掴んでいた手が下りて、母さんがギュッと抱きしめてくる。それに釣られるように俺も母さんの背に手を回せば、その体は想像していたよりもずっと小さく細く……でもとても温かい。
「いいかいエド。どれだけ遠くに離れたとしても、アンタにはここに帰る家があるんだ。それさえ忘れなかったら、後は好きに生きればいい。
なに、大丈夫さ。アンタは母さんと父さんの、自慢の息子だからね。何処に行ったってきっと上手くやれるよ。ティアちゃんと仲良く協力しあえば、どんな困難だって乗り越えられる。だから……」
母さんの声が、僅かに震える。俺の肩に、熱い雫がこぼれ落ちる。
「父さんが見ていた世界を、母さんが見られなかった世界を、思う存分見ておいで。たとえどれだけ離れても、母さんはアンタのことを、ずっとずっと応援してるから」
「母さん……っ!」
知らず、俺の目からも涙が零れた。熱い奔流は止めどなく、視界が揺らいで鼻が鳴る。
俺は魔王だ。俺の人としての体は作り物の紛い物だ。目の前の女性とは何の繋がりもなく、何なら半年前に初めて会った相手でしかない。
だが、それでも……今俺の胸を震わせるのは、決して神が創った設定なんかじゃないはずだ。今初めて、俺は胸を張って言おう。俺は間違いなくこの人の息子であり、誰が何と言おうとも、この人は俺の母だ。その心の在り方は、たとえ神にだって否定はさせない。
俺は母さんの体を離し、その顔をまっすぐに見つめる。もはや俺の胸に迷いはなく、宿る炎は歪みのない刀身のように、まっすぐな決意となった。
「決めたよ母さん。俺は旅に――っ!?」
その想いを口にしようとした瞬間、不意に世界全てが夕焼けに飲まれたように赤くなって、その動きを止める。呆気にとられた俺の耳に届いたのは……
「あーあー! 何でこんなことになっちゃったんですかねー」
聞き覚えのある、後輩の声だった。




