それは既視感ですらなく、俺にとっての日常だった
「……………………」
頬を撫でる風の匂いと、降り注ぐ太陽の温もり。新たな世界に降り立ったことを体で実感しながら、俺はゆっくりと閉じていた目を開いていく。こんなにも緊張したのは、それこそ一周目の一番最初、ティアやアレクシス達の世界に降り立った時以来だ。
「どう、エド?」
「そう、だな…………」
ティアの手の感触を確かめながら、俺は周囲を見回す。時間は……太陽の位置からすると、おそらく昼前。辺りは見通しのいい草原で、前にも後ろにも道が延びている。ただし後方には森があるのに対し、前方には遠くに町が見える。
「見覚えが……ある、気がする」
その光景を、確かに俺は覚えている。だがそれはあくまでも情報としてであり、経験ではない。ないはずなんだが……
「町……うん、とりあえず町に行くか」
「それでいいの?」
「そりゃいいさ。全然知らない場所に行っても仕方ねーし」
ここで町と反対方向に歩き出せば、ここは「俺の生まれた世界」ではなく、単に「初めて来る異世界」になるだろう。が、そんなのは逃げでしかない。どんな意図があって今更この世界に連れてこられたのかはわからねーが、わからねーままに終わらせてくれるほどお優しい神様なら、こんな状況にはなってねーだろうしな。
ということで、俺はティアと連れだって町の方へと近づいていく。しっかりと壁で囲まれた割と大きな町には当然ながら門番がおり、ひょろっとしたその男が、やってきた俺に親しげに声をかけてきた。
「あれ、エド? お前どうしたんだ?」
「え?」
「えって何だよ。仕事しに行ったんじゃないのか? それとも何か忘れ物か?」
「それは……」
「まあ別にいいけど。ほら、中に入るなら傭兵証を出せ」
「あー……………………」
言われて、俺は口元を引きつらせる。俺の「彷徨い人の宝物庫」には様々なものが入っているが、この世界での俺の身分を示す傭兵証は……ん?
「これでいいか?」
俺は腰の鞄のなかから、俺の名の刻まれた傭兵証を取りだして見せる。入れたつもりはなかったのだが、いつの間にか鞄の底に眠っていたらしい。そのいきさつは気になるが、気にしたところでわかるもんじゃないんだろう、多分。
「おう、いいぞ。で、そっちのお嬢さんは?」
「あっ!? えっと、私は……」
「いや、彼女は持ってない。入町税を普通に払う」
戸惑うティアに先立って、俺は門番の男に銀貨を押しつける。少々割高ではあるが、身分証を持たずに町を移動するような人物は基本訳ありなので、このくらいは仕方がない。それでも銀貨は痛い……いや、それは当時の感覚か。今は金貨だって幾らでもあるからな。
「確かに。じゃ、ロスタルの町にようこそ!」
「ははは、言ってろ」
「ありがとう」
わざと仰々しく言う門番の男に笑って答えながら、俺達は無事に町中へと入ることができた。いい具合に活気のある町中を歩き、中央通りを奥へと進めば、その先には金貨の山に二本の剣が交差するように差し込まれた、何とも俗っぽい看板の取り付けられた建物がある。
「ここがこの世界の冒険者ギルド?」
「そうだ。正確には雑傭兵の集会所だな。新規登録とか更新、あるいは依頼を出す場合なんかは、こことは別の場所がまたあるんだ。こっちは登録した雑傭兵が依頼を受けたり、打ち合わせをしたりする場所だ」
「へー、二カ所に別れてるってことね」
「だな。さて……」
気軽な感じでそう答え、俺は扉に手をかけて……しかしそこで動きが止まる。不安、恐怖、それとも別の何か……言葉に出来ない複雑な感情が頭をよぎるなか、それでも俺は意を決して扉を開く。するとそこには……
「ん? エド?」
「あれ、本当だ。おーいエド! こっちこっち!」
集会所の一角に置かれたテーブル。そこに座っていた三人の男達が、俺の方を見て呼びかけてくる。初めて聞いたその声が、何故だかとても懐かしい。
「タルホ、ブラン、それに……ジグさん……」
「何だよエド、変な顔しやがって」
俺に名を呼ばれ、俺と同い年のタルホが顔をしかめる。頭に巻いた赤いバンダナと顎から頬にかけて伸びた無精髭、鉄鋲のついた黒い皮のジャケットに深緑色のズボンと、何処からどう見ても立派な小悪党だが、こう見えて善良な……まあまあ善良な一般人である。
「どうしたのエド? 仕事が終わったにしちゃ早いけど、忘れ物?」
門番の男と同じような事を問いかけてきたのは、俺より一つ年下のブランだ。身長は俺より低いのに体重は俺の五割増しという丸々太った体なのに、何故か俺と大して変わらない速度で動ける敏捷系デブである。
「いや、そんなことはどうでもいいだろ。それよりエド、お前の後ろにいるエルフのお嬢さんは誰だ? 初めて見る顔だが……?」
