その結果を考えれば、多少の犠牲は仕方がない
眠気と言う名の終わりに抗うアネモをティアに任せ、俺は宿から外に出た。動くもののない町中は寂寥感に溢れており、今正にこの世界が終わりかけているのがよくわかる。
だが、そんな今だからこそできることがある。俺は大きく深呼吸をすると、周囲に漂う「汚染魔力」に意識を同調させていく。
そも、汚染魔力とは何か? 今更言うまでもないが、それは魔王の力である。だからこそ人の体に「上位の力」として入り込んで、上から蓋をするようにその人が持つ本来の魔力の上限を食い取ってしまう。
然りとて魔王の力であるから普通の人には使えないし、仮に使えたとしても回復などできない。結果として使えもしない邪悪な力に浸食されて力を失う……となればその呼び名が「汚染魔力」なのは納得だ。自分の力を汚染呼ばわりされたとしても、苦笑いが精々である。
そんな汚染魔力だが、今の俺にとっては「訳の分からない、活用できない力」ではない。神の創った人の器である「エド」がほんのわずかに宿していた普通の魔力とは別物なので、これを使って一般的な魔法を使えるわけじゃねーが……代わりに魔法じゃ到底できないようなことだってできる。
「歪む世界に遍く満ちる、我に連なる我が力。我が意に従い我が元に集い、今こそその本懐を果たせ」
紡ぐ言霊に、辺りから力が漂ってくる。最初はふわりと、だがあっという間に圧力を増していくそれは、まるで世界全てが俺を押し潰さんとしているかのようだ。
もし俺が人の体のままであれば、とてもじゃないが耐えられなかっただろう。だが今の俺はもう違う。黒く可視化されるほどの濃密な力を呼吸のように取り込むことで、俺の全身に強烈な力が満ちていく。
本来ならば、ここにあるのは俺の一〇〇分の一の力でしかない。だが長い年月をかけ人の欲と願いを受け取り、歪な世界を構成するほどに膨張したその力は甚大にして莫大。それを受け入れるには当然それに相応しい器が必要となり……俺の体からギシリと音が鳴った。
「ぐっ……」
腕や足が一回り太くなり、皮膚が裂けて血が流れる。だがその下からは黒く輝く鋼が現れ、血の変わりに青い魔力がこぼれ落ちる。
頭痛は外的な苦痛となり、裂けた額から黒鉄の角が二本生える。見える世界の色が変わったのは、黒目が金眼に変わったからだろう。他にも牙が生えたり爪が伸びたりと、俺の体が人ではないものに作り変わっていく。
別に、これが俺の真の姿だとか、そういうことじゃない。この地に生きた人々が「魔王」と聞いて想像する姿へと変貌しているだけだ。何事も形から……だが形こそが本質を作る。単なる優男ではないからこそ、今の俺は自他共に認めるこの世界の魔王となった!
