互いに互いを思い合えばこそ、すれ違うこともある
「ぐはっ!? いきなり何するんだよ!?」
特に鍛えているでもない、一般人のパンチ。避けることも防ぐことも楽勝だったが、俺は何故かそれを真正面から受け止めて抗議の声をあげる。すると母さんはガッシリと俺の肩を掴んで、猛烈な勢いで叫んできた。
「アンタ、こんな大金どうしたんだい!?」
「どうって、普通に稼いだだけだけど……」
「嘘言うんじゃないよ! アンタみたいな若い子が、真っ当な手段でこんな大金稼げるわけないじゃないかい!」
「えっ!? あっ…………」
その言葉に、俺は自分の中にあった大きなズレを改めて自覚した。
俺にとって、金貨三〇枚というのは大した額じゃない。今までの世界で稼いだ分を抜きにして新たにこの世界で稼げと言われても、大きな町に出て鍛冶仕事を請け負うとか、逆に辺境まで行って強めの魔獣を狩るとかすれば、半年で金貨を数百枚から数千枚くらいは稼げる自信がある。
が、数日前までの俺であればどうだろうか? 銀貨一枚の宿に泊まることすら落ち着かなかった二〇歳の若造が、どうやってこれだけの金を稼げる? 平均的な庶民の年収の一〇倍以上の金額は、雑傭兵歴五年の俺がまともにコツコツ頑張って稼げるような額では絶対にあり得ない。
「ねえエド、アンタ誰かに騙されてるのかい? それとも何か危ないことでもやってるのかい!? お金が必要だっていうなら、母さんができる限りは頑張るから……だから父さんに顔向けできないようなことだけはしないでおくれ。母さんの一生のお願いだよ」
「母さん…………」
泣きそうな顔をしている母さんの姿に、俺の胸を貫くのは、ただひたすらに己の浅はかさを呪う痛みだけだ。然りとて出してしまった金を引っ込めるわけにもいかず、俺は必死に頭を巡らせ、それっぽい理屈を考える。
だが焦りは思考を空転させ、いい案なんて浮かぶはずもなく……あー、なら、そうか!
「誤解だって母さん。これは本当に変な金じゃないんだ。えっと……ほら、ティアってエルフだろ? 偶々ティアが珍しい薬草を森の中で見つけて、しかもそれが丁度何処かのお偉いさんが探してるやつだったってことで、もの凄く高く売れたんだ」
「……本当なのかい?」
俺から顔を逸らした母さんが、ティアの方に問いかけた。するとティアはすぐに俺の意図を察してくれて、大きく何度もウンウンと頷いてみせてくれる。
「え、ええ! 本当です。ほら、私エルフなんで、そういうのを見つけるのは得意なんですよ!」
「でも、それならこのお金はティアさんのものじゃないのかい?」
「ふぁっ!? ち、違うんだって! そりゃあもうアホみたいな値段で売れて、だからティアと分けても俺の取り分がこれだけあったんだよ! なあティア!」
「そ、そうね。私も一杯お金は持ってます! ほら!」
言って、ティアは自分の鞄からジャラジャラと大量の金貨を取りだしてみせた。どうやらティアも相当に動揺しているようだが……それを見た母さんは、とりあえず落ち着きを取り戻して俺の肩から手を離した。
「それは……っ!? そう、アンタ達は、そんなに…………悪かったねエド、いきなり叩いちゃって。痛かったかい?」
「いやいや、この程度何でもねーよ。鍛えてっからな」
「そうかい? でも……」
あえておどけたように言う俺に、母さんが小さく笑う。だがそのまま視線をテーブルに戻すと、すぐに悲しげな表情になった。勢いよく席を立った反動で、料理を載せた皿がひっくり返ってしまっていたのだ。
「料理が……ごめんなさいね、ティアちゃん。せっかく一緒に作ってくれたのにねぇ」
「いえ、そんな……気にしないでください。また作ればいいんですから」
「ありがとう。ティアちゃんは優しいねぇ…………それじゃここは母さんが片付けとくから、二人は先に休んでておくれ」
「えっ、俺手伝うぜ?」
「私も!」
「いいんだよ。今回は母さんが悪いんだから、やらせておくれ」
俺達の申し出を、母さんがゆっくりと首を横に振って拒否する。その小さな背中にそれ以上どうすることもできなくて、俺は逃げるように自分の部屋へと戻ってしまった。
