何事も本気でやれば、恥ずかしさくらいは吹き飛ばせる
「ねえエド、本当に大丈夫なの……?」
「何回も言ったろ? 平気だって」
流れで借り受けた、宿舎の一室。治療と検査、経過観察の日々から漸く抜け出すことに成功した俺に、ティアが心配そうな声をかけてくる。
「でも、すっごく疲れてる顔してるわよ?」
「そいつは、あれだよ。気疲れってやつさ。ハハハ……」
一言で言うなら、大変だった。二言で言うなら、超大変だった。何せ俺は何処も悪くないのだ。調べても調べても異常なんて見つかるはずがないわけだが、なまじマーガレット……第三王女に「診てやってくれ」と頼まれた存在だけに、小さな見落としをすることもできないと、そりゃあもう考え得るありとあらゆる手段で必死に調べてくれたのだ。
怪我も病気もしてないが、頭と心がとても痛い。疲れ切った表情で「異常なし……ですね」と告げられた時には、その場で土下座したい気持ちで一杯だったくらいだ。
コンコン
「ん? どうぞ」
と、そんな会話をしていると、不意に部屋の扉がノックされた。俺がそう声をかけると、開いた扉の向こうからは若い女性と若すぎる女の子の二人が姿を現す。
「邪魔するぞ。さ、姫様もどうぞ」
「エド!」
エルザの腕の下をくぐり抜けて、マーガレットが駆け寄ってくる。その顔に浮かんでいるのは本気の心配だ。
「大丈夫? 大丈夫なの!? まさか三日もかかるなんて……」
「ご心配をおかけしました、王女殿下。ですが何の異常もないとの結果をいただきましたので、大丈夫です」
「そうなの? ならいいけど……まあバルター様がそう言ったなら、間違いないわよね」
「バルター様、ですか?」
首を傾げる俺に、マーガレットの横に控えたエルザが口を開く。
「エド殿を診た三人の術士のうち、最もご高齢の方だ。宮廷術士としてお仕えしている凄い方なのだぞ?」
「うえっ!? え、何でそんな偉い人が!?」
「姫様の招いた客人だからな。万が一を考え、陛下がお命じになられたのだ」
「えぇぇぇぇ……それ、金貨一〇枚で足りてます?」
思わず顔をしかめる俺の言葉に、エルザがそっと視線を外す。うわ、これ絶対足りてないやつだ。そのままマーガレットの方に視線を動かすと、その幼い顔がニッコリと笑う。
「まあ、仕方ないわよ。お父様には怒られちゃったけど、始めたからには最後までやりとげるのが王族のケージってやつだもの!」
「姫様、ケージではなく、矜持です」
「細かいことはどうでもいいの! それよりエド、私がこれだけ面倒をみたんだから……わかってるわよね?」
「あ、はい。俺……いや、私の力が及ぶ限り、王女殿下のお役に立ちたいと思っております」
「そうね。私も大切な仲間を助けていただいたご恩を、できるかぎり返したいと思っております」
「フフーン、二人ともいい返事ね! ならこれからしばらくは、二人とも私専属の雑用係よ! 私の言うことは何でも聞いてもらうんだからね!」
「はい、喜んで」
「お手柔らかにお願いしますね、王女殿下」
こうして俺達の契約は結ばれ、俺達は無事に王女付きの使用人みたいな立場に収まることに成功した。城の中庭にあった宿舎から城内の使用人部屋に住処を移され、仕事に精を出すことになる。では具体的にどんな仕事をしているかというと――
「ハイヨー、エドー!」
「ヒヒーン!」
城に滞在し始めてから、一ヶ月と少し。その日俺は、マーガレット王女殿下の馬になっていた。
比喩ではなく、言葉通りの馬である。城の廊下を四つん這いになって歩く俺の背にはマーガレットがまたがっており、すぐ側ではエルザが護衛のように並んで歩いている。
すれ違う人達から向けられる視線が、正直ちょっと痛い……が、今の俺はそんなことを気にしたりしない。何故なら俺は馬であり、馬は人の視線なんて気にしないからだ。
「ほら、エド! あんまり遅いとみんなの邪魔になっちゃうわ! もうちょっと速く走って!」
「ヒヒーン!」
ペチリと尻を叩かれて、俺は移動速度を若干あげる。とは言えこれ以上速く動くとマーガレットが背中から落ちてしまいそうで……むぅ、バランスを取るのが難しい。背中の揺れで尻の位置を調整すれば……こんな感じか?
