間章:とある魔王の回顧録 下
人は忘れる。都合の悪い歴史は勝者によって改竄され、気づけば真実など跡形も残らない。
人は求める。その欲に限りはなく、富を、力を、永遠無限に貪り続ける。
ならばそれは必定。無限の魔力を湛えた「赤き石」は、それが何であるのかを忘れられても人の手を渡り歩き、その欲を叶えていく。
――『ガハハハハ! 遂に奪い取ってやったぞ! この「無限の赤石」があれば、我が帝国は最強の軍事国家となる!』
――『おお、これが彼の至宝! 我らに富と繁栄を約束してくれる「アカシャの炎」か! フフフ、これさえあれば、我らの勝利は間違いない……』
――『伝説の「無限動力」か。まさか実在していたとはな……おい、丁寧に回収しろ! これがあれば資源問題は一気に解決するぞ!』
時を超え歴史を超え、世の趨勢に翻弄されながら「魔王の封印」はその所有者を変える。そんな円環を断ち切ったのは、たった一人の青年。
――『こんなものがあるから、人は過ちを繰り返すんだ! 消えてなくなれ、永遠に!』
有り余る魔力で浮かぶ、天空の城。かつての魔王の居城よりそれらしい場所の最奥に辿り着いたのは、空のように青い髪をした青年だった。世界を支配した大帝国の将兵達の悉くをなぎ倒した青年は、最後の力で輝く拳を「魔導石」に叩き込む。
すると魔導石は派手な音を立てて砕け散り、世界中の空に飛び散った。やり遂げた青年の肩には小さな白いトカゲが乗っており、これにて再び世界は救われた――とはならなかった。
青年は、それが魔王の封印であることなど知らなかっただろう。いや、世界中の人々が、魔王の存在などとっくに忘れ去っていた。そして魔王の封印は砕けた程度で解けるものではなかったが……砕けた程度で失われるものでもなかったのだ。
流星の如く降り注ぐ赤い雨。数千に砕けた全ては元と同じく無限の魔力を内包しており、何も知らない人々がそれを見つけることで、世界はまた回り始める。
――『スゲーなこれ! いっくらでも魔力が引き出せるじゃん! これがあればあいつらをぶっ飛ばす強力な武器が……』
――『うひょー! 水が無限に出せる!? これもっと落ちてないのか?』
人は忘れる。人は求める。そして歴史は繰り返し……しかし変わったこともある。魔力源が世界中に散らばったことで数千倍となった汚染魔力の発生が、世界の自浄能力を超えてしまったのだ。
――『ゴホッ、ゴホッ。この辺の空気も大分淀んできたな……ああ、青い空を最後に見たのは、何十年前だっただろうか?』
顔の下半分を隠す仮面のようなものを付けた男が、そう言って空を仰ぐ。どんよりと曇った空は昼間であっても夕闇のような明るさしかもたらさず、「赤の秘石」の恩恵を受けていない場所では人はまともに暮らせない。
そしてそれすらも、長くは続かない。遂に地上で暮らすことを諦めた人間達は、世界の運命を決める一つの決断を下した。
――『では、これよりプロジェクトDを実行する』
暗く冷たい部屋の一室。その長いテーブルの一番奥に陣取ったひげ面の中年男が、重々しい声でそう告げる。それは汚染された地上を捨て、地下へと退避するという荒唐無稽な計画であり、そんな無茶を実行するために貴重なリソースを割いて開発されたのが、人間の手足となって働く新たな存在……人に類する、だが決して人ならざるモノ。
狭所での作業を可能とする小柄な体と、それに見合わぬ圧倒的な体力、腕力を与えられた「甲種人類」。
地下を掘り進むに当たり、最も大きな問題となるであろう地下水の対処に特化させ、水中での活動を可能とした「乙種人類」。
そしてそれら二種の繁殖能力の低さを補うため、双方の種族と繁殖可能でありつつ、意図的に男児が生まれやすくすることで数の調整を行う(生まれてくる子供は、基本的に母体の種族となるため)「丙種人類」。
赤く輝く無限の力……「魔煌石」の魔力を元に生み出されたそれらの生体魔導具は人間のために地下を掘り、そして彼らの掘った穴に人間達は拠点を設置していく。
――『第二八駐屯地、設営完了……っと。なあ、これ何処まで潜ればいいんだ?』
『さあな。汚染魔力は日に日に濃くなってるから、とにかく早く深く掘れって、そればっかりだよ。ま、実際掘るのは奴隷共だからいいけどさ』
『おい、言葉に気をつけろ。あれは「甲種人類」だ。奴隷は国際条約で禁止されてるんだ、滅多なことを口走るな』
『へいへい……ったく、魔力の補給もできない、使い捨ての生体魔導具が「人類」ねぇ……ほんっと、偉い人ってのは綺麗事がお好きなことで』
