最初から甘受しなければ、無くしたところで気にならない
「ただいまー! はぁ、今回はいつもと違う感じで大変だったわね」
「そうだなぁ。単に仲間になるってだけで、まさかあそこまで苦労するとはなぁ」
無事に「白い世界」へと帰還を果たし、ティアの感想に俺も軽く苦笑する。知恵と力と経験を積み、大抵のことは何とかなると思っていただけに、最初の一歩で躓くなんてのは完全に予想外だった。
今回は何度も思い知らされたけど、本当に「偶然という必然」はスゲー能力だったんだなぁ。あれだけは俺の力じゃないから再現もできねーし、ちょっとくらいは神に感謝してやっても……いや、違う。そんな訳の分からねー能力がないと達成できない条件を押しつけてくる方が悪いに決まってんだろ。
というか、人をループする世界に閉じ込めてる時点で圧倒的に悪い。糞だ糞。ここに閉じ込められてよかったことなんて、精々ティアに出会えたことくらい……ん? そうすると大幅な加点が?
「? どうしたのエド?」
「……いや、何でもない」
俺の隣で不思議そうにこっちを見るティアの顔を見れば、この出会いには億や兆の加点をしてもしたりない。そもそも俺が魔王時代にどんな感じで生活してたのかが今ひとつ思い出せないというか、あるいは思い出せないくらいぼんやり生きていた可能性すらあるので、そう考えると差し引きは大幅にプラスになりそうで……
「…………まあ、あれだ。流石に感謝するのは違うし、やっぱりぶん殴るくらいにしとくのが丁度いい感じか?」
「ねえ、何の話?」
「いや、本当に何でもない。こっちの話だから」
「ふーん? まあいいけど。じゃ、早速今回も…………」
コテンと首を傾げつつも、すぐに気分を切り替えてテーブルの方に向かおうとしたティアの足が、不意に止まる。
「どうしたティア? 読まねーのか?」
「ねえエド。私今とても凄いことに気づいちゃったんだけど……『勇者顛末録』って、私達がいた世界の勇者のお話なのよね?」
「そうだな。それがどうかしたか?」
「……今のマグナさんって、普通の村人だったわよね? それって、『勇者顛末録』になるの?」
「えっ!?」
言われてみれば、マグナは徹頭徹尾「ただの一般人」であった。ほんの一瞬だけ勇者の力を使ったように見えたが、それ以外は普通の人だ。
「……ま、まあ、あれだよ。読んでみりゃわかるんじゃねーか?」
「そうね。ちょっと怖いけど、読んでみましょ」
いつもとは違うドキドキを胸に、俺はテーブルに置かれた「勇者顛末録」を手に取り、中を読む。するとそこには予想通り、ごく普通の村人の日常が書かれていた。
「おぉぅ、恐ろしいほど普通だな」
「最初の方はともかく、中盤からはこれ、マグナさんのっていうか畑の観察日記みたいな感じよね」
マグナの人生は、これといって「特別」のないものであった。年相応に友達と遊んだり淡い初恋をしてみたりなどは、ぶっちゃけ誰もが通る道である。一三歳の時に母親と死別しているのは軽い悲劇だが、やはりこれも「特別」という程ではない。
唯一夜人形の襲撃から勇者レイホルトに助けられた部分だけは「特別」だが、それも一瞬だけのこと。その前後は父親を手伝いながらひたすらに畑仕事をしている描写のみがあり、「今日は某の種を蒔いた」とか「今年はいい感じに育ってる」とか、そういう記述ばかりである。
「でも、マグナらしいよな」
「ふふっ、そうね」
でも、それは決して悪いものじゃない。平凡で平坦で、だからこその幸せがあることを、俺達はちゃんと知っている。飾り気のない、素朴な日記のような英雄譚を、俺達はそこに刻まれた時間と同じようにゆっくりまったり堪能して……そして最後。
――第〇一〇世界『勇者顛末録』 最終章 無貌無冠の勇者
かくて、勇者マグナはただの一度も勇者たり得ることなく人生を送り、そして死んだ。夢幻に消えた名声は別の者の名を冠し、勇者と言われて思い浮かべられるのはマグナの顔ではない。