「……私が言うのも何だが、エド殿はその……楽しそうだな?」
「ヒヒン?」
「……………………いや、何でもない」
異質なものを見るような目でエルザに言われたが、気にしない。馬は人から哀れまれることなど気にしないのだ。
ちなみに、別に自棄になってるとか、開き直っているわけではない。一周目の時よりも大分精神的に余裕のある今、五歳の女の子が「お馬さんごっこ」で遊びたいという願いを叶えるのに、特別な抵抗などない。
まあその場所が城の廊下という点については思うところがないわけでもないが、かといってマーガレットの私室のなかは走り回れるほど広くはないし、外を走ったら小石とかで俺の手足がボロボロになりそうだからなぁ。やっぱり妥協点としてはここが最良だろう。ヒヒン。
「マーガレット、貴方何をしているの?」
そうして城の廊下で風になる俺達に、ふと声をかけてくる人物がいた。見るからに豪華なドレスに身を包んだ一五歳の少女は、一周目の俺がよく知っている相手だ。
「レテヴィアお姉様! はい、平民を馬にして遊んでるんです!」
「馬、ですか?」
この国の第一王女であるレテヴィアが、ニコニコ笑っているであろうマーガレットと、その尻の下にいる俺の顔を交互に見つめて怪訝な表情を浮かべた。が、マーガレットはそれを気にせず楽しげに言葉を続けていく。
「そうです! ギュネヴ大臣が『平民なんて牛馬と同じだ』とお話しておりましたので、その通りにしてみたのです! お姉様も一緒にどうですか?」
「ギュネヴ大臣が……?」
その瞬間、レテヴィアの眉根に深い皺が寄った。逸れた視線は、ここにはいない誰かを見ているようで……しばしの沈黙の後、その重い口が再び開かれる。
「なるほど、前々から思っていましたが、やはりあの男はそういう……いいですかマーガレット、そのような戯言を真に受けてはいけません。それに幾ら五歳とはいえ、殿方の背中に乗るというのは……」
「そうなのですか? でも先日お城にやってきていたダーレス子爵は、使用人の女性を裸にして、お腹の上に乗せていましたよ?」
「なっ!? ど、どういうことですマーガレット!?」
「あっ!? ち、違います! 犬になったエドをお散歩させていたときに、扉の向こうから泣き声が聞こえたのが気になって、こっそりお部屋を覗いたりなんてしてません! 今のは嘘です! だって遊んでるはずなのに、女の人は苦しそうに呻いてましたし……」
「忘れなさい! そして今言ったことは、二度と誰にも言ってはいけません! エルザ、それに貴方も、余計なことは口にしないように。これは第一王女としての命令です」
「ハッ!」
「ヒヒン!」
エルザと一緒に返事をしたら、レテヴィアに凄い形相で睨まれた。だが仕方ないのだ。今の俺は馬だから、「はい」とか「わかりました」なんて人の言葉は喋れないからな。
「……あの、レテヴィアお姉様? 怒ってらっしゃいますか? 凄く怖い顔をされてますけど」
「あー、いえ、別に貴方に怒ったわけではありませんよ、マーガレット。それに……そうですね。確かに貴方の遊びに付き合っているだけの方に怒りを向けるのは理不尽ですね。大丈夫です、私は何も気にしていません。
ただ……そうですね。そういう遊びは控えた方がいいとは思いますが……」
「えー? 楽しいのに……ねえ、エド?」
「ヒヒン!」
「…………ハァ。ならばせめて、あまり人目の無いところで……いえ、それも駄目ですね。エルザ!」
「ハッ!」
「専属護衛である貴方の仕事は、マーガレットを物理的に守ることだけではありません。その心が健やかに成長できるよう、きっちりと見守ること。いいですね?」
「ハッ! 一命に代えましても、姫様のことはお守りさせていただきます!」
「頼みましたよ。ではマーガレット、またね」
「はい、お姉様!」
最後にニッコリと微笑むと、レテヴィアが俺達の横を通り過ぎていく。その背が角を曲がって見えなくなると、マーガレットが改めて俺の尻をペシリと叩いた。
「さあエド! お姉様もいなくなったし、この廊下を突っ走るわよ!」
「姫様!? たった今レテヴィア様に、控えるように言われたではありませんか!?」
「それはそうだけど、楽しいのが優先に決まってるじゃない! ハイヨー、エド! 全速力で駆け抜けるのよ!」
「ヒヒン?」
「あーっ! いいかエド殿、絶対に姫様を振り落としたりしてはならんぞ! それならばまあ……仕方ない」
「ヒヒーン!」
「ひゃぁ!?」
お許しが出たので、俺は風を超え音となって二〇〇メートルほどある廊下を駆け抜ける。ケタケタ笑うマーガレットとは裏腹に、一瞬置き去りにし、すぐに追いついてきたエルザに割とガチ目に怒られるのは、これから二分後のことである。




