間章:きっかけ
今回もマーガレット視点です。ご注意ください。
「……はっ!?」
それは見知った天井。ぐっしょりと汗に濡れた背中が気持ち悪くて体を動かすと、もぞもぞと柔らかな布団が体にまとわりついてくる。
(寝てた? 夢? 私は……?)
「けほっ、けほっ。うぅ、喉が痛い…………?」
カラカラに乾いていた喉が引っかかり、思わず咳き込んでしまう。そうして漏れた自分の声が、まるで他人のもののように甲高い。
いや、違う。それは間違いなく私の声だ。ただ問題なのは……
「声が高い……っていうか、え!?」
何ともちぐはぐな体の感覚をそのままに布団から出した手は、まるで幼子のように小さくプニプニだった。確かに私は手荒れなど無縁の生活を送ってはいたけれど、これはそういう次元ではない。
バッと布団を剥ぎ取り、体を起こす。ごろりと転がってベッドから下りると、転びそうになりながら姿見の方に近づき……そこに映し出された姿に驚愕する。
「え、え!? どういうこと!?」
それは幼き日の自分。おそらくは五歳か六歳か、そのくらい。これは夢かとペチペチと顔を叩いても、今以上に目覚めることはない。
「何これ!? どうなってるの!? 私は……私は一体…………?」
一瞬、何もかもが夢だったんじゃないかと思った。ただ怖い夢を見ていただけで、そこから目覚めただけなんじゃないかって。でも、すぐにそうじゃないことに気づく。
「……違う、あれは夢じゃない。もし夢なんだったら、今の私がこんなことを考えられるはずがない」
五歳の頃の自分が、こんな複雑な思考を持っているはずがない。あの記憶が本物かどうかというのとは全く別の話として、自分が年齢に相応しくない知恵と知識を身に付けているというのは、揺るぎのない事実。
なら、何が起きたのか? 思いつく答えはとても陳腐で、でもそうとしか思えない。
「時間が、巻き戻った……?」
一五歳の誕生日の夜、私は確かに死んだ。でも死んだと同時に、私の記憶とか魂とか、そういうものが昔の自分の中に入った。であればそれを成したのは、一体何者であるのか?
「神様……きっと神様が、私を戻してくれたんだ! 魔王の復活を止めるために、私は神様に選ばれた……っ!」
その奇跡に、私は舞い上がった。実際にどうかなんて知りようがないけれど、当時の私にはそうとしか考えられなかった。
「一〇年……そう、一〇年ある。今から私が頑張れば、きっと運命は変えられるんだ! よーし、やってやろうじゃない!」
体が若返ったことで、心も少しだけ子供の頃に戻ったようだ。無邪気に喜び、大人の知恵と未来の知識でみんなを驚かせてやろうと張り切って…………そして私は、失敗した。
「何で、こんなことに…………?」
一夜にして大人になった私の自意識に、周囲からは多くの賞賛が与えられた。五歳児とは思えない英知を持ち、周囲に気を使い賢く上品に振る舞う。それは女神の再来などと言われるほどで、当時の私は随分と調子に乗っていたと思う。
でも、全ての人が私を祝福してくれたわけじゃない。なかでもとりわけ敵視されたのが、当時私に意地悪をしていた、ギルベリア兄様とミトルナ姉様だ。
推測通り私が戻ったのは五歳の誕生日の翌日だったようで、つまりギルベリア兄様でも一二歳。一五歳の夜から戻ってきた私からすれば、年下だ。ならばこそ私は大人の寛容を以て、二人の悪戯を許した。
でも、それは周囲から見ると、「五歳の妹に大人の対応をされる一二歳の少年」となるわけで、当然ギルベリア兄様は面白くない。となれば妹のミトルナ姉様だって同じわけで、二人の悪戯はドンドン過激さを増し、それは非情な暴力や心を削る嫌がらせへと変貌していく。
その上で何より誤算だったのは、私自身のことだ。大人ぶったところで私の体は年下の少女であり、力で訴えられれば泣いて怯えて体を丸めることしかできない。それに心の方だって、所詮は一五歳の少女。それは自分が思うような、揺るぎない強さを持つ本当の大人とはほど遠い存在だった。
結果、私は一二歳にして心を病み、部屋から出ることができなくなった。暗い部屋の中に閉じこもり、一人膝を抱えたまま一五歳の誕生日を迎え……
「…………………………………………」
気づいたときには、私はまた五歳の朝に戻っていた。でも戻ったからといって、私の負った心の傷が癒えるわけじゃない。私はそのまま自室に引きこもり……そんな変化に、当時の城内は騒然となった。
そりゃそうだろう。前日まで元気一杯だった王女が、いきなり心の壊れた病人となってしまったのだ。何かの呪いか毒物か、それとも知らぬ間に不埒な賊が入り込んだのか……国中から治癒術士が集められ、貴族も使用人も関係なく、城にいた全員の調査が行われる。
だが、原因などわかるはずもなく、ならばこそ治療もできない。前の時間で心を壊されたなど、それこそ神にしかわからないわけで。誰もが困り果て、城内が陰鬱な空気に包まれるなか……ある日、私の部屋の扉がノックされた。
