忘れても目を反らしても、事実が消えるわけではない
楽しい時間というのは、あっという間に過ぎるという。無論それは間違っていないが、決してそれだけではないと俺は思う。何故なら楽しいことも苦しい事も、何もかもをない交ぜにした日常という時間そのものが、振り返れば「あっという間」であるからだ。
「ふぅ…………こんなもんかな」
この世界に来て、半年と少し。赤く染まった空を背景に綺麗になった家の外壁を見て、俺は一人満足げに息を吐く。最初は見てくれこそまあまあだったものの、内面はかなり痛んでいたこの家も、今ではすっかり新築同然……とまでは言わずとも、向こう数十年は大丈夫なくらいになった。
ちなみに、今日までにこの家に使った金額は、当初の予算であった金貨三〇枚を優に超えている。素人が直接取引でちょこちょこ素材を買うのはどうしても割高になってしまうのと、腕の未熟さを素材の良さで誤魔化したからだ。
ただまあ、おかげでこの家は相当に燃えづらく、腐食にも強い感じになっている。いやー、トレント……動く木の魔獣……の素材にこんな使い道があるとはな。普通だと残留魔力だのの問題が色々あるらしいが、その辺を全部纏めて「終わらせて」やったら、残るのは頑丈な素材だけなのだ。フフフ、魔王の力の有効活用だぜ……いや、今の俺は勇者だっけか?
「はー、随分と立派になったもんだねぇ」
「ホント、すっごく綺麗になったわよね」
と、そこで家の中から出てきた母さんが、俺の仕事ぶりを眺めて感心したように唸る。その隣にはティアも並んでおり、二人一緒に家を眺めている。
「ティアに母さん? どうしたんだ二人とも?」
「そろそろエドの仕事が終わりそうかなって気がしたから、おばさまと一緒に見にきたのよ。で、どうなの? これで完成?」
「そうだな。これが俺の限界だ」
これ以上となると、壁を壊しての大規模な改築になってしまう。あるいは部屋を付け足す増築なんかだが、流石にそこまでいくと俺の技術では無理だ。
「いやいや、大したもんだよ。最初はどうなることかと思ったけど、まさかここまでやってくれるとはねぇ……ありがとうエド、助かったよ」
「ははは、いいって。やってて俺も楽しかったし」
「ならいいけどね。ほら、ならもう家に入りな。頑張った息子に、今日はとびきり美味いものでも食べさせてやろうかねぇ」
「お、やった! 何作ったの?」
「アンタの好きなシチューだよ。しかも……」
「今回は私も同じものを作ったの! どっちがどっちの料理か、エドにわかるかしら?」
「え、それは普通に別の料理を作った方がよかったんじゃねーか?」
「それじゃ面白くないじゃない! ということでエド、大好きなシチューが二倍よ、二倍! どう、嬉しい?」
「お、おぅ。まあ、うん」
普通に別メニューを食べたかった気もするが、翡翠の瞳をキラキラさせて言うティアに、そんなことは言えるはずもない。
というか、家に入って食べたシチューは普通に美味かった。ミルクとトマトの二種類のシチューの味はどちらも甲乙付けがたい出来映えで、結局俺はどっちがどっちの料理だかを当てることができなかったのだが、だというのに何故かティアは上機嫌で、母さんはニヤニヤしていた……むぅ、謎だ。
とまあ、そんなことがありつつも、腹の膨れた俺が自分の部屋のベッドに寝転がっていると、不意に扉がノックされた。起き上がって出てみれば、そこにはティアの姿がある。
「ティア? どうしたんだ?」
「少し話があるんだけど……いい?」
「ああ、いいぜ」
そのまま部屋に招き入れ、俺とティアは並んでベッドに座る。
「で、何だよ話って。さっきしなかったってことは、母さんには聞かれたくない話か?」
「そう、ね。聞かれたくないっていうか、聞かれたら駄目っていうか……」
「?」
微妙な言い回しに首を傾げる俺に対し、ティアが足をブラブラさせながら、天井を見上げて話を続ける。
「ねえエド、私達がこの世界に来て、もう半年くらい経つわよね? 毎日が凄く楽しくて、あっという間だったわ」
「そうだな。時の流れってのは早いよなぁ」
「そうよね。エルフである私には、めまぐるしいくらいだった……まあ最近はそんなこと意識しなくなっちゃったけど。私もエドも、普通よりずっと長生きしちゃってるから」