「無限に焦がれし愚か者達に鉄槌を! 夢幻に生まれし紛い物達に終焉を! 今ここに、我が世界は結滅する! 穿て! 『此処より先に何も無し』!」
抜き放った「夜明けの剣」を、力一杯地面に突き立てる。するとその一点を目指し、世界が収束していく。
消えていく。無限の魔力で無限に広がるダンジョンが、そこに生きた我が眷属達が、剣先にある黒い点に吸い込まれて消えていく。
壁が消える。天井が消える。道ばたでグッタリと倒れている者達も、アネモが寝ている宿でさえも、我が力より生まれしモノが、たった一つの例外を除いて消え失せて……
「…………わぁ」
消えたベッドから落下し、緑の草原に優しく受け止められたアネモが、小さくそう声を漏らす。
そう、魔王の力、魔王の世界を終わらせたなら……そこに残るのは正常な世界。木が生え草がそよぎ、抜けるような青空には白い雲がたなびき、太陽が眩しいほどに照りつける、当たり前の世界だ。
「どうだアネモ。これがダンジョンの外の世界……そして『空』だ」
「すごい、ひろい…………これが、これが『そら』……えどひゃん……えぇ?」
ゆっくりと頭を傾けたアネモが、俺の姿を見て微妙な声をあげる。
「……なんではだかなんれすか?」
「細かいことは気にすんなよ。色々あったんだ」
力を「終わらせた」のだから、俺の姿は既に元に戻っている。が、いきなり体がでかくなったせいで、服が割とビリビリに破れてしまっていた。だがまあ、これは致し方ない犠牲なのだ。あの流れで中断なんてできるわけないのでやり通したが、変身するとか想定外だったしな。
「ほら、そんなことよりどうだ? お前の願いは叶えたぜ?」
「はい。すごいれふ…………ああ、せかいはこんなにひろくてきれいらったんれすね……」
「そうよ。まだまだアネモの知らないことや、見たことのないもの、経験したことのないことが、世界には沢山あるんだから! だから――」
「ふふ……みれんがいっぱいになっちゃいましたけど……でも、ごめんなさい……もうそろそろ……」
アネモの頭を膝枕したティアに、しかしアネモは小さく首を振る。その瞼は今にも落ちそうで……だがそれも当然だ。勇者の力があるから保っているが、もうこの世界に魔王の力は……アネモの存在を支える力はないのだから。
「キュー」
「あ、しぇるかー……」
と、その時ティアの懐から飛び出したシェルカーが、まるで頬ずりをするようにアネモの頬に自分の顔を擦り付けて鳴く。
「くすぐったいよ…………しんぱいしてくれて、ありがとう」
「キュー……」
「えどひゃん、てぃあひゃん。わらし、とってもしあわせれふ。さいごにこんなすてきなゆめをみられて……あれ? じゃあもうねちゃってるのかな? ゆめのなかなのに、すごくねむい……?」
「ははは、別にどっちでもいいだろ? 夢でも現実でも、話はできるし想いは伝わるさ」
「そうれふね。それじゃ、えどひゃん、てぃあひゃん。それにしぇるかーも……」
アネモの顔がゆっくりと動き、俺達を見回していく。既に半分以上閉じていた瞼がそのまま下がって……
「……おやすみなさい」
そして二度と開くことはなくなった。
ピコンッ!
『条件達成を確認。帰還まで残り一〇分です』
「……ハッ」
その事実を裏付けるように、俺の頭の中に声が響く。それを鼻で笑いながら、俺は眠るアネモの頭を愛おしそうに撫でているティアの側に近づき、俺達以外で唯一この世界に生存している生物……シェルカーに目を向けた。
「ってことで、これでお前の使命も終わりだろ。どうする? 一緒に来るか?」
おそらくは神の欠片から力を得ていたであろう、聖母竜シエル。その身を人の裏切りにより引き裂かれ、記憶も力も何もかも失ってなお「魔王を倒す」という目的のために、トカゲに成り果ててすら生き延び戦い続けていた偉大なる敵。
神の眷属たるそれを受け入れるのはなかなかに業腹だが、シェルカーならば別だ。俺はそっと手を伸ばしたが、シェルカーはその指先の匂いをフンフンと少しだけ嗅ぐと、プイッとそっぽを向いて眠るアネモの顔の横で丸くなった。
「そうか、そこがいいのか」
「キュー」
「ああ、好きにすりゃいい。行こうぜティア」
「いいの?」
「いいさ。邪魔しちゃ悪いしな」
俺はティアの手を取り、その場を離れて歩き出す。きっとシェルカーは、聖母竜シエルがそうであったように、アネモの側でずっと眠り続けるのだろう。魔王のいなくなった世界で、目覚めない勇者と共に永遠を眠る。その選択を否定する権利など、誰にもあるはずがない。
「ねえ、エド?」
「ん? 何だ?」
「空って、こんなに綺麗だったのね」
「……そうだな」
ティアの翡翠の瞳から、ポロリと涙が一筋こぼれ落ちる。俺はそんなティアの手を握り、静かにその時を待つ。
『三……二……一……世界転移を実行します』
「じゃあな」
誰にでもなく、世界全てにその言葉を手向け、俺達は第〇六九世界を後にするのだった。