「……………………」
「……入るぞ」
「っ!?」
答えない私に、しかし扉は勝手に開け放たれる。そしてそこから現れた人影に、私は思わず息を飲んだ。
ギルベリア兄様と、ミトルナ姉様。ビクッと身をすくませる私に、しかし何故だか兄様達の方が怯えたような顔をした。それからゆっくりとこちらに近づいてくると……
「ごめん!」
「…………え?」
まっすぐに頭を下げるギルベリア兄様に、私は声にならない声を漏らした。そしてそれに気づくことなく、ギルベリア兄様が謝罪の言葉を口にしていく。
「俺の、俺達が意地悪したせいで! ごめん、悪かった! ほら、ミトルナも」
「……ごめんなさい、マーガレット」
私にとって恐怖の象徴であった二人が、私に向かって謝罪している。それを見た私の胸に浮かんだのは、何を今更という呪いではなく、何が起きているのかわからないという疑問だった。
後に知ったことだが、私がこうなった原因を調べるにあたって、当然ギルベリア兄様達のことにも話は及んだ。が、当時の兄様達にされた悪戯など、捕まえた芋虫を見せつけられるとか、お気に入りのハンカチに落書きをされるとか、所詮はその程度だ。流石にそれで私の心がいきなり壊れたりはしないだろうと軽く注意される程度で終わったのだが……兄様達はそうは思わなかった。
自分達が悪戯をしたせいで、私が酷く傷ついていると考えた。その良心の呵責は貴族主義に染められかけている兄様達の価値観を凌駕し、私に謝罪するという道を選ばせたのだ。
「…………あに、さま。ねえさまも」
膝に埋めていた顔をあげて見つめた先にあったのは、泣きそうな子供の顔だった。私の口から自然と言葉が漏れ、目からも涙がこぼれ落ちる。
「わ!? な、泣くなよ! ごめん! もうしないから!」
「…………なかよくするかは別だけど、いじわるはしないであげる」
慌てふためくギルベリア兄様と、ばつが悪そうにそっぽを向くミトルナ姉様。その言葉通り、二人は何かと私を気にかけ、優しくしてくれるようになり……その結果、一二歳になった頃、漸く私は元と同じくらいにまで立ち直ることに成功した。
「最近はよく笑うようになったね、マーガレット」
「アンダルト兄様! いえ、もう陛下とお呼びした方がいいんでしたっけ?」
「ははは、どっちでもいいよ。マーガレットが名前を呼んでくれることに比べたら、敬称なんておまけみたいなものさ」
「兄上、それは流石に……マーガレットもデビュタントを終えたのですから、その辺はしっかりしないと」
「お前が言うのか? ギルベリア。だがまあ、お前もよくマーガレットを支えてくれた。それにミトルナも」
「私は、別に……姉が妹を面倒をみるのは当然だし……」
「ミトルナ姉様……っ!」
「な、何よ!?」
「……いえ、何でも。ちょっと嬉しかっただけです」
「ふ、フンッ!」
照れて顔を逸らすミトルナ姉様の姿に、私は思わず笑みを零す。自分を壊した人達に癒され、私は私を取り戻した。その不思議な関係性に、私はくすぐったいような不思議な気分を覚える。
「何とも、人は変わるものだな。レテヴィアもこの光景を見たかっただろうに……」
「兄様、それだとまるで姉上が亡くなったように聞こえますよ?」
「そうです! 今頃向こうのお城で、レテヴィア様がくしゃみをしておられますよ?」
「はっはっは、それは怖いな。ならそれを防ぐためにも、あとで手紙でも送っておこうかな」
「あ! でしたら陛下、私も書きます! 一緒に送っていただいても構いませんか?」
「勿論だとも。マーガレットの手紙を読めば、レテヴィアも元気な赤ちゃんが産めるようになるさ」
「アンダルト兄様、それは流石に関連性がなさ過ぎます」
「そ、そうかい? ははは……」
それはまるで、あの誕生日の日のような温かな空気。それを目にして、私は思う。
(ああ、そうか。人は……未来は変わるんだ。今を生きる私達の手で、どうにだって変えられるんだ)
そんな当たり前のことに気づいた私は、残った三年をまずは勉強に費やした。これから先のことを考えれば、知識も技術もあればあっただけよくて、どれだけあってもまだ足りないとわかっていたから。
そしてやってくる、一五歳の誕生日の夜。やはりその日も世界が揺れ、床から黒い煙が吹き出してくる。
(負けない。私は……今は何もできないかも知れないけど……)
「フハハハハ! 遂に! 遂に蘇ったぞ! さあ世界よ、今度はこの俺が、お前の庇護する全てを地の底へと押しやってくれる!」
(いつか必ず、お前の復活を阻止してみせる!)
決意と覚悟を胸に、私の意識は再び闇へと沈み……再び目覚めた五歳の朝。
「守ってみせる。国も家族も、何もかも……!」
小さな拳を天に突き上げ、固く固くそう誓った。