「あー、それはそうだな」
一周目と合わせれば、俺の主観時間では一五〇年くらい経っていると思うし、しかもその間は歳を取ることもなく、若い体のままでだ。なので一つの世界で過ごす五年一〇年はそれなりに長く感じたとしても、トータルとしての一〇年はそう長いとは思わない。これは普通の人間の感覚ではあり得ないことだろう。
「だからね、えっと……別に急ぐ必要は全然ないって思うけど……」
「何だよ? はっきり言ってくれって」
何とも煮え切らないティアに、俺は軽く笑いながら言う。するとティアはこちらに顔を向け、まっすぐに俺の目を見て問うてくる。
「あのね……この世界を、いつ出て行くの?」
「…………え?」
その発言の意味が、一瞬理解できなかった。出て行く? だって、ここは――
「ほら、ちょうど半年は過ぎたし、家の修繕も終わったんでしょ? ならここが一区切りかなって思ったから。エドの意思を聞いておきたかったの」
「…………そう、か」
だが、問われて意識してしまえば、その通りだ。
仲間達と馬鹿をやるのが楽しかった。母さんと過ごすのが幸せだった。ここはきっと、俺のためだけに用意された世界。でも俺は、ここにいていい存在じゃない。
「そうだな、確かにそろそろ……見切りをつけるべきか」
俺をこの世界に放り込んだ神の意図は、未だにわからない。が、半年経って何も仕掛けてこないというのなら、流石にここから何かが起こるということはないだろう。その場合俺がここで「追放」されたら無意味になるわけだしな。
逆に、俺がここに残り続けることで何かが起こる可能性は……どうなんだ? それこそ俺には知りようがない。だがそうであるなら、俺がここに残らざるを得ないような仕掛けがあるはずだ。だが今のところそういうものはない……………………ああ、ない。あってはいけない。
「……わかった。なら少し時間をくれ。『追放』前に、身辺整理を――」
「違うわ、そうじゃないの」
知らず顔をしかめていた俺に、しかしティアがそっと語りかけてくる。
「あのねエド、よく聞いて。もしもエドがそう望むなら……私はこの世界で一生過ごしてもいいわよ?」
「は? 何言ってんだ?」
「だって、ここはエドの生まれた世界なんでしょ? お友達がいてお母さんがいて……エドがずっと帰りたがっていた故郷じゃない。ならここが、こここそがエドの旅の終着点ってことじゃないの?」
「あ…………う…………」
ティアの問いに、俺は返す言葉を失う。少なくとも魔王の記憶を取り戻すまでの俺が目指していたのは、確かに「家に帰ること」だ。そしてその願いは、今この瞬間も達成され続けている。
「で、でも! ここは全部、作り物の世界なんだぞ?」
「確かにそうなんだろうけど……でも、それを言うなら今まで巡った全部の世界も、同じ神様が創った世界なんじゃない? ならそれとここは、何が違うの?」
「何がって…………?」
わからない、わからない。全ての始まりが平等に神だというのなら、そこに違いなど……俺にはわからない。
「魔王のエドのことは、私にはわからないわ。でも人間としてのエドは、やっぱりここで生まれたんだと思う。それに何より、たとえこの世界が半年前に生まれたばかりの世界だったとしても……」
固まる俺の体を、ティアがそっと抱きしめてくる。ドクドクと脈打つ俺の胸にティアの鼓動が寄り添い、優しい温もりが互いの境界を溶かしていく。
「この半年、おばさまは間違いなく、エドのお母さんだったわ」
「かあ、さん……」
半年。一五〇年のなかの、たった半年。取るに足らない些細な時間だが……そこには単なる設定ではなく、俺と共に同じ世界を生きる母さんの存在があった。
「その半年を、五〇年にしてもいいの。だから聞かせて、エドの望みを」
ティアの体が、俺から離れる。薄れる匂いと温もりに思わず手を伸ばしそうになったが、それを辛うじて自制した。
「ゆっくりでいいわ。考えておいてね。それじゃ……おやすみ」
パタンと静かに扉を閉めて、ティアが部屋から出て行く。そうして部屋に残された俺は、胸のざわつきをそのままにベッドに倒れ込む。
「俺は……………………」
答えの出ない問いかけは、板を張り替え真新しくなった天井に、虚しく吸い込まれて消えていった。