だが、それにマグナが何かを思うことはない。彼の勇者の小さな世界を脅かす者はついぞ現れず、何も得なかったが故に失ったことにすら気づかないまま終わりを迎えたマグナの最後は、家族に囲まれた安らかなものであったという。
そこに勇者はいなかった。だが勇者の代わりに、一人の平凡な男がいた。その人生に大きな意味はなく、しかしその人生に価値はある。積み重なる平凡こそが世界を形作るのであり、無限の営みに埋もれた一つであったとしても、本人にとっては唯一無二の輝きを放っている。
キラキラ輝く「その他大勢」として、かつて勇者であった男の魂は静かに次への眠りにつくのであった。
「ふむ、どうやらマグナはやり遂げたみてーだな」
「やり遂げた? 何を?」
「決まってるだろ? 『平凡に生きる』ことをさ」
別れ際、マグナは俺に「平凡な人生を精一杯生きる」と言っていた。そしてこの「勇者顛末録」には、正しく平凡な人生が刻まれている。
「それって、凄いの?」
「そりゃスゲーさ。だって、自分が望んだとおりに生きたってことなんだぜ?」
大きな何かを成し遂げて、名を残すことだけが成功じゃない。悲劇を背負って戦いの中にしか生きられなかった男が、平凡な人として平穏な人生を送れた。それはきっと俺が想像するよりも、ずっとずっと尊いことだと思うのだ。
「俺達の旅にだって、いつか終わりは来るんだ。もしも『最後』を選べるなら……」
「そうね。お腹いっぱい冒険した後なら、二人でのんびり畑を耕して終わるのもいいのかもね」
俺の肩に、ティアがそっと頭を乗せて寄り添ってくる。伝わってくる優しい温もりにしばし心を浸してから、俺は気持ちを切り替えて席を立った。
「つっても、そんなのはまだまだ先の話だ。気持ちを切り替えて、次の世界に……あん?」
扉の並ぶ場所へと向かい、しかしそこで俺は足を止める。正確には、止めざるを得なかった。何故なら――
「あれ? 次の世界への扉がねーぞ?」
今さっき出てきた扉の隣に、次の世界への扉が出現していない。こんなことは初めてのことだ。
「おっかしいな? 数は……あってる?」
並んだ扉を数えてみれば、ちゃんと一一個ある。つまり新しい扉はちゃんと出ているということだ。だがこっちのこっちの端に増えてないってことは……まさか!?
「きゃっ!?」
同じように扉を数えていたティアの前を、俺は「追い風の足」を使って横切る。瞬きほどの一瞬で反対側の端に辿り着いた俺の目の前にあるのは、「〇〇〇」と刻まれた扉。
「う、そだろ……!?」
「ちょっとエド、いきなりどうしたの? って、これ……ああ、今度はこっちに扉が増えたのね」
「……………………」
恐る恐る、その扉のノブに手を伸ばす。だが恐れが強すぎて、震える手を引っ込めてしまう。
「エド?」
「……ティア、よく聞いてくれ。俺の予想が正しければ、この扉の向こうにあるのは、俺が今まで一度も行ったことのない世界なんだ」
「そうなの? なら、これは一〇一番目の世界ってこと?」
「それは……そうとも言えるし、そうじゃねーとも言えるっていうか……」
「?」
それは、ずっと「在る」と言われていた世界。だが「無い」と知ってしまった世界。設定はあっても実在しない、それこそ物語の中だけの世界。
「第〇〇〇世界……ここは、俺が生まれたことになっている世界だ」
「ええっ!?」
「おかしい、よな? 何だこりゃ、罠か? いや、罠の意味がわかんねーし……嫌がらせ? 実は扉が違うだけで、普通に一〇〇の異世界のどれかか? それとも――」
「エド」
躊躇い振るえる俺の手に、そっとティアの手が重なる。そしてそのままノブへと伸ばされ、優しい指先がキュッと一緒に握ってくれる。
「大丈夫よエド。この先に何があっても、私はこの手を絶対に離さないから」
「ティア…………」
「ほら、行きましょ?」
「…………ああ、そうだな」
寄り添う心を勇気に変えて、俺は偽りの生まれ故郷への扉を、勢いよく押し開いていった。