最後にやや身を乗り出してそんなことを聞いて来たのは、俺より二つ年上の先輩で、ジグだ。一九〇センチほどの高身長を赤い金属鎧に包み込む、腕のいい剣士。当時の俺がどうやっても勝てなくて、いつか負かしてやろうと思っていた目標であり、面倒見のいい兄貴分。
「……………………」
「エド?」
三人が、生きて喋って動いている。それはまるで本の挿絵に描かれていた人物が現実の世界に飛び出して来たかのようで、俺のなかで記録でしかなかったものが、洪水のような勢いで記憶へと置き換わっていくのがわかる。
「どうしたのエド? ひょっとして調子悪い?」
「ブラン……いや、何でもねーよ。悪いな心配かけて」
「いやいや、何でもないって奴の顔じゃねーだろ。マジでどうしたんだ?」
「うるせーなタルホ。何でもねーって言ってるだろ。気にするくらいならこの前貸した金返せよ」
「ブランと俺の扱いが違いすぎねーか!? あと金はもうちょっと待ってくれ。そのうち返すから……多分」
「待て待て、だからそんなことはどうでもいいんだよ! それよりエド、そちらの美人さんは誰だって聞いてんだよ! あ、失礼。自分はエドの大先輩で、強くて格好いいと近所でも評判の雑傭兵のジグと申します」
「はぁ、どうも。私はルナリーティアです」
「ルナリーティア! 何と可憐なお名前か……それで、エドとはどんなご関係で?」
「エドとの関係って言うと……仲間?」
「まあ、そうじゃねーか?」
小首を傾げて問うてくるティアに、俺は普通にそう返す。するとジグが実に大げさに反応してティアに確認の言葉を投げてくる。
「おお、仲間! つまり特別な関係ではないと?」
「特別がどういう意味を指すかによると思いますけど……どうエド? 私達って、特別な関係だと思う?」
さっきと違い、ニヤニヤとした笑みを浮かべてティアが聞いてくる。ほほぅ、その悪戯、受けて立とう。
「そうだな。どっちかって言えば特別なんじゃねーか?」
「へー、そうなんだ。フフフ」
照れる俺をからかいたかったんだろうが、平然と答えてやると、何故かティアが嬉しそうに笑う。しかもそのまま俺の手を取って、指を搦めた繋ぎ方……いわゆる恋人繋ぎというのをしてきた。
「ということで、私とエドは特別みたいです」
「はぐぁー!? 何で!? どうして!? どうしてエドみたいなしょぼくれ野郎にこんな可愛い仲間が出来て、俺はこんなむさ苦しい野郎としかつるめねーんだ!?」
「そうだぜ、何でエドばっかり!」
「そりゃ二人とも、女の子の胸とかお尻とかばっかり見てるからじゃない? レナも二人から凄い見られてるって、時々僕に愚痴ってるし」
「「何だとーっ!?」」
俺達の中で、ブランは唯一彼女持ちだ。年下の可愛らしいお嬢さんで、俺も何度か会ったことがある。もう何年か稼いだら雑傭兵を引退して、その金で二人で店をやりたいって話をしていたから、俺としても応援していきたい。
「不公平だ! 理不尽だ! おいエド、今すぐ俺と勝負しろ! で、俺が勝ったらそちらのお嬢さんと食事に行かせろ!」
「いやいやジグさん、そんな無茶な」
当時とは逆の意味で、俺とジグでは勝負にならない。だが苦笑いを浮かべる俺に、ジグは更に食ってかかってくる。
「無茶でも何でもいいんだよ! 俺は女にモテたくて雑傭兵やってんだ!」
「そうだぞエド! 代わりにパティちゃんを紹介してやるから!」
「パティって、確かお前が通ってる娼館の女だろ? 何でそれをお前が俺に紹介するんだ?」
「そりゃお前、あれだよ。客が増えればパティちゃんの売り上げがあがって、俺の扱いもよくなるかなって」
「えぇ……? まあ、客が増えるのに貢献したって意味じゃ、多少優遇される可能性は否定できねーけど……でもタルホ、お前はそれでいいのか?」
「フッ、惚れた女のために涙を飲むのも男ってもんさ。ルナリーティアさんもそう思いませんか?」
「えっ、私!? ごめんなさい、全然思わないわ」
「ぐはっ!? おいエド、この子割とはっきり物を言うタイプなのか?」
「そうだな。ティアはそういう感じだな」
「ティアだと!? 愛称で呼び合うとか……っ! 表出ろエド! テメェの爛れきった根性をたたき直してやる!」
「だからやらねーって! ジグさん、アンタ酔っ払ってるのか?」
酔うと暴れる馬鹿が出るのは必定なので、集会所では酒は出ない。なのでこいつらが飲んでるのはお茶のはずなんだが、それでも俺は念のために聞いてしまう。だが素面のはずのタルホとジグが、素面とは思えない様子でガッシリと肩を組んで叫ぶ。
「酒なんかなくたって、男は夢と女に酔えるんだよぉ!」
「そうだ! いい女を独占するなぁ!」
「ハァ……二人ともそういうところを治せば、普通に女の子にもてると思うんだけどなぁ」
そんな二人の姿に、ブランが呆れた声で呟く。その流れはあまりに自然で……こうして百数十年ぶりの仲間との初対面は、喧噪と共に俺の中に溶け込んでいくのだった。




