どんなに気をつけていても、「ついうっかり」はなくならない
城壁と城の間にある空間……中庭でいいのか? とにかくそこを歩いて辿り着いたのは、横に長い三階建ての簡素な建物だった。すぐ側には踏み固められた広い大地があり、おそらくは練兵場にでもなっているのだろう。
「さ、こっちだ」
その建物の中に、俺達はエルザに引き連れられて入っていく。どうやら一階は食堂やら何やらの生活空間になっているようで、その東側一番奥の部屋の前には、マーガレットの姿があった。
「待ってたわよエド!」
「これは王女殿下。お待たせしてしまい、申し訳ありません」
「いいわよ別に。っていうか、私が待たせたんだしね。それよりほら、入って!」
「では、失礼します」
「流石に今回はここで待ってるわね。行ってらっしゃいエド」
苦笑するティアと他二人に見送られ、俺は室内へと足を踏み入れる。そこに待っていたのは白衣に身を包む、三〇代中盤くらいの若い術士で……
「ふむ、特に異常はないですね」
「あ、そうですか。ありがとうございます」
ごく普通に問診やら検査やらをされた結果、わかりきった結果を告げられ、俺はホッと胸を撫で下ろす。いや、頭に異常がないのはわかっていたが、ふと「今の俺の体は普通の人間と同じなんだろうか?」という疑問が湧き上がり、ちょっと緊張してしまったのだ。
「ただ……」
「な、何か!?」
「……いえ、全身の筋肉が僅かに熱を持っているようだったので。若い兵士や冒険者などの方にはありがちですが、おそらくは鍛えすぎですね。無理をすると却って体を壊してしまいますから、鍛錬はほどほどに。少なくとも明日一日くらいはお休みした方がいいと思いますよ」
「ああ、そういう……ありがとうございます。気をつけます」
ふぅ、ばれなかった……もしくは体の構造そのものは、「一つ上」になってもそう変わらないのか? でも前の世界で変身とかしてるしなぁ。人によっては気づかれる可能性も……今回はうっかり迂闊を晒してしまったが、次からは気をつけよう。
「お大事に」
そんな言葉を受けつつ部屋を出れば、待っているのは六つの瞳。
「どうだったの?」
「王女殿下。はい、特に異常はないとのことです」
「そう、よかったわね! なら……」
満面の笑みを浮かべたマーガレットが、プニプニした小さな手を差し出す。
「治療費は、金貨一〇枚よ!」
「えっ!?」
その言葉に、俺は意識して驚いた声をあげる。金貨一〇枚というのは、この辺の一般市民の三年分の年収に相当する大金だ。当然あの程度の魔獣に苦戦する冒険者がポンと払える金額じゃない。
が、ならばぼったくりかと言われると、そういうわけでもない。あの時エルザが使ってくれた回復薬は相応にいい物だったし、城勤めをしているような治癒術士に診察してもらうのは、かなりの金がかかる。
つまり、高額だが妥当。しかし不意打ちで請求されても払えるものではなく……その結果俺は「金貨一〇枚分の働き」を要求され、この城でマーガレットの下、雑用をこなす日々を送るようになるというのが一周目の流れだったのだが……
「金貨一〇枚ね、はい」
「「えっ!?」」
腰の鞄からあっさりと金貨一〇枚を取り出して支払ったティアに、俺とマーガレットの驚きの声が重なる。奇しくも今度は本気の驚きだ。
「てぃ、ティア!? おま、何を……」
「ほえ? 何って……あっ!?」
焦る俺の声に、一瞬不思議そうに首を傾げたティアの表情が驚きに変わり、次いでしょんぼりと耳を垂れ下がらせる。
この流れは、ちゃんとティアに説明してあった。というか、何ならさっきの馬車の中でも確認していた。だというのに払ってしまったのは……まあ、うん。おそらくは「俺が治療を受けた」という意識があったからだろう。
怪我をした仲間を治療するか否かは、懐事情の厳しい冒険者であれば常につきまとう悩みの種だ。情で腹は膨らまず、だが絆がなければ命を任せるには心許ない。金と命を相互にやりとりする以上、非情さを求められることだってあるのだ。
そしてそれは、治癒する側も同じだ。対価を払わない冒険者を、彼らは時に冷酷に見捨てる。泣いて縋られたからといって無償で助けてしまえば、「あいつの時はタダだっただろ!」と声高に叫ぶ輩にたかられ、あっという間に使い潰されてしまう。
ならばこそ、冒険者は受けた治療を値切らない。金を払うに値する仲間を、あるかも知れない次の時も確実に助けてもらうために。その価値観が心の底まで染みついているからこそ、ティアは反射的に金を払ってしまったのだ。
(ごめんなさい! ごめんなさい! 本当にごめんなさい!)
