いい感じに調整するのは、思った以上に難しい
「よっ……とぅぁぁぁ!?」
次の世界に降り立った瞬間、俺の全身に激痛が走る。ビキリと体を固めて声を上げてしまった俺に、ティアが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「エド!? まさかまた!?」
「い、いや。今回はあの時とは違うから、平気だ……」
「でも……」
「あー、あれだ。今の俺は、全身筋肉痛みたいな?」
「えぇ……?」
ギシギシと首を動かして言う俺に、ティアが微妙な表情を浮かべる。実際これは、命に関わるようなものではない。おそらく前の世界ではしゃぎすぎた結果、俺の体がそれに合わせて成長、あるいは変化しようとしているんだろう。
「えっと……じゃあ、大丈夫なのね?」
「ああ、平気だ。いや痛いのは痛いけど、致命的なやつじゃねーから、平気だ。この手のは回復薬を使うわけにもいかねーしな」
筋肉痛はまだしも、成長痛というのは魔法でも薬でも癒やせない。これが癒やせるなら普通に回復薬が不老不死の薬になっちまうしな。今俺を襲っているのが一般的なそれと同じかはわからねーが、怪我をしたわけでないのなら無理に治さない方がいいというのは基本だ。
「そうね。でもじゃあ、さっきの作戦はどうするの? 不測の事態が怖いし、やめておく?」
「そう、だな……」
問うてくるティアに、俺は可能な限り体を動かさないようにしつつ思案する。今回のこの第〇〇七世界では、勇者との出会い方がやや特殊だ。なのでこれから起こるイベントは是非とも忠実に再現したいところなのだが……ふむ。
「予定の変更はなしだ。打ち合わせ通りにやるぞ」
「エドがそれでいいならいいけど……でも、危なそうだったら倒しちゃうわよ?」
「そいつは……っと、来たみたいだな」
「グァァァァァァァァ!」
俺達が話をしていたのは道からやや離れた森の中。当然周囲には魔獣が生息しており、木々の向こうからやってきたのは俺より頭二つ分くらいでかい熊の魔獣。その雄叫びは当時の俺を震え上がらせるに十分な威圧感を持っていたが、今の俺にとっては子犬が吠えているのと変わらない。
倒すだけなら簡単。だが俺は剣を構えつつも、あえて無防備にその正面に立つ。
「さあ来い、熊野郎! いい感じに窮地に陥ってやるぜ!」
「グァァァァァァァァ!」
「おっふ!?」
振り下ろされる茶色い豪腕、その一撃を受けて俺の体が吹っ飛ばされる。愛用していた革鎧はもうとっくに再生しなくなっているので、今俺が身に付けているのはダンジョン世界で買った金属製の鎧そのままなのだが……
「ぐぅぅ、失敗した……」
「どうしたのエド!? 失敗って、まさか大怪我を――」
「……いや、鎧が思ったより頑丈だった。これだとやられっぷりが今ひとつ伝わらないかも知れん」
表面に傷はついたし多少はへこみもしたが、流石に金属製の鎧を切り裂けるほどこの熊魔獣の爪は鋭くない。地味な打撲は受ける側としてはきついのだが、鎧の下に打撲があるかなんてぱっと見でわかるわけがないので、これではまだ足りない。
「えぇ……?」
「くっそ、いつもの革鎧だったらいい感じに切れて、血とか流れたと思うんだが……」
筋肉痛と打撲のダブルパンチで痛む体を起こし、俺は再び熊の前に立つ。もう少しわかりやすい怪我をしたいのだが、魔獣相手に自然な感じで負傷するというのは、これでなかなか難しい。
いっそ自分で自分を斬れればいいのだが、爪傷と刀傷じゃ全然違うからなぁ。俺を見つけるのは王族付きの騎士なので、その程度の違いは一目で気づかれてしまうことだろう。
「……鎧を脱ぐか? いやでも、防具もなしにこんなところを歩いてるのは、流石にそっちの方が不自然……!?」
「ガァァァァ!」
悩む俺の前で、再び熊の魔獣が大ぶりの一撃を放ってくる。無論気づいていたので適当にかわそうとしたのだが、その瞬間ビキッと体が引きつり、よけそびれた俺の頭に熊の一撃がクリーンヒットした。
「ぐっ、はっ…………」
「エド!」
「だ、大丈夫。大丈夫だって。ああ、今度はいい具合だな……」
顔の左側に焼けるような感触。どうやら爪が引っかかってざっくりと切れたらしい。それなりの血も出てるし、うんうん、これなら十分だろう。やっぱり見た目の派手さは切り傷が一番だしな。