深く深く、穴は続いていく。そして人は気づかない。駐屯地の動力源として、手軽で便利な無限動力……魔王の欠片を用いているということを。それこそが汚染魔力を生み出していると知る由もなく、逃げ込んだ閉鎖空間にその原因を次々と設置していることを。
故に汚染魔力はあっという間にその濃度をあげる。人類全てを避難させるべく掘り進められた地下空間がねじ曲がって迷宮となり、濃すぎる汚染魔力は理すら歪めて、石の壁から「新人類のでき損ない」を生み出すほどに。
――『何なんだこいつら!? くっそ固ぇ! しかもすぐ再生しやがる!』
『壁が! 削岩したはずの壁が元に戻ってます! そんな、これじゃ退路が!?』
『ええい、進め進め! 退けないのなら進むしかないだろ!』
『どれ……じゃない、甲種人類達はどうしますか? 連れて行かないと』
『捨て置け! 適当な拠点に辿り着いたら、そこで補充すればいい!』
必死になって、人が足掻く。だがそもそも普通の人間は、これほどの汚染魔力の直中で長く生きられる存在ではない。結局そこから一〇〇年もしないうちに全ての人間は死に絶え、残されたのは魔王の眷属のみ。
指示を出すものを失い、新人類達は戸惑い悩んだが、最終的には与えられた指示を全うすることにした。即ち「新たな拠点の設営と、作り上げた拠点の保守」である。
ある者達は新たな拠点の設営のため、無限の魔力で無限に広がるダンジョンの探索を始めた。それは「探索者」の始まりであり、既に新たな拠点を作るための技術と物資が失われても、その役割だけは残り続けた。
ある者達は拠点の保守のため、町に残り続けた。元を同じくする存在であるが故に「同じになりたい」と近づいてくる出来損ないを撃退しながら、人間がダンジョンで暮らすために必要だった施設を延々と守り続けている。
そうして何百年、何千年。もはや何も残っていない世界で、彼らは粛々と生き続ける。もはや事実も真実も全ては塵と化した世界で、辿り着く場所などないのに旅を続ける彼らの日々は、無限に思えた魔王の魔力が尽きるその日まで続くはずだったのだが……
――『はい、着きました! ここが第二一八七駐屯地です』
明滅する画面に、ふと見覚えのある顔が映った。管理施設から町全体に張り巡らされた魔導回路にて知覚されたそこには、今代勇者とそれに連れられた二人の人間が映し出される。
片方は妙に耳の長い女性。すり切れた魔王の記憶では、辛うじてそれをエルフだと認識したらしい。そしてもう片方は……
『主よ。我が力の主よ。我が最後の記憶を、どうかその身のうちに眠らせたまえ』
穏やかな男の声。それと同時に瞼が閉じるように映像が消え、俺の意識もまた暗闇に染まった。
「……………………」
気づけば、俺は赤い石に手を伸ばした形で固まっていた。硝子の容器を持ち上げてはずし、その破片をそっと掴んで取り出す。すると俺の体の中に魔王が語りきれなかったであろう想いが流れ込んできて……
ああ、そうか。そうだったのか。お前はそんな思いで、ずっと世界を見続けてきたのか。そんな思いを抱いて、そんな想いのままに。ならば俺は――
「ごめんなさいエドさん! 説明書っぽいものはどこにも……あれ、消えてる?」
と、そこで俺の背後から、階段を下りてアネモがやってきた。振り返って顔を合わせると、アネモがギョッとした表情で目を見開く。
「エドさん!? どうしたんですか、今にも死にそうな顔してますよ!?」
「アネモ……」
だが俺はそんな様子を無視して、その場で膝を突くとアネモの小さな体をギュッと抱きしめた。そこに感じる確かな命の温もりに、俺の目から知らず涙がこぼれ落ちる。
「ギャーッ!? え、エドさん!? 突然何を!?」
「ごめん。アネモ……本当にごめんな…………」
「えぇぇぇぇ!? そんな、泣くほどのことじゃないですよ!? あれはちょっと大げさだったというか、そんなすぐに魔力がなくなったりしないでしょうし。だからその、エドさん? ほら、ティアさんだって戻って来ちゃいますよ?」
「ごめん……ごめん…………」
「エドー? こっちには何も…………何してるの?」
「ティアさん!? ちが、違うんですよ! 私は何も……ほら、エドさん!?」
「無力な俺を……終わらせることしかできない俺を、どうか許してくれ…………」
「エド?」
「あーもう! これどうしたらいいんですか!?」
「キュー?」
困惑するティアやアネモ達をそのままに、俺は何千年分もの悲しみを吐き出すように、ひたすら謝罪の言葉を口にし続けるのだった。




