狭いベッドに男女が二人。何も起きない……こともある
俺一人でも窮屈な、三段ベッドの一番下。便所を除けばこの海賊船で唯一と言っていいそんなプライベートスペースにて、俺の体にはピッタリとティアが密着している。
「あの、ティアさん? これは流石に近くないですかね?」
「仕方ないでしょ、狭いんだから! 他に話す場所っていうのも無いし」
「まあ、うん。そうだけどさ……」
今日入ったばかりの新人に、個室なんてものが割り当てられるはずもない。この部屋だって六人部屋であり、向かい側の壁にも三段ベッドがもう一つ据え付けられているくらいだ。
それに、ここ以外の何処かと言われても確かにすぐには思いつかない。一応滅多に人が来ない場所なども知っているし、ティアの精霊魔法で遮音したりもできなくもないが、この船を追い出されるわけにはいかないという事情がある以上、そういう不審極まりない行動はできるだけ避けたい。
「ただ、声がな……」
「あ、それなら大丈夫よ。いい方法があるから」
そんな俺の言葉に、ティアはニンマリと笑って何故か俺の手を握ってくる。一体何を――
『どう? 聞こえる?』
「うおっ!?」
「ちょっ、エド! 声が大きい!」
「お、おぅ。悪い……」
突然頭の中に響いた声に、俺は思わず驚きの声をあげてしまった。いやだって、自分の中に突然他人の声が聞こえたらビビるじゃん? てかこれは……?
『ひょっとして追放スキルか?』
『追放スキルって言うの? これがこの世界に来る前に貰った能力なんだけど』
『あー、それは俺が勝手にそう呼んでるだけで……でも、そうか。なるほどこりゃ便利だ』
『ぶー。何かあんまり驚いてない』
無言のティアが頬を膨らませ不満そうな顔を見せるが、俺は内心舌を巻いている。指の動きで意思の疎通を図るという技術はあるが、それは当然敵からも見える。完全な無言で完璧な意思疎通ができるというのは想像を遙かに超えて高い価値があるのだ。
『使用条件は? 何か消費したりするか?』
『えっとね、声が届く条件は、体の一部が触れていること。ただし服越しじゃ駄目だから、ちゃんと肌と肌が触れてないと駄目みたいね。
消耗は特に感じないし、制限時間みたいなのも無さそう。あ、ちなみに追放スキル? の名前は「二人だけの秘密」よ』
『そうか。こいつはまた狙い澄ましたかのような能力だな』
『でしょ? ということで、観念してキリキリ説明しなさい!』
見えざる神の手に苦笑する俺を余所に、ティアが大きく目を見開いてそう訴えかけてくる。節約のためか灯りの一つも無い室内はほぼ真っ暗なのだが、だからこそ僅かな光を宿すティアの瞳は好奇心でキラキラと輝いて見える。
『別に隠すつもりはねーから、説明はするさ。つっても、どっからすればいいかな?』
『海賊よ海賊! そんなの、今いるのが海賊船ってことからに決まってるでしょ!』
『そうか? でも、説明するって言ってもそれ以上何も言いようがないぞ? こいつらがなんで海賊やってるのかなんて俺も知らねーし。説明することがあるとすれば、あのレベッカって女船長がおそらく勇者だってことくらいか?』
『勇者!? え、だってさっき、「勇者なんてお伽噺の存在だ」って言ってたのに?』
『うーん。その辺がよくわかんねーんだよな』
おそらくレベッカ自身に勇者であるという自覚はないし、その行動も特別勇者っぽいということはない。ならば何故彼女を勇者だと思ったかと言えば、それはこの船を追い出された瞬間、元の世界への帰還条件が達成されたからだ。
『一周目の時、俺もレベッカが勇者だなんて思わなかったんだよ。だから船で下働きをしながら色んな町に寄港する度に勇者の情報を集めてたんだけど、何処に行っても勇者の存在はお伽噺のなかだけってことで、有力な情報は何も得られなかったんだ。
で、流石にこれ以上は埒が明かないと思って八ヶ月くらいしたところで船を下りたんだが、そうしたら条件達成であの「白い世界」に帰還できたんだよ。帰れたってことは勇者パーティから追放されたってことで、船を下りた瞬間にその条件を満たしたんなら……』
『……そうね。その状況から考えると、船長さんが勇者よね』
『一応この船に乗ってる他の船員が勇者って可能性も残っちゃいるけど、それは流石になぁ』
八ヶ月も狭い船で過ごせば、各人の人となりくらいは見えてくる。だがこの船に乗っている船員は良くも悪くもごく普通のごろつきであり、勇者っぽい人物は一人としていなかった。
