初めて出会ったその人を、俺は確かに知っている
俺が実家に帰宅するという、言葉的には何の面白みも意外性もない活動方針が決まってから、二日後。俺達は遂に……いや、遂にって言うほどの苦労も何もありゃしないんだが、とにかく俺の生まれた村の中を歩いていた。
なお、ここまで来たのは乗合馬車である。どうも俺には一、二ヶ月に一度家に帰っているという設定があったようで、それに関しては特に問題なかったのだが……
「うーん…………」
「どうしたのエド? さっきからずっと変な顔してるけど」
「いや……この違和感というかちぐはぐな感じを、どう表現していいのかわかんなくてさ」
この世界に来てから、こんなことばかり言っている気がする。が、それを自覚していたとしてもこの気持ちがなくなる訳ではない。
「流石にそれだと、私としても何て言えばいいのかわからないんだけど……もうちょっと具体的にならない?」
「そうだな。例えば村の入り口があったろ? あそこに立った瞬間は、スゲー懐かしい感じになったんだよ。俺がこの村を旅立った時に、あそこで母さんとか知り合いから見送られた思い出があるから」
「へー、いいじゃない!」
「でもな、入り口からちょっと入っただけで、もう初めて来た場所って感じなんだよ。多分だけど、ここで過ごした雑多な日々ってのは設定だけで内容が端折られてるんだと思う」
「えぇ……?」
俺の中にある記憶というか記録は、あくまでも要所要所だけだ。勿論普通の奴だって日々の全てを覚えているわけがないだろうが、俺の場合は「思い出に残りそうな場面」以外のほぼ全てがそうだと言えば、違いは明確だろう。
それは例えば、本の中に『俺はこの村で生まれ育った』という一文しか書かれていないような感じだろうか? 確かにその事実はあるんだが、細かいことは何もわからない。ただぼんやりとそういう時間が存在したのだと説明されているだけで、具体的にそこで生きた時間や経験は、俺の中に刻まれていないのだ。
「……ここだけの話なんだが、実は今、俺は自分が何処を歩いているのかわからん。ってか自分の家の場所もわかんねーから、フラフラ歩いてるだけだ」
「えぇぇぇぇ!?!?!?」
「ちょっ、そんな大声出すなよ! ビックリするだろ」
「ビックリしたのはこっちよ! でも、そんな……じゃあ、どうするの? 誰かに聞く?」
「んなことできるわけねーだろ」
自分が生まれ育った村、しかも設定的には最長でも二ヶ月前に帰ってきてる村で、おそらく自分と顔見知りであろう相手を捕まえて俺の家を聞く? 何もかもが違和感の塊過ぎて、この世界の勇者に任命された俺でもそこまでの勇気は出せない。
「まあ流石に家の外観は覚えてるから、歩いてりゃそのうち見つかるだろ。そんなにでかい村でもねーしな」
「まあ、そうね」
この村の規模は、一つ前の世界でずっと滞在していたジンク達の村と大差ない。どんなにゆっくり歩いても半日あれば全部見て回れるので、自宅がわからず迷子になるという意味不明な間抜けを晒すことはおそらくないだろう。
というわけで、俺はティアを引き連れ適当に村内をブラブラと歩く。途中何人かとすれ違い、「おおエド、お帰り」みたいな感じで軽い挨拶をされたので、俺の方も同じ感じで返しつつ進んでいくと……
「……………………」
これといって特徴のない、赤い三角屋根の家。その存在に目を奪われ、俺は足を止める。
「エド? ひょっとしてここ?」
「ああ…………」
問うティアに、辛うじてそう声を絞り出す。だがその思考はもうここにはない。まるで明かりに誘われる虫のように扉に手を伸ばし、ゆっくりと開いていく。
「んー? 誰だい? ノックもしないで……って、おや?」
ギィィっと音を立てて扉が開けば、家の中が露わになる。すぐ側には四人がけの木製のテーブルが置かれており、その上には陶器でできた花瓶と、その中には近くで摘んだであろう素朴な花。