「よしティア、後は適当に……ティア?」
「さあ来なさい熊さん! 私が相手よ!」
後は近くの木の根元でグッタリしてればいいだろうというところで、何故かティアが熊の前に立つ。
「おいティア、そいつは倒したら駄目だって――」
「ガァァ!」
「あぐっ!」
「ティア!?」
熊魔獣の手が、ティアの腕を切りつける。それを黙って受けたティアが苦痛の呻きを漏らし、俺は自身を苛む痛みの全てを放り出してティアのところに駆け寄った。
「馬鹿、何やってんだ!? 怪我するのは俺だけで十分だって言っただろ!?」
「だって、エドだけ痛い思いをするのは違うでしょ? それに大事な仲間に怪我をさせて、自分だけ無傷だなんて嫌じゃない」
「そういう問題じゃ――」
「ガァァァァ!」
「……黙れ」
「グァ…………」
空気を読まずに吠える熊を、俺は明確な殺意と敵意を込めて睨み付ける。すると野生の本能で何かを悟ったのか、熊の動きがピタリと止まった。よしよしいい子だ。その態度に免じて今は殺さないでおいてやろう。
「いたたたた……」
「ほら、動くな。今回復薬を……」
「駄目よ、傷を負ってないといけないんでしょ?」
「そりゃそうだが……ならあれだ。最後の回復薬をこれで使い切ったってことにすればいいだろ?」
「その場合、治すなら前衛であるエドでしょ? エドが平気なら私を担いで逃げられるけど、逆は無理だもの」
「それは……あー、くそっ!」
完全な正論に、俺は思わず拳を握る。確かにこの程度の魔獣に苦戦する二人組であれば、その選択肢は完全に正しい。無論森の中ならエルフの精霊使いであるティアは並の前衛など比較にならない働きをするわけだが、それを加味してしまうとそもそもこんな敵に苦戦するはずがないという事になってしまう。
「…………言わなきゃばれねーから、前衛が戦闘不能になって隠れてたとか」
「私を仲間を見捨てて自己保身に走るような卑怯者にするつもり?」
「うっ、ぐぅぅ…………えっと…………回避がスゲー上手だとか?」
「なら私が無傷なのにエドが怪我をして負けそうになってる理由がなくなっちゃうじゃない」
「おっ……ふぅ…………でも、ほら……ティアが怪我して痛そうなのとか、俺が嫌だし」
「私だって、エドが怪我をするのは嫌よ? でも必要なんでしょ?」
「……………………」
駄目だ。状況的にも感情的にも、ティアの怪我を治す方向に説得できる気がしない。
「それに、そろそろ助けの人が来るんでしょ? なら、エドはここで大人しくしてなさい。いい?」
「……チッ、わかったよ」
諭すようなティアの物言いに、俺は手近な木の根元に腰を下ろすと、如何にもやられましたという感じに身を預ける。そんな俺の前ではティアが腕から血を流しながら熊に立ち向かっているのだが……
「……えっと」
「んー?」
熊の魔獣が、二足で立ち腕を振り上げた態勢から微動だにしない。あまりの無反応っぷりに、ティアが困った顔で俺の方を振り返る。
「ね、ねえエド? 熊さん動かないんだけど……何かしたの?」
「いや? さっきちょこっと睨んだだけだけど……おい熊、お前――」
「クァァァァァァァン……」
俺が呼びかけた瞬間、熊が何とも切ない鳴き声を出す。それと同時に股間からジョバジョバと湯気の立つ液体を放出し始め、ティアが驚きの声をあげた。
「うわっ!? エド、この子お漏らし――」
「大丈夫か! 今助け…………うん? これは一体……!?」
「ひゃあ!? あ、あは、あはははは……」
そんな最悪のタイミングで木々の向こうからやってきた女性騎士が、あまりにも不可解な状況に露骨に顔をしかめる。この異常事態を無難に終わらせる手段は、俺が思いつく限りたった一つ。
(…………見なかったことにしよう)
「エド! エド!? ちょっと、何で返事しないの!?」
「おい、何してるの!? 頭部を負傷している人を、そんな乱暴に――」
「ズルい! ズルいわよエド! 私だって気絶したい! こんなのどうしろって言うのよ!」
「落ち着きなさい! いや、落ち着くのは私か? まずはアルゴベアーの対処を……いやしかし、立ったまま漏らして動かない……気絶してる? 何なのだこの状況は!?」
「エードー!」
叫ぶティアにガクガクと肩を揺すられながらも、俺は無の境地に精神を飛ばしてひたすら気絶をし続けるのだった。