触れて「二人だけの秘密」を使わずとも、目の前のティアが内心で必死に謝っていることはわかる。俺のために金を払ってくれたティアを責める気になどなれないが……こいつはちょいと困ったぞ?
「八……九……一〇枚。確かに……あるわね。ねえエルザ、一応確認なんだけど、これ本物の金貨よね?」
「はぁ? そうですね、私の見る限りでは、間違いなく本物だと思いますが……姫様、どうかされましたか?」
「い、いえ! どうも!? どうもしてないけど…………えぇぇ……?」
そしてそんな俺の前では、何故かマーガレットがもの凄く困ったような表情で何度も金貨を数えている。が、何百枚とあるならともかく、流石に一〇枚では数え間違えをすることもない。
「では、これでおしまいですね。姫様、私は二人を城の外まで送ってまいります」
「へ!? ちょ、ちょっと待って!」
「何でしょう? この二人に、まだ何かご用事が?」
「そ、れは…………」
問うエルザに、マーガレットが必死に視線を宙に漂わせながら考え込む。何だこの反応。ひょっとして、マーガレットの方にも俺を側に置いておきたかった理由があるのか? だとしたら……いけるか?
「あ、あいたたたたたたた!」
やや大げさな声をあげつつ、俺は両手で頭を押さえてその場にしゃがみ込む。
「エド!? どうしたの!?」
「いたい、痛いんだ! あー、何だかスゲー頭が痛い!」
「えぇ……?」
「痛くて痛くてたまらない! こりゃもう一回さっきの先生に診てもらわねーと駄目なんじゃねーかな?」
「……あっ!? そ、そうねエド。無理はよくないもの。診てもらった方がいいんじゃないかしら?」
「でもティア、いいのか? 装備を新調するために溜めてた貯金を全部使っちまったのに、追加で診てもらったりしたら、今度こそ借金生活になっちまうんだぜ?」
「い、いいわよそのくらい! そうよね、もうお金はないけど、でもエドの健康にはかえられないもの! お願いします王女殿下、もう一度エドを診ていただけるよう、頼んでもらえませんか?」
微妙に棒読みな台詞を積み重ねる俺達にポカンとした表情を向けていたマーガレットだったが、最後のティアの頼みに「これだ!」とばかりに激しく反応する。
「……あっ!? そ、そうね! いいわよ。でもタダってわけにはいかないわ! 追加で金貨一〇枚だけど、いい?」
「勿論です! よかったわねエド、もう大丈夫よ」
「いたたたた……じゃあちょっと行ってくるな」
「ええ、頑張って……気をつけて? とにかく、行ってらっしゃい!」
微妙な空気を背に受けながら、俺は閉めたばかりの扉を開いて再び部屋に入る。するとそこには当然さっきの治癒術士の先生がいて、俺の事を不思議そうな顔で見てくる。
「あれ? どうかされましたか?」
「いや、その……ちょっと頭が痛いかなーって」
嘘だ。頭は痛くも何ともない。
いや、嘘ではないかも知れない。悩みというか、精神的な意味での「頭の痛さ」ならば、これ以上ないほどにガンガン鳴り響いている気がするが……まあそれはそれとして。
「頭が痛い? さっきの検査では何も……まさか血が詰まっている!? いけない、ゆっくりとそこに横になって、絶対に動かないように! それと……ああ、私では無理だな。師を呼んで、もっと精密な検査をしなければ」
「あ、いや、そこまでじゃ――」
「黙って! いいから動かないで!」
「アッハイ」
ベッドに寝かしつけられ、慌ただしく動き始めた術士の男の姿を目に、俺は頭だけでなく胸まで痛くなってくる。だがもう流れに身を任せるしかなく……思った以上に大事となり、俺が解放されたのは、それから三日後のことであった。