テーブルの奥には壁で仕切られた向こうに調理場があり、そこから顔を覗かせたのは、四〇歳くらいの……違う、確か四二歳の女性だ。身長は俺より一〇センチほど低く、暗い赤茶色の髪は緩く波打ちながら肩の辺りで切りそろえられ、しかめた顔にある目鼻立ちは、まるで鏡を見ているかのよう。
「エド? なんだい、今回は随分早く帰ってきたんだね?」
「かあ、さん…………?」
「ほら、とぼけた顔してないで、さっさと入りな! って、アンタ、その一緒にいる娘は……はっ!? あらやだ、私ったら! ほほほほほ……」
洗い物でもしていたのか、濡れた手をエプロンで拭った母さんが俺のところに駆け寄ってくると、そのまま首に腕を回してぐいっと引き寄せられる。
「ちょっとエド、アンタどういうつもりだい!? そういうことなら事前に話しておいてくれれば、母さんだってちゃんとした格好で出迎えたじゃないか!」
「へっ!? いや、どういうって、俺とティアはそういうのじゃ……」
「あの、おばさま?」
「あらやだ! 私ったらお構いもせず! 今すぐお茶を出しますから、ちょっとそこに座って待っててくださいね! ほらエド、ちゃんと嫌われないようにお相手するんだよ!」
それだけ言うと、母さんは慌てて調理場の方へ行こうとする。昨日泊まったような宿であればお湯くらい魔導具で簡単に沸かせるが、この家にそんな便利なものはないので、お湯を沸かすだけでもそれなりに手間がかかるのだ。
「あ、それなら私が手伝いましょうか? 魔法を使えば、お湯くらいすぐにできますから」
「え、いいのかい?」
「勿論! いいわよねエド?」
「ああ、いいぜ。ありがとなティア。ってか、それなら俺も何か手伝おうか?」
「馬鹿だねアンタは! 調理場に三人も入ったら、狭くて動けやしないよ! いいからアンタはそこで座ってな! それじゃ、えーっと……」
「ああ、すみません。私はルナリーティアです。ティアって呼んでください」
「ティアちゃんね! 私はあの馬鹿の母親で、イルナよ。イルナさんでもおばちゃんでも、好きに呼んでね。何ならお義母さんでもいいわよ?」
「あはは……」
はしゃぐ母さんに、ティアが微妙な苦笑いを浮かべている。そのまま二人が調理場に消えていき、邪魔者扱いされた俺は一人ポツンと取り残されたまま、家の中をゆっくりと見回していく。
「あー…………」
年季の入った室内には、至る所に小さな傷がある。そしてその傷のいくつかは、俺にも覚えがある。
「あれは確か……父さんに買ってもらった木剣を振り回してつけた傷だっけか? あっちは……」
記録でしかなかったものが、俺の中で記憶に置き換わっていく。どうせ全ては作り物の紛い物だと、斜に構えてしまい込んでいた感情が、濁流のように押し寄せて俺の価値観を塗り替えていく。
「ここは……俺の家、なのか……?」
「何馬鹿なこと言ってんだい」
天井を見上げて呟いた俺に、温かみのある懐かしい声が呆れた口調で響いてくる。顔を下げれば、そこには俺によく似た女性が……俺の母さんがお茶の準備をしていた。
「ほら、カップを並べるくらいは手伝いな!」
「へいへい……って、これ割と高いやつじゃねーか?」
「当たり前だろう! いつかこんな日が来るだろうって、母さんだって色々準備してるんだよ。ほーら、ティアちゃんはそっちに座って!」
「はい。ありがとうございますおばさま」
母さんに促され、ティアが俺の隣に座る。すると母さんが持ってきたティーポットから全員のカップにお茶を注ぐと、俺の正面に座ってから、並んで座る俺達を交互に見て……
「で、アンタたち、いつ結婚するんだい?」
「ブハッ!?」
満面の笑みでそう問うてくる母さんに、俺は盛大にお茶を吹き出した。