「……エド?」
「何だよ」
そうしてベッドに倒れ込む俺に、その脇に腰掛けたティアがそっと話しかけてくる。
「お母さんのこと、怒ってるの?」
「馬鹿言え。あれの何処に俺が怒る要素があるんだよ?」
もっと幼い……それこそ本当に二〇歳の俺であったなら、「せっかく親孝行しようとしたのに何で怒られるんだ」とふてくされたりすることもあったかも知れない。が、今の俺には母さんの行動が心から俺を心配してのものだと理解できている。
無論、理由も聞かずにいきなり殴られたこととかを責めようと思えば責められるんだろうが、そんなことをするくらいなら俺は笑いながら自分の舌を引っこ抜くことだろう。
「なら、どうしてそんな顔してるの?」
「それは……まあ、あれだよ。自己嫌悪だよ」
俺が家の建て替えを申し出たのは、勿論善意だ。母さんに快適な生活を提供したいと思ったことに偽りはない。が、そこに「俺はこんなに金を稼げるんだ」という優越感が全くなかったかと言われれば、きっと違う。
母さんに凄いと褒められ、感謝されたかった。そんな子供じみた欲求が判断を曇らせ、その結果がこれだというのだから、落ち込むなという方が無理だろう。
「なら、その傷を治さないのも?」
「……………………」
母さんに殴られた頬は、僅かながらも赤く腫れている。「包帯いらずの無免許医」を使えば、この程度の怪我なんて瞬きする間に治せるが、そうする気にはなれなかった。自戒を促すジンジンとした痛みが、今の俺には抱きしめたいほど愛おしい。
「何か、ごめんなティア。せっかく家に来たってのに、こんなのに巻き込んじまってさ」
「それこそ気にしなくていいわよ。来たいって言ったのは私だし……それに、こういうのも家族の形の一つじゃない? 私だって、父さんや母さんとは何度も喧嘩したことあるもの」
「そうなのか? あんまり想像が……つかねーこともねーけども」
「むっ、何よ? それは私がいっつも両親に怒られるようなことをしてるように見えるってこと!?」
「そうじゃねーけど、でもティアって割とはっきりものを言うだろ? なら怒られたりすることもあるかなーって」
「うぐっ、まあ、それは確かに否定できないけど……」
ニヤリと笑って言う俺に、今度はティアが言葉を詰まらせる。どうやら図星であるらしい。形勢不利を察すると、すぐにその身をこっちに乗り出して話題を変えてくる。
「もーっ、それはいいでしょ! それよりほら、せっかくエドの家に帰ってきたんだから、子供の頃のエドの話とか、そういうのを聞かせてよ!」
「子供の頃って……ティアだって知ってるだろ?」
「勿論。でもエドは覚えてるんでしょ?」
「そりゃまあ……」
二〇歳の人間として神に創られた俺に、子供の頃なんてない。だがどんな子供時代を過ごしたかを、俺はちゃんと覚えている。特にこの家に入ってからは、ぼんやりと曖昧だった記録が鮮明な記憶として浮かんでくるほどだ。
「ならいいじゃない。こんな機会でもなかったら、多分聞くこともないと思うし」
「確かに、俺も話すことはねーだろうけど……ハァ、なら話すのはいいけど、細かいところに突っ込むのはやめてくれよ? 俺だってわかんねーんだから」
「はいはい。で、エドはどんな子供だったの?」
「そうだなぁ……」
そうして語り始めるのは、頭の中のト書きを読み上げる作業。だがそれをティアに語ると、まるで事実であったかのように文字に声が乗り情景に色がつく。そうして俺はあくびをしたティアが部屋を出て行くまで話を続け、漸く一人になったところで改めて部屋を眺め回した。
「俺の部屋、か……」
頭では初めて来た場所だとわかっているのに、もう俺の心は「ここは昔から住んでいる俺の部屋だ」と馴染んでしまっている。それに大きな安らぎとほんのわずかな恐怖を感じながら、俺は部屋の明かりを消して目を閉じる。
(明日になったら、もう一度母さんに謝るか。で、今度こそちゃんとした形で、母さんの喜ぶような親孝行を…………)
そんな事を考えながら、俺の意識は温かい泥のような闇に沈んでいった。