あるいは今なら「七光りの眼鏡」で成長先を見れば、伸びしろの突出した存在が勇者だと見抜くともできるだろうが……
『あ、しまったな。さっき見ときゃ良かった』
『ん? 見るって、何を?』
『おぅっ!? いや、対象人物の才能っていうか、これからどんな感じに成長できるかってのを見極める追放スキルがあって……って、おいティア、この能力って伝えようと意識してない考えまで相手に伝わるのか?』
『へ? ごめん、そういう細かいことはまだわからないの』
『ああ、そりゃそうか。こっちこそ悪い』
手に入れたばかり、しかも今初めて使った追放スキルの効果を、最初から完全に把握なんてしてるはずもない。思わず頭を下げてしまった俺の額に、同じように頭を下げてしまったティアの額がゴツンと当たる。
『ぐぉぉ!? 痛ぇ!?』
『イタッ!? 何よもう……フフッ』
『何がおかしいんだよ?』
目に薄い涙を浮かべつつも小さく笑うティアに、俺は額を摩りながら問う。
『だって、同じタイミングで頭を下げようとしたなんて、笑っちゃうじゃない……あ、そうだ。すっかり聞くのを忘れてたけど、あの時船長さんが言わずにおいたことって何なの? あれから私、ずーっと気になってるんだけど!』
『うっ……本当に聞きたいのか? いい話じゃないぞ?』
顔をしかめて言う俺に、ティアがあからさまにたじろぐ。だが数度迷う素振りを見せてから、息がかかるほどに顔を寄せて改めて言ってくる。
『うん。聞きたい。聞きたくないけど、聞かないと気になって眠れない気がするし』
『なら教えてやるけど……ティアの魅力の一端は、その薄い胸やら尻やらにある少女的な……痛い! 痛いから!』
『むーーーーーーーーー!!!』
ドンドンと割と強めに胸を叩かれ、俺は思わずむせそうになる。だが説明すると約束したからには、ちゃんと最後まで伝えきらなければならない。
『あとは、綺麗なもの、無垢なものを壊したいって加虐趣味の場合だな。外見が整ってるのもそうだが、明るい性格のティアが泣き叫んだり絶望したりするのを見たいって歪んだ性癖の持ち主が……いないとも言い切れん』
この世界で出会う相手ではないが、そういう心底からの外道には幾人か思い当たる。まだ先の世界だとはいえ、そこに行く時は俺もそれなりの覚悟が必要になることだろう。
『うぐっ……確かに、そういう人もごく少数だけどいるわよね……しかも何故かみんなお金持ちだったり権力者だったりするし……』
『まあ、自分の趣味のために人間を飼える余裕があるのは、そういう輩だけだろうからなぁ』
『……ねえ、エド。もし――』
『ぶち殺す』
俺の胸で不安げな声を出す……実際には声というか思考だが……ティアに、俺は最後まで言わせることなく断言する。
『どんな状況であろうとも、ティアを犠牲にする選択肢は俺には無い』
それを選ぶつもりがあるならそもそも俺はここにいないし、命の価値が平等だなんて糞みたいな妄言を吐く輩を俺は絶対に信じない。
『でも、元の世界に帰るためにそれが必要だったら?』
『んなこと知るか! そういうのをぶっ飛ばすために俺は二周目……夢の世界を乗り越えてここに来たんだしな。でもまあ、そうだな。もしどうやって帰れないってなったら、その時は……』
『その時は?』
『その世界で一生面白おかしく暮らすさ。付き合ってくれるんだろ?』
『……当たり前でしょ。私の方がお姉ちゃんなんだから』
ピンと俺のおでこを人差し指で弾いて、ティアが微笑む。そのままもぞもぞと俺の胸に顔を埋めると、ティアの声が聞こえなくなり……
『いやいや寝るなよ! 自分のベッドに戻れって!』
『えー? なんかもう面倒臭いし、たまには一緒に寝てもいいじゃない。ほら、アレクシス達と旅をしていた時は同じ天幕で寝たりしてたんだし』
『そりゃそうだけど、そういうことじゃねーだろ! ほら、さっさと出ろ出ろ!』
『むーっ!』
頬を膨らませたティアが不満げにベッドから立ち去ると、俺はようやく開放感に手足を伸ばす。それでも狭いのは狭いが、これなら普通に眠れそうだ。
「ったく、本当に賑やかなお嬢さんだぜ」
ティアの温もりが残ったベッドで、俺は静かに目を閉じる。上のベッドから妙に荒い鼻息が聞こえてくるのがそこはかとなく不快だったが、それでもすぐに俺の意識は闇へと落ちていき……この世界で迎える初めての夜は、安らかな眠りによって終わりを告げた。




